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通天閣の下の赤ちゃん 第六話

 ユキノはすっかり脅えてしまい、病室から外には一歩も出られなくなってしまった。

 ヒロシはユキノを励ますため、わざと大声で抗議をした。

 「そんなん、嘘に決まってるやん。窓の外に人がぶらさがっているって、おかしいやないか、三階のビルの外壁にどうしてぶらさがれるんや。垂直のコンクリートの壁や、足をおくとこなかったら、手がだるいやないか。なんやて、幽霊には足がない。当たり前や。せやかて外は暑い。陽がガンガン照ったらいてられへん。せえやないか、この間みたいな台風が来たらどないすんね。吹き飛ばされてしまうが。雨降ったら濡れるやろ、ビショ濡れはつらいやろ。せやさかい、窓硝子の外に幽霊はおられへん、嘘つき」

 看護婦に毒ずいてからヒロシは「心配せんでええ、そんな間抜けな幽霊はこわいことあらへん。もし兄ちゃんやったら、外から中ばかり覗くようなヘマはせん。もっと賢くやるぜ、廊下の中側に住んで、出たる。そのほうが楽やないか。せやから、これは作り話に決まっている。お前もそないおもうやろ。安心しいや」と屁理屈をこねた。これがいけなかった。四日目に看護婦は意地になって怪談の続きをした。

「そうよ、ヒロシちゃんは賢いね。その通りだったの。窓の外の顔がスーと硝子を突き抜けて廊下にポッカリ浮かんだの。生首よ。そうすると窓という窓に映ってる顔がみんな真似して、次から次と突き抜けて廊下に並んだの。生首のオンパレードよ。怖いでしょう」と逆襲してきた。ヒロシは真底、厭な小母さんだと、そのしつこい粘液質の話に嫌気がさした。

 ここでヒロシの身になって代弁すると、世間では普通、女性は男性より優しいと言う。しかし果たしてそうだろうか。女の恋の意趣返しはどうだ。男には想像もつかない執念が籠もって恐ろしい場合がある。優しさの裏側には残忍さが潜むこともある。

 この看護婦にそんな前歴があったかどうかは知らない。しかし、それにしても異常である。そのしつこさを、子供のヒロシやユキノではとても理解できない。 

 「子供をなぶるのもいいかげんにせえ」とヒロシは殴り掛かりたくなったが、生首の話に「ヒイッ」と息をのみこんで、悶絶するかと思う程、目を白黒させて脅え震えているユキノの介抱の方が先だった。

 ユキノの容態は一進一退で良くならなかった。

 普通、病室重患の大・小便は、御虎子と尿瓶でとり、看護婦が処理することになっていたが、ユキノは下痢が再発してから、ひっきりなしになった。深夜から早朝まであまり頻繁なので、ヒロシが何回も便所まで処分しに行かないと間に合わなくなってしまった。

 看護婦は決して弱いものいじめ、鬱憤晴らしで子供に怪談をしているわけではなかった。そんな気散じなら問題は簡単だ。もっと複雑だったから、深刻なのである。それには補足がいる。つまり看護婦はユキノを一目見た時から好きだった。ユキノの美貌に痺れたのである。ただ可愛いだけでは満足できない。好きなだけではすまされない、倒錯的な愛情をもったのである。

 そこらあたりがよく分からない。何故そんな怖い愛情表現になるのだろう。閉鎖的な独身女性のもつ謎なのか、見当もつかないが、「コワイ」と悲鳴をあげさせる度に、自分の存在がユキノの心に突き刺さる気がするのである。可愛いと抱き上げるよりも、もっと強い快感に痺れるのである。これがこの看護婦の愛情確認手段だった。

 困ったことである。これではユキノもヒロシもたまったものではない。

 ヒロシとユキノが嫌がっていたのを承知の上で、平気で気にせず、愛想までこめて、念入りに付き纏う看護婦の性質をどうしても理解できない。子供にできる筈がない。こういうのをなんと言うのだろう。偏執狂、そうだ、パラノイア的性格なのだが、それは難しすぎてヒロシには分からない。

 とにかくこの看護婦は心淋しい孤独な女に違いない。そのすべてを怪談にこめて、それが愛情であるかのように錯覚して構ってくるのだった。

  深夜、ヒロシがユキノの排泄物を処理しに行くと、病棟の便所にまつわる怪談を二人に語りはじめた。性懲りなく、執拗な愛情倒錯の執念を込めながら……。

 「便所の扉が、どれもこれも開かないの。いくら引いてもビクッともしないの、トントンとノックすると、入っていますと低い声が中からするの。またトントンと次の便所を叩いても同じこと、中から入ってますという声がするの。順番にノックして最後の扉だけは中から声がしないので、開けると、なんと天井を突き抜けるような男が突っ立っているの、格子縞模様の浴衣のはだけた胸は毛むくじゃらで、大目玉を剥いて両腕をひろげ拳を握りしめたまま睨みつけ、見下ろしているの……」


第六話終わり  続く

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