福祉が儲からない理由

利用者さんやご家族からこんな言葉をかけられることがある。

「あなたたちは、もっと給料をもらうべきよ」

ありがたい言葉である。仕事に対する評価として、実際の報酬以上の価値があると直接ユーザーから言っていただけるなんてことは、世の中にそんなにはないはずである。

そしてそれは、個人間だけではなくて、業界や職能団体からの歎願として社会(国)に訴えられている。選挙があると政治家の公約になる場合もある。だから最近、総理の肝いりで介護職の処遇改善がされることになった。


介護職を含む福祉の仕事は低賃金だというのが一般的な社会の認識である。安い給料で世のため人のために大変な仕事をする殊勝な人たち、というのが一つのステレオタイプになっているのは間違いないと思う。そんな仕事に就くのは、よほど好きか、かなりの変わり者か、あるいはそれしか出来なかったからか、ということになる(そう思われかねない)。人手不足が叫ばれて久しいが、本当に上記のような人しかこの業界に来ないのだとすれば、新たな人材を探すのはだだっ広い砂浜で小さな貝殻を見つけるくらい難しいことなのではないだろうか。途方に暮れてしまう。


今でこそ核家族化が進行しているが、元々日本では三世代同居が一般的であり、介護といえば育児やその他家事と同様に同居家族(主にはお嫁さん)が担う場合が多かった。そこに対価や報酬は発生していない。そこから社会の変容により「社会で支える」ための事業や専門職が生まれてきたという歴史的経緯がある。それまで無報酬で行ってきた活動が、社会化したとたんに賃金や維持運営のためのお金が必要になってしまったのである。

しかも、世のため人のための活動は、営利活動と同様に資金が必要であるにもかかわらず、利益を求めずに目的を達成することが美徳とされる。実は昨日、ある国連機関の募金の訴えを図らずも聞くことになってしまったのだが、話しているとどうやらその機関も各国からの資金よりも市民の浄財で担っている部分がほとんどを占める、ということであった。

整理すると、我が国に限らず、人間の営みというものには自分とその家族、周囲の人たち「以外」の人間にお金は出したがらないという心理?構造?が潜在的にあることがわかる。個人レベルで他者へ支援する人は少なくないものの、集団、社会の単位にまでなったときには極めて利己的なベクトルが存在している。これは、自明の理である。


そうなると、福祉・介護の業界に居ては悪いことでもしない限り未来永劫儲かることはあり得ない、ということになる。一所懸命働いて、自らの生活レベルを上げたいなんて夢は、この業界に入った時点で捨てておかねばならないのであろうか。(→僕の答えは「YES」でも「NO」でもある。)良くも悪くも、措置制度からの余波を受けて、市場原理が導入された介護保険制度にあっても、ご飯が食べられないほどの薄給という訳ではない。毎日まじめに働いていさえすれば、利用者が減ろうが増えようがちゃんと給料が支払われる(場合がほとんどである)。中途半端な保護で真の自由競争は生まれていない。本当ならば、がんばって利用者を多く獲得した事業所・施設は多くの報酬を受けるべきであるが、大して努力せず維持だけしているところとの差は大きくない。すると、がんばっても馬鹿らしいということになる。その諦めというか「しょうがない」という溜息が集まると、業界の改善・変革・成長は望むべくもない。


だから、福祉は儲からないのである。


さあ、分析して構造は理解した。今後はそれに対してどう取り組むかである。

僕なりの私案は次の機会に。

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