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イデミ・スギノ①〜素材より素材らしく


「イデミ・スギノ」

東京・京橋のパティスリー。

僕が約四半世紀前、初めて「食べ物に負けた」と感じた飲食店(当時は神戸・北野に所在)である。

それまで食べた美味しいものは「なぜ美味しいのか?」が五感を通じて理解できた。

しかし「イデミ・スギノ」のケーキは、そうではなかった。

いや、かろうじてスペシャリテの「アンブロワジー」は腑に落ちた。

しかし、その時同時に注文した木苺のムース?は、風味があまりに複雑。

木苺の酸味が明確で、なおかつリキュールを効かせた大人の味わい。

旨い。べらぼうに旨いんだけど、「なぜ美味しいのか?」が当時の僕はよく分からなかった。

五感が組んず解れつするような、混沌。

思わず「負けた」と思ってしまうほど、僕はその時の美味しさを十分言語化することができなかったのだ。


それから時は流れて、2019年。

東京・京橋に移転した「イデミ・スギノ」を再訪した。

スペシャリテの「アンブロワジー」は既に完売したので、イートイン限定の「マリエ」(木苺とピスタチオのムース)と、「ブレジリエンヌ」(コーヒーとキャラメルのムース)を注文。

ケーキが運ばれてくると、その見目麗しさに瞠目。「イデミ・スギノ」は店内撮影禁止なので、画像を紹介できないのが残念なぐらい。

「マリエ」を一口頂く。

口の中で、木苺の酸味がフランボワーズの蒸留酒を纏い、特徴的に浮かんだかと思ったら、儚いほどすぐに消えていく。

次の一口で、木苺の酸味とピスタチオのコクが相まって、得もいわれぬ感覚。

酸味とコクのマリアージュ。

しかし、くどさがない。口に雪を含むように、淡く儚いのだ。

その時、僕の脳裏に閃光が走った。

これだ!約四半世紀前に「負けた」と感じたのは!


「イデミ・スギノ」のケーキ。

それは口どけの芸術。

淡すぎると印象が残らない。さりとて、濃厚だとくどくなる。

ムースの口どけの妙なること。舌の上で散り際の桜花のように儚く、夢のような愉悦を感じずにはいられない。


オーナーパティシエ・杉野英実氏の著書『「イデミ・スギノ」進化する菓子』(柴田書店、2017)に次のような記載がある。

現在のフランスでは、お菓子に酒をあまり使いません。しかし、フランスには素材に合うたくさんの酒があります。お菓子に酒を加えることで素材の味がより一層深く表現できると僕は思っているので、使うのをやめませんし、量を少なくすることもありません。『イデミ・スギノ』のお菓子には、酒が必要不可欠なのです。(「酒でお菓子の持ち味と素材の香りを引き出す」)

レモン汁はよく使います。フルーツの色どめ目的もあるのですが、その酸味が甘いものの味を引きしめて素材感を出すには不可欠です。フルーツのムースでもかならずレモン汁を加えることで素材の持ち味を最大限に引き出し、フレッシュ感を表現できます。(「酸味の魔術ー素材感を浮き立たせる」)

僕はふと思い出した。先年伊勢志摩サミットの舞台となった「志摩観光ホテル」の総料理長を長年務めた、高橋忠之氏の至言を。

〈火を通しても新鮮、形を変えても自然〉これこそ料理の真髄と私は思っており、たとえば一度自然をこわして作った日本庭園のなかにみる、姿を変えた自然の見事さに似ているとも思っております。(『料理長自己流 海の幸スペシャリテ』中央公論社、1981)


「素材より素材らしく」

杉野英実氏の初めての著書のタイトルでもある言葉。

字面だけ見れば、素材が最も素材らしいはずで、技術によって「素材より素材らしく」するのは、何か詐術のようにも思ってしまう。

しかし、それは違う。

論より証拠。一度「イデミ・スギノ」のケーキを味わえば、杉野さんの言う「素材より素材らしく」の真意が、きっと伝わるはずだ。


今回は、僕の個人的体験を杉野さんの著書の記載と重ね合わせて論じました。

次回はそんな杉野さんの「個性」について、彼の著書から一層深く掘り下げてみたいと思います。


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