激落ちくんの話
「激落ちくんの話」
雨。朝6時の気温は20.0℃。大雨警報が出された朝。
昨日は、藤井聡太名人&七冠が誕生した。名人戦の様子を、ABEMA TVで眺めながら、ひとりで、少しだけ盛り上がっていた。
さて。
昨日、お風呂掃除用の「激落ちくん」の長柄の器具の先につける、スポンジ状の部品、ヘッドとでも言えばいいのか、を、新しいものに取り替えた。
この作業は、なかなか難しくて、真っ直ぐにつかなかったり、真ん中につかなかったりする。
昨日の作業も難儀して、真っ直ぐにはついたのだが、真ん中にはつかなくて、すこし、というか、だいぶ、左にずれてしまった。
つけたあとで気がついて、ありゃ、ってなことになったわけだ。
うまくつかなかった部品を取り外して、捨てて、次の新しいものを取り付けようか、と、ちら、と思わないではなかったわけで、つまり、そういうことも思ったのだが、使用はできるので、勿体無いわけで、このまま使おうか、と思い直して、そのまま使うことにした。
今朝は、その、少しずれたヘッドがついた激落くんで、お風呂の掃除をしたわけだ。
使っていても、そんなに違和感はなかった。
左にすこしずれていて、ヘッドの、スポンジの、右側は短く、左側は長い。
この器具では、左側が触れる部分は、少々念を入れて掃除をしようか、と思った。次に取り替えた時に右側にずれたら、そのときは右側が触れる部分を、少々念入りに掃除すればいい。
さて。
思うに、何事も、完璧にはできない。しかし、こうやって、完璧にできなかったことで生まれる、個性とでも言えるような部分を活かしてゆけば、その不完璧は、特徴となり長所となる。そして、その長所を生かしてできることは、完璧よりも、おそらくは優れている。
なるほど、世の中の人も、それぞれ少しずつ違っていて、いろんなところが、いろんな向きに偏っている。
その偏りがうまく機能したならば、きっと、世の中は良いことになるに違いない。
障害によって、手足がうまく動かせない人の多くは、健常者よりも優れた感性を持っていて、実に繊細な感覚で、いろんなことに気がつくものだ。
余計なことを一言。
その、人々の違いを快しとしない制度がある。国のさまざまな制度、特に、公務員の職能等級というものだ。ある一定の職能等級が認められれば、ある一定の職務を遂行することができる、とされる。そう聴いただけで、いかがわしい制度であることに、誰もが気づくと思う。
僕は、偏り、偏心が大きくて、常に、いつでも、いつだって、人の輪から、はみ出す。だから、僕は、僕自身のことを、障碍者と認識している。その、はみだす部分をどう活かしたら良いのか、そして、辛い思いをしないで生きるにはどうしたらよいか、を、いつも考えてきたし、これからも考えてゆくことになると思う。
激落くんの話からずいぶん変な方向にズレてしまったが、僕は、こういう展開をすることは至極自然で当然なことだと思っている。しかし、多くの人は、話が飛躍している、と言って、僕を非難する。
というわけで、というわけだ。
激落くんの話だから、激オチをつけたいところだが、オチがなくて、落ち着かない話になってしまった。
なんくるないさ〜。
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