寄添先生との往復書簡

<本稿は「寄り添い」について考えるため、寄り添う介護について一言ある某先生(通称:寄添先生)と手紙をやり取りした形で書いていますが、実際にそんな先生は居ませんし、筆者でもございません。悪しからず>

 

前略 寄添先生

いつも色々とお気遣いいただきありがとうございます。先生にひとつお聞きしてみたいことがあり、久しぶりにお手紙を書いてみようと思います。

専門学校を出て、念願の老人ホームに就職したんですけど、何だかここに来て理想と現実のギャップにぶつかっちゃってるっていうか、このまま働き続けていいかどうか悩んじゃってるんです。私、おばあちゃん子だったからお年寄りとお話しするのが大好きで、介護は天職だ!なんて思ってたんですけど、実際の現場は業務に追われてて、やっと先輩たちに付いていけるようにはなったんです。でも、想像してた、おじいちゃんやおばあちゃんたちとお話しする時間なんて、ホント無いんですよ。介護の仕事はとにかく忙しいからね、って入ったときに先輩に言われた通り。朝から水分補給、おむつ交換、トイレ掃除、着脱介助、入浴介助、食事介助、口腔ケア、レクリエーション…間あいだで物品の補充とか後片付けとか準備とか、勿論記録だってしなきゃいけないし、座ってる暇なんてないんです。本当は私、利用者さんたちに寄り添った介護がしたいんです。このまま、働いてていいんでしょうか。

まだすぐ辞めるとかそういうことじゃないんで、先生のお時間のあるときにお返事いただければ、と思います。また雪が降るみたいです。ご自愛ください。

かしこ

 

前略 お手紙ありがとう。

学校を卒業してからどうしてるかな、と気になっていました。溢れんばかりの夢と希望を胸に現場に飛び込んでいった、卒業式でのあの後姿を未だに忘れることが出来ないでいます。五月病になってはいまいか、お局にいびられてはいないだろうか…貴女だけではないけれど、卒業生の行く先をいつも案じています。

でも、悩みながらも一人前の仕事が出来るようになったのですね。それは素晴らしい!

こうして忙しい中手紙を僕に書いてくれたのだから、少し思うところを伝えてみようと思います。

 

貴女の言われる「寄り添い」についてちょっと考えてみようと思います。

 

従来型特別養護老人ホームなど大規模とされる介護施設を退職してグループホームなどの小規模施設に転職する介護士さんたちがよく言われる理由に「画一的で流れ作業のような介護じゃなくって、もっと利用者に寄り添った介護がしたい」というものがあります。多分貴女も、今そういうことを考えているのではないかと推察します。おそらくそれが彼ら彼女らの“介護観”なんだと思いますし、その思いや考えは、多くの場合現場の介護士たちの賛同を得ています。ある施設管理者に聞いたところによれば、介護スタッフの個人目標を考えてもらうと、頻出するワードが「利用者に寄り添った介護の実現」であり逆に、現場の反省や課題を話し合ったときにテーブルに載ってくる話題は「忙しすぎて利用者に寄り添うことが出来ない」ということが必ず出てくるそうです。それは一部の、ある地域の介護現場に限ったことではなくて、どこに行って話を聞いてみても、同じような話題が、それこそ金太郎飴のように出てくるのです。それぐらいこの国の現場介護スタッフは「寄り添い」に飢え、渇望していると言えるでしょう。

 

ではどうしたら満たされるのでしょうか。仕事は山ほどある。働く人は少ない。利用者は重度化しつつ数が増えていく。今後、ハード的にもソフト的にも抜本的に改善される見込みは、残念ながらありません。もっともっと、皆さんの考える「寄り添い」からは遠ざかっていくと思います。

 

私は、そもそもの「寄り添う」ことへの考え方にポイントがあるのではないかと思うのです。もしも、介護スタッフの数が増えて一人当たりの業務量が現在の半分になったとしたら、貴女はどのようにして利用者さんたちと関わるのでしょうか。横に座って、一緒にお茶でも飲みますか。散歩に一緒に行きましょうか。身の上話でも聞きましょうか。でも、ちょっと考えてみてください。利用者さんは皆が皆、そのようなサポートを求めているのでしょうか。静かに一人ボーっと外を見つめていたい時間もあるかもしれない。そんなときに時間を持て余した介護士が横に座って話しかけてきたら、それこそウザったい以外の何物でもない。簡単に言うと、寄り添いとは寄り添おうとしてするものではない、ということです。何だか禅問答みたいになってしまいましたね。

 

つまり、寄り添いは目標ではなく結果である、とも言えます。そうしようとしてする訳じゃないけれども、結果的にそのような形になっている、と言えば良いでしょうか。介護を生業とする人たちは、基本的に優しい心をお持ちです。その優しさをもって、利用者さんが今何を求めていらっしゃるか慮る。そしてさり気なく、あくまでもさり気なくその求めるところを支える。物理的に、側に座っているとは限りません。人は、たった一言の言葉のやり取りでも嬉しくなったり悲しくなったりする生き物です。勿論、言葉だけに限るものでもありません。自分で自分の心と体が思うようにならなくなった高齢の方々を、その動作動作の折に笑顔で一言かけて差し上げる。介護を始めたときに先輩から「声掛けが大切」と教えられたと思います。その大切さは、そこにあるのです。

 

そう考えると、別に時間が余っていなくても、忙しい合間であっても「寄り添い」は出来るんじゃないでしょうか。一所懸命に利用者さんのことを一緒に考えて、その方がどうしたらこれからの暮らしが良くなるのか、喜んでくださるのか、笑顔を見せてくださるのかを考えて実践すること。その結果「あなたが寄り添ってくれたから私の最期は良かった」と思っていただける、そのことこそが介護の目標と考えられませんでしょうか。

 

貴女の学生時代と変わりなく、回りくどく長い説明で辟易したことでしょう。もっと分かり易く伝えられるように精進します。

どうか身体に気を付けてお仕事に、利用者さんたちに向き合ってください。

もし時間が出来たら学校にも顔を見せてください。待っています。

乱筆乱文失礼しました。
                                草々

寄添 太郎

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