見出し画像

日本映画屈指の名作「人情紙風船」

山中貞雄監督作品『人情紙風船』を観る機会があった。初めて見たのは今から約四半世紀前、既になき東京・千石の三百人劇場だった。

『人情紙風船』は日本映画史上屈指の名作。

僕も約20年ぶりに再見した。(前回は映画館でのリバイバル上映)

『人情紙風船』は、河竹黙阿弥作の歌舞伎「梅雨小袖昔八丈」(通称「髪結新三」)をモチーフにしたものだ。

「髪結新三」は、主人公の新三が豪商・白子屋の一人娘お熊を誘拐し、白子屋から大金を得ようとするストーリー。

悪人の新三が、胸のすくような啖呵で白子屋や街の顔役・弥太五郎源七から大金を巻きあげるシーンが、戦前の庶民に大きな喝采をもって迎えられたのである。

映画『人情紙風船』では、「髪結新三」のストーリーに加え浪人・海野又十郎夫妻の話を描いている。

海野又十郎は、新三と同じ長屋に住む貧乏浪人。

海野の父に世話になった某藩の高官に仕官を願うも、高官は海野の話も聞かず追い返し、挙句の果ては顔役・弥太五郎源七の子分たちに白昼暴行を受ける始末だ。

その日暮らしでも明るい新三や長屋の住人たちに対し、仕官の道を断られ続ける海野夫妻の生活は、ただただ陰鬱だ。

悪事をし生き残るか、陰鬱な生活を余儀なくされる武士の姿に対し、貧しくとも明るい庶民の生活を対峙されて描いたことが、『人情紙風船』を反戦・反権力映画とカテゴライズする向きもあるようだ。

この映画に出演した前進座の主要メンバーが、当時から日本共産党のシンパサイザーとして知られ、戦後に集団入党したことを考えると、あながち的外れとはいえないだろう。

但し、僕にとってこの映画の興味のポイントは、そういうことではない。

山中貞雄監督の演出技量、見事な美術とカメラ、そして当時の前進座の役者の巧さである。

主役の浪人・海野又十郎を演じたのは、前進座の創立メンバー・河原崎長十郎。

育ちの良さそうな立派な風体でありながら、某藩の高官に足蹴にされても手をこまねくだけの無能な海野を、河原崎長十郎は見事に演じ切った。

髪結新三を演じた中村翫右衛門、海野の妻を演じた山岸しづ江も、渾身の演技である。

端役であるが、顔役・弥太五郎源七の子分を演じた、市川莚司こと若き日の加東大介の演技は、当時より光っていた。


山中貞雄監督の演出は、そんな前進座の芸達者な演技陣をまとめ、欲にまみれた武士や豪商と対比させるように、江戸の庶民の貧しくとも明るい暮らしを印象的に描写した。

梅雨時の雨のシーン、梅雨の晴れ間のシーンを、ハリウッド帰りの名カメラマン・三村明を得て、1937年の映画とは思えない構図・逆光の撮影技術を駆使し、美しく仕上げている。

また、美術監督・岩田専太郎が担当した長屋や江戸の街のオープンシーンが、しっかりした時代考証と相まって、映画のリアリティを増している。


『人情紙風船』のラストシーンは、何とも暗く、救いがたい。

しかし、この映画の読後感が意外と陰鬱なものにならないのは、描写をことさら衝撃的にしない山中貞雄の抑制した演出のたまものだろう。

時勢が暗く陰鬱であっても、庶民は明るく、しぶとく、こすっ辛く生き抜いていかなければならない。

そんな庶民のタフさとしぶとさを描いた後、山中貞雄は戦地に赴き、散った。

本人もこの映画が遺作と思われたくないと語っていたが、僕も山中貞雄にはもっともっと映画を撮って欲しかった。

サポートエリアは現在未設定です。サポートしたいお気持ちの方は、代わりにこの記事へのコメントを頂ければ嬉しいです。