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20歳の自分に受けさせたい文章講義#9

今回は生理的に嫌な文章と読者の読む姿勢について紹介します。

①要約

(ア)生理的に嫌な文章に注目する
 よく手あたり次第文章を読めと言われるが、あながち間違ってはいない。ただ、読み進める上では1つ注意しなければならない。それは、手あたり次第文章を読む中で、自分の好き嫌いをはっきりさせながら、感情的に読むことである。人は好きより嫌いの方が根深い理由があり、嫌いと思った文章を徹底的に理由を掘り下げることで、自分が著者としてどうありたいかを考えることができる。
 なので、本を読むときは嫌いに注目すると良い。

(イ)読者がどういう姿勢で読んでいるのか考える
 読者は通勤中に読む人、カフェでゆったり読む人、時間の合間を縫って読む人など様々である。そのなかで真剣に集中して読書をしている人はどれくらいるだろうか。なかなか読書だけに集中している人は少ないと思う。鼻でもほじりながら読んでいるのではなかろうか。
 そうした場合、著者が1年かけて真剣に作った文章でも、ところどころ読み飛ばして2時間足らずで読者は読むかもしれない。自分がしっかり盛り込んだ文章でも、読まれなければ意味がないし、読まれないのは書き手の責任になってくる。
 では、どうやったら読者を文章に引き込むことができるか?
結論は読者を説得するのではなく、納得させる。説得は押しのアプローチなので、どうしても作用・反作用の力が生じてしまい、反発されやすい。しかし、納得は引きのアプローチのため、歩み寄ってもらうことが可能である。①説得・・・押しのアプローチ(読者を押し切る)
②納得・・・引きのアプローチ(読者に歩み寄ってもらう)

 たとえばおじいさんに対して「情報化社会なのでスマホが必須です」と言っても、私には必要ないと言われてしまう(説得)
反対に「スマホを持つことでお孫さんとどこでもお話しできますよ」と言い、人の最大の関心を引き合いにだすことで、納得し歩み寄ってもらうことがあるかもしれない(納得)。
 また、他人事では人は動かないので、当事者意識を与えなければならない。当事者意識を与えるには、読者を議論の場に挙げる必要がある。
具体的には、一般論とは違う独自の仮説を書き、それを一緒に検証作業する展開へと持っていくことで、読者自身がプレーヤーとなるのだ。

②感想
 読書だけに限らず、自分がどうありたいかについて日ごろから考えているが、考えすぎて何が何だか分からなくなってしまうことが度々ある。その時はまず、「自分はどういう人になりたくないか」をピックアップすれば、自然となりたい自分が見えてきそうである。「嫌いなものに注目し、徹底的に掘り下げる」いい言葉をもらった。
 あくまで文章をどう扱うかは、読者に委ねられているので、納得させるように、自然と読者に当事者意識を与えれるような書き手になっていきたい。



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