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20歳の自分に受けさせたい文章講義#8

今回は読者の椅子に座るについて紹介します。

①要約
 必ず文章を書いたら読者がいる。誰にも見せない日記でも、未来の自分が読者となる。読者がいるということは、読者のニーズに合わせて、文章を書かなければならない。読者のニーズに合わせて文章を書くには、読者の立場になって考えるではまだ不十分、読者の椅子に座らなければならない。

(ア)読者の椅子に座る
 読者の椅子に座るとは相手と肩を並べ、同じ景色を見ることである。しかし読者の椅子に座ることはそう簡単にできるものではなく、本当の意味で読者の椅子に座ることができる人は世の中に2人しかない。その2人とは以下になる。

①10年前の自分
 例えばあなたが有益な情報を持っていて、「10年前にこの情報を知っていたらなぁ」と思う。その時は10年前の自分に語り掛けるように文章を書けばいい。そうして書かれた文章は強度や説得力が違う。
 ただ、「10年前の自分に語り掛けるように文章を書いても誰が見るんだ?」と思うかもしれない。しかし、10年前の自分に書くことは必然的に、今それについて悩んでいる人に向けての発信なっているのだ。そう、10年前の自分の悩みは今どこかで誰かの悩みになっている。
 つまり10年前の自分に向けて書く=今を生きている見知らぬ人に向けて書くと同じなのである。そうすることで、10年前の自分に書くことが読者の椅子に座ることができるのだ。

②特定のあの人に書く
 読者は年齢層や年収、どこに住んでいるのか、考えたら何万通りのパターンがあるので、それに合わせて書くことは難しい。
 また、多数派に受け入れるためには、当たり障りのない文章、八方美人になる必要があり、そうして書かれた文章は魅力がない。つまり、多数派に読まれるように書くと、読まれない文章が出来上がる。
 反対に少数派に限定することで、どういった人が読むのか限定しやすくなり、魅力的な文章になってくる。

だが、著者はこうも付け加えている。「読み手の椅子に座るには、たった一人の椅子に座らなければならないが、それだけでいいのか。」
ここで文を1つ引用している。


「もともとひとつの本は、内容で読むひとを限ってしまうところがある。これはどんなにいいまわしを易しくしてもつきまとってくる。また一方で、著者の理解がふかければふかいほど、わかりやすい表現でどんな高度な内容も語れるはずである。これには限度があるとはおもえない。」(改定新版『共同幻想論』吉本隆明/角川書店)

 著者が深く理解し、読者のわかりやすい形で文章表現をすることで、どんな専門的な文章でも、語ることができると言っている。
 読者の椅子に座るとき、特定の人を思い浮かべ、特定の人向けに、専門用語を多用すれば、特定の人には魅力のある文章になる。専門用語が仲間意識のようなものをつくるからである。
 しかし、専門性に溺れるほど、文章は雑になってしまうので、どんな文章であれ、読者に甘えることなく、本来やるべきをわすれないことが重要となってくる。
 椅子に座るたったひとりのだれかではなく、自分でもなく、もう一人の読者を想定する。ここでのもう一人の読者とは、まったくその分野に関して知識のない他者のことである。

②感想
 自分が過去悩んできたことをブラッシュアップし、当時の自分は何を考えていたのか?状況は?どうやって解決したのかを整理することで、自分の過去の体験に自分だけでなく、他者にとっても価値が見出せることに感銘を受けた。自分が経験してきたことでも、他人のためになれるという実感がわいてきた。
 また、専門的な文章を書くとき、どうしても専門用語を使った方がかっこいいと思ってしまうことがあり、自己満足になっていることが多々あったため、自分が書く文章には必ず読者がいることを忘れずに、書いていきたい。





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