個別ケアの真意

介護の仕事をしていると、色んな利用者に出会うことが出来る。人との出会いは自分自身の人生の幅を拡げてくれる。人間は自分の家族や友人など価値観が比較的近い人たちと関係を深めていくように僕は感じているが、利用者の場合はその成育歴や生き方に関しても自分とは遠い存在と捉えられるようであっても関わらざるを得ない。そして、その異質性から学べることは非常に多い。

利用者の暮らしに沿ってサポートしていくことを介護というならば、その振り幅は大きく、時として自分の軸さえも見失ってしまいがちである。利用者を中心とした個別ケア、個別対応が現場で叫ばれる昨今であるが、個別化・個別性の言葉ばかりが先行してしまい、結果、通り一遍の三大介護に縛られたケアになってしまってはいないだろうか。

居酒屋に飲みに行きたいという利用者が入所施設に居たとする。ある介護士は、自室で夕食後にビールの小缶を飲んでもらうようにした。また別の介護士は、相談員と話して施設に働きかけ、毎月最終金曜日の夕方には地域交流スペースで模擬居酒屋を開催してノンアルコール飲料を提供し、当人含む複数の利用者に参加してもらった。また違う介護士は、近所の旧知の居酒屋の大将を口説き落として、年数回の施設内居酒屋開店にこぎ着けた。これまた違った介護士は、外出プログラムとしての居酒屋訪問を企画して、当人を連れて行った。

さて、果たしてどのアプローチが正解なのだろうか。

答は、どれも不正解ではないということである。どの関わりが最も良かったかは、当事者である利用者のみが知ること。それぞれの介護士は、自分たちと利用者が置かれた状況を把握し、利用者の願いを叶えるために使える資源をフル活用した。関係する人たちと折衝もあっただろうし、妥協した部分もあると思う。だけども大切なのは、利用者の願いを叶えるために何らかアクションして結果を出したということ。もしも不正解があるとしたら、利用者の希望を知りながらマイナス要素に躓き、いつまでも検討重ねていることである。

「居酒屋に行きたい」という希望があったときに、それをどこまで深堀出来ているか。お酒を飲むこと自体がしたいのか、居酒屋という場所に身を置いて雰囲気を味わいたいのか(お酒は度外視で)、単に施設から出て自由を感じたいのか、飲酒というタブーを破ってみたいのか…色んな可能性がある。それぞれによって対応も変わってくるのである。

願いを叶えるためには、多くの課題が紐づいてくる。上記の例えで言うならば、飲酒をすることに対しての身体への影響、移動手段、トイレの問題、人員の確保、家族の了承などなど。それらを一つ一つクリアしながら楽しみを形づくれるような、そんな仕事が出来ることをイメージするだけで僕はワクワクして震えてしまう。

人の願いや希望なんて、大きさや形も様々である。ましてや高齢者の抱くそれは、場合によっては叶えられっこないことだって多い(時空を超えてしまう願いも多々あるので)。しかし部分的にでもそれらを形づくろうとする介護士の熱量が、利用者の暮らしをわずかでも豊かに出来るし、それこそが僕たちの仕事だと信じている。

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