別世界
「別世界」
令和3年7月伊豆山土砂災害と呼ばれる悲惨な崩落事故は、2021年7月3日に発生した。
大雨が降っていた。
ちょうどその時、10キロメートルばかり離れた沼津市では、将棋のタイトル戦が行われていた。
その将棋の対局は、ABEMA TVで放映されていて、僕はその対局を見ていた。
そして、余計なことを思ってしまった。
将棋のトッププロともなれば、近くで大規模な災害が発生しても、関係することなく、別世界にいることができるのだ、などと。
僕も、別世界の人になりたい、とは、昔、ちら、と思ったことがあった。
しかし、別世界の人になってしまうと、普通の人が暮らす世界のことはわからない、と思って、むしろ、普通の人が暮らす世界に住まうことを望んだのだった。
しかし、普通の人が暮らす世界は快適じゃない。
誤解と曲解と無理解と理不尽の世界だ。
そんなこともあって、今は、部分的に別世界と、そして、部分的に普通の人が暮らす社会に、住んでいる。
別世界とは、僕が先生と呼ばれる世界だ。
別世界も、決して居心地は良くないのだが、贅沢は言えない。
さて、最近、別世界について、また少し違うこと思った。
映画の監督は、別世界の人だ、みたいな。
多くの人を動かして、多くのお金を使って、フィルムを作る。
そんなことは、普通の人にはできるものではなく、いくつもの要件を備えていなければいけない。
その要件の最たるものは、その監督が撮った映画は「売れる」、ということに尽きるだろう。
この世は、今のところ、なんと言っても、お金がモノを言う。
お金がなければ、映画を撮ることだってできない。
スタッフや、関係者が生活することだってできない。
どんな監督だって、売れない時代があり、努力して売れる映画を撮り、少しずつ売れるようになっていったのだ。
僕は、「売る」努力をしないし、したくない。
金の亡者と同じ土俵に上がりたくない、と思うからだ。
しかし、別世界なら。
金の亡者とは違う世界なら。
大学生の頃、一度だけ、売る努力をしたことがあった。
殺虫剤を販促するアルバイト。
田舎のショッピングセンターの一番前に、山積みにされた商品の前に立って、商品を売る仕事。
大声を出して、お客様に声をかけて、商品を売る。
たったひとりで。
僕は、アルバイトの期間3日間で、10万円を売り上げた。
スプレー式の殺虫剤や、温熱式の殺虫剤など、どれも500円くらいの商品だ。
これには、ショッピングセンターの関係者も驚いたらしく、卒業したらうちに就職してくれ、と言われた。
「売る」ことをしたのは、後にも先にも、その3日間だけだった。
「売る」ことはしたくない。
でも、売れなきゃ、映画を撮れないし、僕もスタッフも食えない。
別世界で売れれば?。
何の脈絡もなく、何の展望もなく、そんなことを考えていた。
この場合の別世界って何?。
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