施設ケアVS在宅ケア

表題の題名の本をもう随分前に読んだことがある。確か外国の書籍の訳本で、学校に行っていた頃に買ったもので、施設と在宅の対決というか対比をしている内容だったように記憶している。数多の本の中でなぜ印象に残っているかというと、この本の背表紙を見て家人が「施設と在宅って争うもんじゃないのにね」とつぶやいたからである。
確かに争うものではない。でも僕は、在宅支援から施設に転職したときには「施設のことばかり考えて、在宅のことを忘れている」と人づてに揶揄されたし、在宅支援に戻ったら戻ったで「施設の事情を知っているくせに汲んでくれない」と苦言をいただいたものである。意外とこの両者、争うまではいかないにしても相手に対する自分たちのプライドがゴリゴリである。おそらく無意識のうちに、だろうけど。
施設側は人員不足の中ギリギリで精一杯のサービスを提供していると自負しているし、そもそも在宅で担いきれない案件をカバーしているというプライドがある。そして在宅側は、施設に入ってしまうと画一的なケアしか受けられないのではないかという疑念を抱いているし、自宅で暮らすという究極の個別ケアを支えているのは自分たちであるというプライドをもっている。無論、この両者の間には利用者や家族が負担できる介護費用の問題も関係する。
とりあえず言えることは、施設と在宅、どちらが勝る劣るなんて議論は非常にナンセンスだということ。そこにユーザーである利用者・入所者(入居者)の視点が無いからである。


さて、ではどちらが幸せな暮らしを過ごせるのだろうか。

「日本人であればやっぱり畳の上で死にたい」と思う人は当然居るだろうし、自分の家が一番!的な話は至る所に存在する。だから施設に入ることが「悪」のように捉えられることも有る。やむを得ず、ままならない事情にて施設に入るしかなかった…なんて諦めの極地みたいに言われたりもする。それじゃあ施設で働く介護職員たちがあまりに浮かばれない。入りたくないところに泣く泣く入っている人たちのお世話を、人が足りない、休みが取れない、給料が安い状況で担わなくてはならないなんて、あまりに切ない。悲しすぎるではないか。
先輩たちは、その仕事に奥深い意味合いを見出そうとした。施設は病院と違って生活の場であるとし、施設で暮らすということに積極的に生きる意味がある、そこを支える介護という営みが大きな価値を持っているんだと。


例え話をする。宇宙の中にある星が有って、自分の星で暮らすことのできなくなった高齢の人たちが集まって生活している。だけどその人たちだけでは生活が成り立たないので、手助けするために色んな星から人材が集まっている。しかし、そこで支払われる給料はさほど高いものではないため、人材はなかなか集まらず、少ない人数でがんばっている。宇宙での話では、自分の星で最期まで暮らすことが一番なんだけれど、例の星に行かなきゃいけない事情があるからしょうがない。例の星で働くことは非常に尊いと宇宙では誰もそのことを疑わない。だけど、積極的にその星を訪ねようという人は多くない。ましてや、働こうとする人は希少なのである。どんなにその星での仕事の価値が大きいと聞いても、そこに飛び込んでいこうとする若者は増えてこない。結果、その星にはお世話が必要な高齢者と、年を取ったお世話する人たちだけが残ることになった…。
これは世の介護施設の現在と未来である。


弁解でもなんでもなく、僕は高齢者と関わることのできる介護の仕事が大好きである。一生を懸ける価値をもっていると自負している。だけど、施設で暮らすあるいは働くことの意味合いが、誤解を恐れずに言えばあまりに「後付け」のように僕は感じてしまうのである。先ほどの例え話で言えば、いくら価値が高く尊い仕事だと言われても、人は集まらない。人は、楽しく魅力が有るところに集まる。魅力はどんなに人に言葉や文字で説明されても自分が感じなくては心が動かない。現場に入って高齢者との関わりが僕の琴線に触れたから、僕はこの仕事をしている。僕は、もっと多くの人にこの仕事のやりがい、というよりも「楽しさ」に触れてほしいと思っている。さらに言えば、仕事として支える高齢者の暮らし自体がもっともっと、楽しくなければいけないのである。


これは、この国で年を取って暮らしていくことを問うているのかもしれない、とも思う。場所が在宅であろうが施設であろうが、「自分たちは早く死んだほうがいい」と言わせてしまうような世の中が本当に豊かなのだろうか。誕生日を迎え、また一つ年を取ったことを自他ともに祝い喜べるような日々を持ちたい。そして、もし事情が有って施設に入って暮らすのならば、「入ってホントに良かった~」と、家に居るよりも多くの楽しみを感じていただきたい。楽しみの演出という観点から介護の仕事を見たら、また見方が変わりはしないか。出来ないことを補完するというだけではなく、積極的に日々を楽しくしていくために僕たちはどんなことができるだろうか。
幸せな暮らしは、在宅でも施設でもなく、その場所が何処であろうと、自分自身が日々を生きる喜びや楽しみを抱けるところにある。そしてその演出ができるのは、家族以外には介護士しか居ないのではないかと、僕は思っている。

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