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通天閣の下の赤ちゃん  第十六話

 ゴンはペラペラとありったけを喋ってしまった。その夜のうちに、ミッチャンのつなや玩具店の路地裏に祀られている小さなお稲荷さんの祠の下台座が抉じ開けられた。
 中に入っていた布袋入り手裏剣全部、別注ドクロバイ全部、それより困ったのはミッチャンの宝箱もそこに隠していたから、二箇の首飾りはもちろん、一番大切なドクロ団会計の全財産入りのミッチャンの財布もなくなってしまっていた。きれいさっぱり盗まれてスッカラカンになってしまった。
 翌日、これを知って赤ちゃんは激怒した。散髪屋のオッサンを剃刀で切った時もそうだったが、「大人に近い頭脳だ。判断力のある子だ」と、いくら持ちあげられても、そんなものは一瞬に消し飛んでしまう激しい性格が、奥底には火山のマグマのように充満していた。或る種の生命力の変形なのだろうか。パッションが暴発した。
 小学校の野球チームの練習帰路、事情を聞くなりバットとグローブを持ったまま、猛スピードで駆けだした。盗まれたことよりも、仲間を簡単に裏切ってしまったゴンに怒りが集中してしまったようである。
 走行中、目が血走って形相が変化した。ゴンの電気器具店にとびこんだ時は無我夢中だった。「ゴン、出てこい、隠れるな。おるんやろ、出てこい」と店の奥めがけてグローブを投げつけた。放課後のゴンの顔がチラッと奥の方で覗いているようだ。赤ちゃんは知らぬ間に手を振り上げていた。バットを握ったままである。天井に吊ってある装飾電気笠(ランプシェード)が、まずいくつか落ちてきた。扇風機とショーケース内部の色電球、電池、アイロンがガラガラガッチャンと飛び散った。けたたましい破壊音である。咄嗟に店員が立ち上がって、赤ちゃんのバットを両手で握り、次の一振りを防いだ。硝子の破片と器具が散乱している床に倒れ、首根っこを押しつけられた赤ちゃんの上に二人の店員がのしかかり、息も出来ない圧力で、身動きができなくなった。
 騒ぎが収まり、ゴンの両親が破損した商品の損害弁償請求書を持ってヒロシの薬局店にやってきた。父親と母親は平謝りに謝って「お互い商店街同士のお店やさかい、事を荒立てんようにしまひょう」と内々の金銭解決で和解した。赤ちゃんは二週間謹慎しなさいと家に閉じ込められた。以前のお寺さんは、もう預かりたくないと慇懃に断ってきたから仕方がない。小学校担任の岡田先生に病気届を提出して、仮病でも何でもよい、とにかく世間様に顔向けできやしないから「憚りなさい」という父親の判断で、子供部屋から一歩でも外出することを禁じられた。その間、人の生き方を懸命に説き、父親の友助は将来を憂えたが、全ての言葉は頭上を滑って、聞く耳はなかった。赤ちゃんはアイスキャンデーを何故ユキノに二本も食べさせたらかと詮無い詮議を何度もした父親から、もう心が放れてしまっていたのだった。友助は生真面目な商人で毎朝誰よりも早く起き、店頭の道路清掃が日課だった。或る朝、滅多に笑わぬ人が喜色満面でヒロシに「見てみい、早起きは三文の得と言うが、今朝箒で掃いて、これを拾った」と小さく折れ曲がった一円札を見せた。僅か一円で、こんなにも相好を崩す父親が情けなく、友助の小心ぶりがどうしても尊敬できず、もうこの人から学ぶことは何も無いと父親を軽蔑した。一方、母親に対する気持ちは正反対だった。父親と違ってユキノが死んだ時、秀子は無言だった。そしてずっと無言を通した。けれどもヒロシは秀子が誰よりもユキノを愛していることを知っていた。ヒロシがユキノの死をどれだけ悔やんでいるか、母親は自分の悲しみとヒロシの悲しみを一緒にのみこんで無言で耐えてくれた。それがどれだけ有難く心に沁みたことか、ヒロシは秀子の悲しみが切切として、この母親のためには自分がなんとかしなければと願った。だから他人の言は聞かない赤ちゃんだが秀子には何でも素直に従った。というより母親に対しては絶対であった。その母親が今度だけは「人様に御迷惑をかけてはいけません。もっと自分を大切に生きてください」と注意をした。これは応えた。赤ちゃんは神妙に言い付けを守り、おとなしく謹慎を守った。

第十六話終わり  続く

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