見出し画像

刃物と知恵比べ

通天閣の下の赤ちゃん  第ニ十四話 

 二人の決闘者の間隔が徐々にちぢまってきた。ロクは距離を詰めながら、小刻みに手を動かしている。バランスをとるための手の動作とナイフの動きのリズムが、どうやら合致してきたようだ。赤ちゃんはこのまま進めば、あっちこっち切られそうな気がしてきた。
 露天掘りの西側の縁で、さっきから事の成り行きを注視していたロクの立ち合い人バットマンは紙芝居弁士口調で「ついに哀れ、赤ちゃんは膾(なます)のように切り刻まれ、済し崩しの傷物となって、精根尽き、相果てることでございましょう。デン、デン、デン」と口中、小声で巫山戯た。本気でそこまではおもわない紙芝居的誇張だが、明らかに状況はロクにに有利だと読んだのである。
 バットマンはバットマンである。やはり極道の筋は争えない。ロクの親爺の友人だけあって、元組員としての本当の悪の性質を持っているのだろうか。
 一方、新ちゃんは「中止だ。ここまでだ。刃物はいかん。卑怯だ。だから中止だ」と大声で制止しなければいけない。それが最善の処置だ。この事態はそれしかない。まず打ち切らせるため大声を出すことだ。と善人まるだしで、両手を口に当てメガホンの形をしている。
 赤ちゃんはチラッと下を向いた。高さは五メートルか、六メートルだろう。下はまだ掘り進んでいる途中だが地面は砂地のようだ。柔らかい感じだし、工事の用具とか石材や石ころとか固いものは真下にはないようだ。<ここだな、ここしかないようだ。よし、やるか>と心に決めた。
 赤ちゃんは早暁、マラソン・トレーニングで走ってる間に、やる以上は敗けるのは嫌だ。勝ちたい。勝てなければ、せめて最低相子だと考えていた。
 決行は今だ。赤ちゃんは勢いをつけて跳びあがった。ラグビーのタックルのスタイルで背を丸め、ロクの腰に思いっきりブチ当たってくらいついた。ウァッと悲鳴をあげ、ロクは仰向けに落ちた。そのロクの腹の上に赤ちゃんがしがみついたまま落下していった。 
 計算通りである。体重の重いロクは下に、体重の軽い赤ちゃんは上で、跳びかかったスピードの勢いのまんま順調にやや斜めに、回転はしないで、そのまま、重なった二人の形態がスーと落ちていった。
 ぎゃあっと見ている全員が声をあげた。トリプル・ハットである。ハットが三回続いたが、このハットが一番大きいハットである。
 心配していた通りになってしまった。本当に落ちてしまった。皆が露天掘りの縁まで、下を覗こうと走り出した。
 赤ちゃんが落ちるのは瞬間だのに、それを長く感じるように工夫をしていたのか、どうか。飛びかかる時は、通天閣の塔の天辺を横目でにらんでから跳びついた。変な子である。落下中も目は瞑らないで開けたまま、下を見ないで、上目のまま落ちた。
 空は映画館の白いスクリーンだった。引力を感じて、スーと引き込まれる度に、白い四角が小さくなって、ドスンと言う衝撃とともに白色は消えて、真っ暗になってしまった。


第ニ十四話終わり   続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?