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通天閣の下の赤ちゃん第十七話

 二週間して外出をすると様相は一変していた。ドクロ団は壊滅したようだった。寄場には誰も来ないし、三太は赤ちゃんの居ない間にロクから頬っぺたをおもいきり殴られ、歯を二本も折られた。もう家人は赤ちゃんと遊んではいけないと交際を止めたそうだ。裏切ったあのゴンは道で出会っても、顔を逸らし下向きで走るように逃げ去ってしまった。他の団員も寄ってこない。ただミッチャンだけは「えらいことになったなあ、これからどないすんねん。もうあかんわ」と赤ちゃんの後をついてまわり、グチュ、グチュと愚痴り、心配顔ばかりしていた。
 そんな時に決闘が申し込まれてきた。ロクがけりをつけたがったのである。今までの恥と怨みを一挙に晴らして終結したい。それにはドクロ団の団長であった赤ちゃんを皆の目の前で完膚なきまで、徹底的にやっつけて、とどめを刺したい。そのような最後の結着をロクが目論んだのである。
 決闘の申し入れを伝えたのは紙芝居屋バットマンのオッサンであった。
 「もし断るのなら断ってもよし。受けるのなら、万が一の怪我をおもって俺が立ち合い人になる。それでよければよし。不服なら別の立ち合い人たてて二人の後見でもよい」という内容であった。

 ナポレオンはフーと煙草の煙を赤ちゃんの正面から吹きつけた。目が沁みて、噎せたけど、赤ちゃんは睫毛をしばたいただけで、顔を顰めなかった。
 「ふん。それで、赤ちゃんは立ち合い人をたてたのか。どないしたんや」と尋ねた。
 「新ちゃんに頼んだ」
「ああ、下駄直しの新ちゃんかい。あいつなら立ち合い人、即答で受けたやろ。なんせ血の気が多いからな、大いにやれと言ったやろ」
「いや、そんなこと言わなんだ。新ちゃんは前に新式のバイ作る橋渡しの、縁があるから引き受けるとだけ言ったよ」
「そうかい」と呟いてからナポレオンは薄目になり、頬杖をついたまま、また新しい煙草をプーと吹かした。続けざまに、どうやら吸いすぎた。ゲヘェ、ゲヘェと変な咳をしながら「そうかい」とまた言った。
 ナポレオンが新ちゃんを血の気が多いと言ったのは去年の夏の事件のことである。
 飛田本通りは飛田遊郭の遊び客でもっていた。月末の日曜日が紋日で繁昌した。大勢の人が往来する通りで目立つのは馬場町の連隊の兵隊さんの赤い羅紗布を巻きつけた星のビショウの軍帽と、どこか店の丁稚どんが被るハンチングである。
 ところが、この軍帽がハンチングを追い駆けてきた。人の流れが二つに割れた割れた道路の真ん中を走ってきた。丁度、ホマレの前で低い箱の腰掛けに座り、下駄直しの営業をしている新ちゃんの目の前で、ハンチングの丁稚がバタッと倒れこんだ。後を追って来た軍帽の兵隊は蒼白な顔で、肩で息を吐きながら、ゲートルを巻いた軍服ズボンの軍靴を踏んばった姿勢で新ちゃんの目前に停止した。視線を上げると仁王立ちの手が抜き身の銃剣を持っている。ハァッハァッと烈しい息が突然、罵声になった。何の意味か不明だが、殺してやると言う声だけは聞き取れた。                      
 その時倒れている若い丁稚が細い指を新ちゃんの足先に伸ばし、拝むような仕草で「どうぞ助けて下さい」と言った。反射的に新ちゃんは立ち上がった。 
 ここが新ちゃんのいいとこか、悪いとこか知らないが、頼まれると否とは言えない男気が、ナポレオンの言う血の気の多さだった。
 「何かよう知らんが、かんにんにしたれや」
「知らん者が黙っとれ」と兵卒は口から酒気をプンプンとさせ、銃剣を横に一振りした。
新ちゃんは下駄の歯入れ替え用の溝鑿で払いのけようとした。そこへもう一振りしようと兵卒が一歩踏み出した。その弾みで、新ちゃんの鑿が兵卒の腹に突き刺さった。ウムと呻いて、押さえた手には血が付着していた。

第十七話終わり   続く

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