見出し画像

明鏡止水な話

「明鏡止水な話」

ひとやすみして、思考が止まった時に、少し違った思考が浮かんできた。

思考を停止することは、あたかも、水面の波を鎮めることに似ている。

波立たない水面は、明鏡止水なことになって、わずかな変化でも見えるようになる。

意識の底の泉の水面が、明鏡止水なことになれば、それは、意識の底の、精妙な波を検知することができるようになるわけだ。それは、あの世の、隔世のなにかを受け取るということができる状態になっている、ということでもある。

なにかを怖がったり、不安に駆られたりすると、明鏡止水な状態にはならない。

これが、これまでは、なかなかできなかった。

できるようになった、ということは、実に大きい。

さて、すこし違った思考とは何か、ということだが、昔のことと、現在のことがダブって見えるというようなことだ。

会社を辞めて、東京に出て、その後、いろんな資格を取りまくったのだが、そのときは、なかなかすごいエネルギーが出たものだった。

取得した資格は、重たすぎて、十分に活用することはできなかった。

後から見れば、いらない資格だったわけだが、僕の場合、いや、誰でもそうなのかもしれないが、勢いがつくと、猪突猛進してしまう。「鋼の錬金術師」の「スロウス」の、あの高速の突進のようなものだ。いや、違うかな。

いま、その当時のように、なにか、猪突猛進してもよい状況になりつつある。

絵を作ったり、ピアノを弾いたり、はしているが、なにか違う、重量のある、ヘビーなことに取り組むことができる状況、ということだ。

尤も、制限というか、制約はあって・・・いや、制約は、僕が自分で作り出しているのかもしれない。そこはまだよくわからない。

明鏡止水な意識の底の泉の水面に見えたものは、微かなものだから、こうして、文章に書き留めることは肝要かもしれない。

こういう作業をすると、現世の意識に刻まれて、とりあえず忘れなくなる。

いつもながら抽象的な話。

なんくるないさ〜。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?