流行り病にもらったもの

新型コロナウィルス第7波。皆に注意喚起もしなければならない立場から「いつ、どこで誰が伝染ってもおかしくない」なんて声高に叫びながら、ついに、自分が感染してしまうことになったのは8月の下旬に入った頃のこと。感染源は、おそらく家族。部活で他県にバスで遠征に行った次男坊が「身体の調子が悪い」と言っているという報告を受け、接触を避けて長男と別宅での隔離生活に入った。そのうち長男の食欲がなくなり熱を出したので隔離は独居生活に移行。長男の抗原検査陽性を受け、濃厚接触者としての待機期間を経て、無症状ということで職場復帰…したはずが3日目にひどい鼻声のため抗原検査を受けると、今まで見たことのない二本線が。PCR検査をして、即帰宅。そこから10日間の療養生活に入った。
 
療養期間中、発熱せず、鼻詰まりの症状が軽快していくのをひたすら待っていた。元々子供のころから鼻炎持ちの僕は、これがコロナなのか何なのかわからないまま「あと○日」をただただ数えていた。今までも家族が濃厚接触者の可能性が出たときなど何度か別居生活もしてきたが、今回は自身が感染者ということで外に出歩くことも出来ないし、息子たちも感染しているのでご飯も届かない。行政から届いた水分、缶詰やアルファ化米を計算しながら飲み食いしていく日々。一日中誰に会うこともない。たまにかかってくる職場からの相談電話や上司の様子伺い電話が正直待ち遠しかった。普段ほとんど観ないテレビの番組に詳しくなった。出かけないはずなのに天気予報ばかり観ていた。良かったことと言えば、好きなラジオの特番をリアルタイムで全部聴けたことだが、出演予定だった推しの女子アナがコロナ関連で欠席してしまっていて、自らの境遇と重なって余計に落ち込んでしまった。
 
結局、10日間で一度も発熱することなく少しずつ体調は回復していったのだと思う。病は気からというが、精神的な部分は早期にダメージを受けていた。人と会えない、話せない、出かけられないということが僕に与えたのは、底なし沼のような孤独感であった。もう前の様には戻れないのじゃないか、もしかしたら悪化してこの世からサヨナラしなければいけなくなるんじゃないだろうか…連日のニュースが報じる感染者数・死亡者数を眺めながら食欲もなくなり、寝てもすぐ目が覚めては上向きにならない気持ちにもっと落ち込む、そんなことを繰り返す日々だった。悪いことしか考えられなくなって、持ち前のプラス思考や楽観主義が鳴りを潜めた。
 
それでも時は過ぎてくれて、復帰できる日が近づいてくると、今度は愉しみと不安が心の中で争うのを感じていた。でも、休んでいる間に現場を守ってくれている仲間のことを考えると早く戻らなきゃ、という気持ちが大きくなって療養最終日を迎えることになった。格好付けでもなんでもなく、早く復帰せねばの使命感だけが背中を押してくれて弱ったココロを吹き飛ばしてくれた。
 
お陰様で、ホントに皆さんのおかげで職場復帰することが叶って、療養期間と同じ10日間が経過した。忙しく過ごすことで気持ちもいつの間にか取り戻せていたように感じている。そうしてふと療養期間の心の動きを思い返したときに浮かんだのは、施設で暮らす高齢者のことだった。もしかすると彼ら彼女らは、10日間なんて短い期間ではない終わりの見えない時間の流れを、閉ざされた空間で過ごしてはいまいか。決められた場所で自由に出歩くことも出来ず、コロナ禍以降は大切な人に会いたくても会えない。会いたいという気持ちを表現できないこともあるだろう。わずか10日間の隔離生活を経験しただけで偉そうなことは絶対に言えないけれど、暮らしの場と時間、そして人との交流を制限されることのしんどさを幾何か感ずることができたように思う。その感覚を活かしていくことが僕のミッションに加わったことを、コロナが与えてくれた糧とできるようにしたい。

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