富野喜幸さんの記事
今朝の朝刊に、富野喜幸さんの記事が掲載された。現在、彼は、富野由悠季を名乗っているが、僕の中では富野喜幸だ。
記事の中にこう書かれている。
「戦争を具体的に想像し、戦争と平和について自分自身も関わる身近な問題だと受け止めてほしい。巨大ロボットものはそれができる素材だと考えてやってきた。」
「人類にはそんな争いをしている余力があるのだろうか。食糧不足はこれからますます深刻化していくだろう。環境問題もそうだが、われわれは地球をどれだけ復元できるかをもっと真剣に考える必要がある。」
「100年単位で未来を見据え、人類が生き残る道を見いだしていかなければならない。戦争などしている場合ではないのだ。」
こういった、富野喜幸さんの考え方が色濃く発現したテレビアニメがあった。
「無敵超人ザンボット3」
それはとりあえずおいといて。
ふ、と、思った。
あのとき、サンライズに入って、富野喜幸さんと仕事をしていたら、良い仕事を、楽しく、できたかもしれない、と。
でも、僕が進んだのは、ある意味、真逆の人たちがいるところだった。
金、出世、立場、権威、そんな無意味なものを、血眼になって希求する人たちが集まった職場。
餓鬼の巣。
実にくだらない会社だった。
記事の終わりには、こんなことが書かれている。
「100年後くらいに人類が抱える課題を突破できるような人材が出てくることを期待して、漫画やアニメがそれに役立つことも願いながら、あと数年仕事を続けたいと考えている。」
そういう人材が出てくることを期待しているのではいけない。
自分が、自分にできることをする、ということが肝要だ。
多くの人たちが、「自分で、できることをする」ということにならないと。
富野喜幸さんは、彼にできることをやっている。
あとは、彼の作品に触れる人たちが、どう思い、どう行動するか。
こういうことを書くことは、僕の役割だ。
誰も喜ばないことを、ね。
尤も、誰も読まないだろうけどね。
こういうときに、富野さんや宮崎さんのネームバリューがあれば、と、思わないではないが、そういうネームバリューがないからこそ、「素」の、principalでprincipleな共感が伝わるのだ、とも思う。
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