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通天閣の下の赤ちゃん  第ニ十一話

 時間に余裕があるので、決闘場所からは大分東寄りになる茶臼山の方向に遠回りをしながら行くことにした。よくボクシングの選手が試合前にランニングのトレーニングをするように、見様見真似でハァッ、ハァッとパンチを左右交互に出しながら駆け出した。どこの誰か分からないが、長靴を履いているオッサンが多分早出の魚屋か八百屋か、市場の人だろう。「小さいアンチャン精出るなあ、しっかり頑張りや」と擦れ違いざまに声を掛けてきた。
 赤ちゃんはそれを聞いて無性に恥ずかしく、顔を赤面させて動揺した。なにか自分の気負いを誰か赤の他人に見透かされた見透かされたのがたまらなくて、弱った。パンチの真似は止めて、ただ駆け足だけにした。坂を登りきって左折すると四天王寺さん詣での大道路で、真中に路面電車のレールが通っている。市電路は長方形の敷石を敷き詰めてあるが、その上を布運動靴でペタペタと走って行く。一番電車はまだ来ない。街燈の黄色い灯に照らされた赤ちゃんの短い影だけが街燈にリレーされて、まるで映画フィルムの齣のように移動していった。
 四天王寺大鳥居を右に見て、坂を左に下がると赤ちゃんの家の菩提寺、一心寺がある。 
 寺の裏門の横、右脇に墓石が建っている。墓石にはまだ新しい字で俗名ユキノ、と戒名が彫られている。何故ここに来たのか、ユキノを拝みに来たのか、赤ちゃんには分からない。自然と足が向いてきたのである。なんとはなしに別れを言いに来たのかもしれない。そんな気がして赤ちゃんは墓石の下の石ころに腰掛けた。寺は高い石垣の上にあったので眺望が効いた。目の下は茶臼山の底なし池で、その少し前は住友さんの別邸で、大きな壁のある大屋根の向こうには森がある。その森の右下が新世界だ。赤い灯、青い灯のネオンが一晩中輝いたままの所もある。電気の光が一筋南に延びたままの明るい線が飛田本通りの商店街通りの街燈だ。なんといっても新世界一帯の地域の空は、夜の暗闇の中でもボンヤリと光っている。繁華街だから一晩中チカチカと電気をつけっぱなしの所があって、その光の反射で上空がうすぼんやりしているのだ。
 その薄明かりに通天閣が聳えている。
 思い出せば、ここから見える風景はどれもこれもユキノと遊んだところだ。ニ人はいつも手を繋いで歩いたものだ。大の仲良し兄弟だった。こうして掌を拡げてみたら、まだ生暖かい感触が残っている。鼻先にもってきたらユキノの匂いがする。「オニイチャン団子みたいやねぇ」と言った、声がいつでも聞こえてくる。
 ユキノへの思いは霞となって通天閣の空の下一面に漂い、広がってきりがない。
 ユキノの葬式の折の読経「南無阿弥陀仏、ハンニヤ、ハラミッタ……」を何故か思い起こした。なんや知らんがむつかしい。むつかしいはお経、お経はむつかしい。そうや、ここはお寺さんや、お寺にはお経がよく似合う。<カタセテンカ><カタセテンカ>たのんまっせぇと唱えてから、赤ちゃんはヘェッと笑った。もう東の空は白みがかってきた。
 茶臼山を下りて、動物園の西側を曲がると、地下鉄の工事現場がそこに在った。
 新ちゃんは既に到着していて、腕組みをしながら、じっと露天掘りの西の方を注視して突っ立っていた。その横にナポレオンが片方の腕をシャツの胸のボタンをはずして、中にいれたまま、嫌に胸を張って立っている。
 赤ちゃんが「おはよう」と頭をペコンと下げて挨拶すると、ニ人とも「おはよう」と大きな声を出した。すると黒々とした工事場の雑品の山、手押し車、スコップ、木材、杭などの間から子供たちが顔を出した。大分前から待っていた様子で三十人程いる。ミッチャン、三太、ゴンまでいてドクロ団は全員来てるようだ。その外、知らない子もいる。多分ドクロ団の誰かの友達だろう。
 まだ顔のあちこちに青い、どす黒い痕跡が残っている、ロクに袋叩きにされた三太が近づいてきた。「仇討ってんか」と握手をしてから、耳元で、どんな武器で闘うのや、棒かナイフか、なんやと聞いてきた。


第ニ十一話終わり   続く

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