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賛否両論 〜北大路魯山人の陶芸について〜

北大路魯山人の陶芸作品を初めて鑑賞したのは、今から35年くらい前ではなかったか。

場所は、広大な日本庭園と横山大観の絵のコレクションで有名な、山陰の美術館で。

魯山人が得意とする志野・織部を中心にした、華やかな器を鑑賞することができた。

不思議なことに、この美術館は魯山人の展示室の上階に、同じく陶芸家の河井寛次郎の展示室を設けていた。

魯山人が嫌っていた河井寛次郎と魯山人を併置するというのは、僕には到底考え付かない発想だが、比較して鑑賞することはとても有益だった。

河井寛次郎の器を観てしまうと、観る前は華やかに感じられた魯山人の器が、いっきょに厚みのないものに感じられてしまったのだ。

河井寛次郎の作品は、特に晩年のものは何に使うのか分からない奇妙奇天烈なものも多いが、それでいて不思議な強い魅力を感じざるを得ない。

端的にいえば、河井寛次郎の器は芸術作品であるのに対し、魯山人の器からは芸術性をあまり感じない。

それは一体なぜだろう?

僕は備前焼が好きなので、魯山人の備前焼の作品を例にあげてみよう。備前土櫛目彫文灰被四方平鉢である。

魯山人は、旧来の備前焼とは趣が異なる技巧的な作品を多く産み出した。

叩きの技法を用いた斬新的な四方平鉢。

絶妙な縁取り、そして魯山人得意の四隅をひょいひょいと上げた立体感。

そして、魯山人の絵心があふれる見事な櫛目。

とてもたくみな器であり、お造りや焼き物をざんぐりと盛りたくなる。

一方、かつて魯山人に親炙したものの、後に決裂した金重陶陽の器を観ると、土味や焼色が魯山人のものと比べ、強い魅力を感じる。

魯山人は金重陶陽の作陶を観て、その月並みさと保守性に呆れ破門したという。

しかし、金重陶陽や藤原啓が提供した最高の陶土を用いた魯山人の作品から、彼らの器からみられる土味の良さや、窯変の見事さを感じる作品は少ない。

土をこねず、ろくろをひかず、せっかちだったためしばしば窯出しを焦ったという魯山人にとって、陶芸とはきれいでうまい器を産み出すことが眼目であり、土や焼き、釉薬に対するこだわりはあまり持っていなかったのだろう。

一方、河井寛次郎や金重陶陽は、芸術家である前にまず陶工だ。

陶工は、造形意識と同様に、ある意味それ以上に、土味や焼き、釉薬に対し強いこだわりを持つのが普通だ。

魯山人の器はそのきれいさ、うまさに比して、腹にずしっと来るものがないと以前から思っていたが、その理由は土味や焼き、釉薬へのこだわりのなさによるものではないか、と最近気づいた。

とはいえ、魯山人の器に料理を盛ると、とんでもなく見事な世界を作り上げることも、また事実だ。

20年以上前、東京・銀座の割烹で魯山人の器に盛った日本料理を頂いたが、料理と器とのマリアージュがとても素晴らしかった。

見事な器に料理を盛ると、しばしば料理より器が勝ってしまうことがあるが、魯山人の器は料理を持ってこそ完成形ではないか?と思うほど料理と見事に調和していた。

魯山人の器の厚みのなさ、芸術性の乏しさは、土や焼き、釉薬に対するこだわりのなさだけではなさそうだ。

それは器と料理とのマリアージュを考えた結果であり、料理を盛って100%の美しさを引き出すように意図したものだと思う。

結論。魯山人の器は美術館で鑑賞するためのものにあらず。

日常の食生活で用いてはじめて、その美しさを十全に感じることができるのだろう。

とはいえ、魯山人の器を買うことも難しいし、魯山人の器で料理を供する割烹はお値段がかなり張るから、おいそれと行けない訳である。

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