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【最近考えたこと】優しさ=演技力ですよね?

少し前に「優しさって演技力だよね」という話を友人とする機会があって、最近はそれについて考えていました。

優しさは演技力なのか

共感できなくても同調するとか、疲れていても笑うとか、そういうのって全部演技にあたりますよね。でも、この演技は相手の心に寄り添うため、相手を傷つけないため、心配させないための演技です。間違いなく優しさですよね。

でも、わたしの優しさは演技だから、偽物なんだと、わたしは本当は優しくないんだと気を落としてしまう人もいるかもしれません。わたしとしては、演技だとしても、演技の動機「相手を思う気持ち」であれば、動機が優しさだから、これは優しさだといえるんじゃないかなと思います。

ただ、「自分が嫌われたくない」という気持ちが演技の動機の場合は優しさではないかもしれませんね。でも、演技であろうと動機が自分にあろうと、演技を受け取った相手が優しさとして受け取っていれば、それは優しさになりうるのかなとも思います。

あなたが優しい人を演じるとするじゃないですか、その態度は本心ではなかったとしても、あなたの態度に救われる人もいるかもしれない。そうなればあなたの演技は優しさになる。みたいな。

結局は、相手がどう思うかがすべてな気がします。もとは演技だとしても、相手次第で本当の優しさになりうると思います。

優しさには気力がいる

優しい人であるためにはある程度、演技力が必要なのは間違いないと思います。人それぞれ考え方も感性も違うので、寄り添おうとするとどちらかが演じるしかないと思うんですよね。年中ポジティブなわけでもないから、明るく演技しないといけないときもあるだろうし。

でも、演技には気力がいります。気力があるときは優しい自分でいれるけど、ないときは優しい自分でいれないかもしれません。

ただ、それでいいとわたしは思います。優しい自分でいれないときも受け入れてくれる人と出会えれば、だいぶ息がしやすくなります。

身近にそういう人がいない場合は、ひとまず人と距離を置くのが手っ取り早いと思います。一人の時間を大切にして、気力を温存してから人に会うといいかもしれません。

演技をし続けてしまうと、自分が壊れます。ずっと優しい自分でいなきゃ、というのはある意味呪縛です。優しくなくても大丈夫です。

忘れられない話

わたしがハッとしたエピソードがあって、これも議題に関係があると思うので書いておきます。

「職場で非難されてめっちゃムカついた」みたいな話をされたときに、相手に「それはあなたの~~が非難を招いたんじゃないのかな」と意見を言ったことがあります。それに対して相手が「それはきっと正しいんだと思うし、そのとおりなんだと思うけど、あなたには味方をしてほしかった」と返してきて、グサッときました。

「正しいかどうか」と「優しいかどうか」は全く別の軸だということをこのとき思い知りました。わたしは指摘したくなってしまう傾向があると自覚しているので、気を付けないといけません。

ただ、これも相手次第で、指摘を為になったと思われれば指摘をしても優しさになるんですよね。逆に優しさが優しさとして受け取られないこともあると思うと、本当に人間関係って難しいです。

相手に対して優しい!って思ったら、それだけで相性がよいのかもしれません。なにを優しいと感じるかという感覚が一緒って、友達でも家族でも恋人でも、めちゃくちゃ大事なのかも...

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