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通天閣の下の赤ちゃん  第十九話

 いずれにしても新ちゃんには目出度い権力機構からの解放であった。皆が歓迎したのは言うまでもない。
 まあ、新ちゃんの話はともかくとして、ナポレオンはどうしても今度の決闘を止めさせるのが大人の義務だし、まして赤ちゃんの友人としては、どうしても思い止まらせたかった。
 「それで決闘の日取りはいつやねん。ええ明日の早朝、夜明けが合図やって、それでは間がないがな、止めときや、今度だけ爺さんの顔を立てて、止めてくれへんか、たのむよ、赤ちゃん」
「…………」
赤ちゃんは無言のまま、返事をしなかった。
 さて、この無言のシーンには補足がいるようだった。無言はヒロシの母親の領域である。無言は心を伝える最も有効な手段なのかも知れない。言葉は限定をするが無言は全てを限定しないで知らせる。
 もし言葉に従うとすれば、何度も忠告するナポレオンではなく、無言の母が「やめなさい」という一言だけであった。
 一方、ナポレオンは全てを知り尽くしている大変な年寄りである。人間内部のもろもろは全部言葉で表現できる。例えば赤ちゃんの決闘は罪業妄想の自虐的行為である。だから言葉をすっぱくなる程繰り返し愚行を止めさせたかった。年長の友人が年少の友人に最後の言葉を伝えた。
 「阿呆か。間違いや言うてんねん。ユキノがそんなお前見て、嬉しがると思うんか。泣いてるぜ。自分の道だけ歩かんかい。決闘なんか止めとけ。阿呆、お前は阿呆たれじゃ」
ナポレオンがユキノが泣いてると言った時、赤ちゃんの目に泪がたまった。そしてポロポロと流れた。赤ちゃんはポロポロのまんま「もう帰る」と出て行ってしまった。
 ナポレオンは後を追って外に出たが、足早に去ってしまい、もういない。道路には下駄直しの新ちゃんが店じまいをしていた。
 「お前さん、赤ちゃんのやる決闘の立ち合い人になったそうやけど、場所は何処やねん」
「今、地下鉄延長工事しているやろ、あの動物園の横らあたりらしいぜ」
「えらい呑気そうやなあ、紙芝居のバットマンと話しあったのか」
「そうや」
「そらおかしいやないか」とナポレオンは気色ばんだ。
 「第一、赤ちゃんは十歳で三年生や、ロクはもう小学校卒業して、土方しとる。体も十五歳には見えん。筋肉モリモリや、これはおかしいやないか平等と違う。これで一対一は不公平や、ちがうか。お前何を考えとんね、新ちゃんそれでも立ち合い人か。ロックウの親は極道に出入りしている者や、子供もおんなじようなもんや、よう似とる。何をしよるやらわからんぜ。もし、赤ちゃんに何かあったらどないすんねん」
「せやから、僕が立ち合い人を引き受けたんやないか。そうやろ。もしものことがあったら僕が助けたろと、そう思うたんや」
「…………」
しばらくの間、ナポレオンは新ちゃんの目をじっと見つめていたが、新ちゃんの手を握りしめた。
 「頼むぜ、赤ちゃんには絶対に怪我のないよう、守ったってや。あぶのうなったらやめさせてや、頼んだよ」と言った。

第十九話終わり   続く

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