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澤瀉屋のスキャンダルをリークしたのは誰?

2011年、澤瀉屋の主軸3名が同時に襲名を発表した。襲名したのは2012年。

  • 二代目・市川猿翁

  • 四代目・市川猿之助

  • 九代目・市川中車(香川照之)

なぜ格の高い「猿翁・猿之助」が「二代目・四代目」なのに対し、中車が九代目なのかというと、「猿翁・猿之助」は澤瀉屋の名跡、中車は市川宗家の流れを汲む立花屋の名跡だから。新参者が由緒ある名跡を襲名したのは、本来なら猿之助を襲名してたという血筋や、役者として大成したことに忖度した結果だろうか。

立花屋はもともと橘屋と記す。市川宗家の門人系の市川八百蔵家では、初代のあと妹婿が二代目を襲名、その後に二代目澤村宗十郎の長男を迎えて三代目としていたが、血が繋がらないので屋号は各代ごとに「蓬萊屋」「吉村屋」「橘屋」と好きなものを使っていた。

三代目の実家の屋号は「紀伊國屋」だが、はじめて立役(主役)として舞台に立ち成功を収めたのが江戸市村座だったから、三代目はその座元・市村羽左衛門との交流が深かったため、特別に「橘屋」使うことが認められた。

三代目の次がまた養子で、舞踊の藤間勘十郎家から子が入って四代目を襲名し、当初はそのまま「橘屋」を使っていた。ところが、市川一門のなかで番頭格にまでなっていた市川八百蔵の屋号が、別系統の市村羽左衛門らの屋号と同じというのもまた塩梅が悪い。

そこで「たちばなや」の音はそのまま残して「橘」から「立花」とあらため…


ぬぅぅあぁぁっ!
ややこしいっ!


市川猿之助さんの事件を理解するには歌舞伎を理解し勉強しなければならないと思い、気になったことを調べていったら八百蔵や日舞の家系なども出現し、あるときは江戸時代まで遡ってしまう。

こんなことするくらいなら徳川15代将軍や、中国の歴代王朝を覚えたほうがよほどマシだ。しかも今、僕はこんな本を読んでいる。

『悲劇の名門 團十郎十二代』
もちろん十三代目も悲劇があるよ!


僕はいったい何をやっているんだ。

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