欲しがりチャットレディ・澪(序)

澪(みお)42歳、専業主婦。
これがワタシの今の肩書。多分これ以上でもこれ以下でもないと、自分では思ってる。

いわゆる中流階級の家で次女に産まれ、特に大きなトラブルに巻き込まれたり、人生変えるような大恋愛をしたりすることなく、ソコソコの短大を出て、地元の会社に事務員として就職し、その一つ上だった先輩から告白されてお付き合い、そして結婚。彼の両親と同居して、2年目には長男を出産。
そして現在に至る。

履歴書に書いてみたらなんて面白味のない人生なんだろう、って思うこともある。
でも澪は自分なりには一所懸命にやってきたという自負もある。
妻として、嫁として、母として。ときには、娘として。

友だちも「澪はマジメよね〜」って言うし、自己分析するなら、楽天家…かな。
ワイドショーのコメンテーターの臨床心理士の言葉を何となく聞きながら、そんなことをぼんやり考えていたら、
スマートフォンの着信音が鳴った。

画面に映し出されたのは、先月の同窓会で久しぶりに会った美子だった。

「もしもし…あ、美子。この前はどうも」
「あ、澪、今大丈夫?」
「うん。テレビ観てたとこ。どーした?」
「有閑マダム満喫って訳ね。こちらこそこの前はありがとう。久々に色々話せて嬉しかったよ。まだまだ話し足りなかったんだけど、澪、二次会で帰っちゃったんだもん…」
「ごめんごめん。次の日が子どもの部活早かったもんだから…」

美子は、高校時代のクラスメイトで、澪と特別仲が良かった訳ではないが、修学旅行の自由行動では同じグループだったくらいの関係である。どちらかいうと目鼻立ちがハッキリした美人で、マドンナなんて呼んでいる男子も居た。当時は大学生と付き合っているなんて噂も耳にしたことがある。
当然、先日の同窓会でも男子に囲まれていた。

澪も声はかけられたが、
「えっとー、君、名前何だっけ?顔は覚えてるよ。ホントホント。俺、わかる?そう言えばさ、美子ちゃん、来てんでしょ。ドコドコ?あー、居た居た。ちょっと行って来るわ」
てな感じで、男子のお目当ては十中八九美子だったように澪には感じられた。

そして美子も、それに応えるためではなかろうが、若々しくオンナの魅力を振り撒いていた。
そのフェロモンに当てられたオトコ達に先導されて二次会が居酒屋で行われた。
澪もそこで何人かの男女と談笑していたのだが、電車の時間に合わせて中座したのだった。

「あの後、結局カラオケで三次会になったんだけどね…」
「えー、遅くなって大丈夫だった?ご主人」
「大丈夫、大丈夫。あっちはいつも接待で午前様だから。こっちは毎日家のことやら子どものことやらがんばってんだから、たまにお酒呑んで遅くても言われる筋合いは無いわよ。もしギャーギャー言ったら、ベッドの中で静かにさせればいいんだから」
「ベッドの中って…」
「ウフフ、ジョーダンよ。それでね、三次会のときに、あの、田村クンって来てたでしょ。バスケ部の」

澪に声かけてからすぐ美子を追いかけて立ち去ったあの男子のことだ。

「ああ、うん、来てたね。あまり話せなかったけど」

「それがね、田村クン、しつこく誘うのよ。どっか行こうって」
「えっ、で、まさか、付いて行ったの?」
「他の人に言っちゃダメよ。ちょっとだけ“御休憩”しちゃった…」
「ええっ、それってつまり…」
「深い意味は無いし、ズルズル付き合う気なんて全く無いのよ。一夜のアヴァンチュール。彼、すごく感激してくれて、お小遣いまで貰っちゃった。でも、電話番号も交換してないし、それっきり。いいじゃない、たまには。あ、もしかして、田村クン、澪の学生時代の憧れだったかなぁ…そうだっけ?そうだったら、ゴメン」

全くそういうことではないのだが、あまりにあっけらかんと不貞を告白する美子に澪は圧倒されていた。

「あ、そうだ澪、今日電話したのはね、ふしだらなワタシの下半身の話じゃなくって、頼みがあるのよ」
「え、何、何?」
「助けてくれないかな〜と思って。実はね、あるご縁でチャットレディのアルバイトをしてるんだけど」
「えーっと、ごめんよくわかんない。チャットレディって、何?」
「パソコンでテレビ電話できるじゃない。アレで男性と会話する訳。男性は有料会員で、話す時間だけお金を払ってくれるのよ。女性は話した分だけ分単位で稼げるという仕組み」
「昔あったテレクラみたいな感じ?」
「うーん、まあ、近いけど遠からずかな。でも出会い系じゃないから怖いことないし、顔出さなきゃ誰だかわかんないしね」
「で、美子はそのアルバイトしてる訳?」
「そーなの。頼まれちゃって。ま、ソコソコの副収入にはなるし、割のいい在宅ワークよね。で、頼みっていうのが、澪もやらないかな、って思って。澪のお家、パソコンあるよね?」
「有るのは有るけど、旦那と共用だよ。それに、知らない男の人と話すなんてムリだよ〜」
「ウチだって一緒。旦那が仕事に行って皆留守のとき少しだけやってる。メールとかはスマホに来るように設定しとけば問題ないし。登録だけでもいいの。誰か紹介してって頼みこまれちゃって。お願い!同級生のよしみ!」
「助けにはならないと思うよ。登録だけで美子がいいんなら…」
「ホントに?!嬉しい!助かる〜。やっぱ持つべきものは学生時代の友よね。後で登録方法とかメールするから」
「わかったわ。言っとくけど、登録だけだよ。危なくないよね?」
「大丈夫。あ、当たり前だけど本名名乗る必要ないからね。私はチャットでは“美麗”さんなのよ。プロフィールだって少々ウソついても分からないし。ま、もし気が向いたら話してみたらいいわよ。黙ってても繋がったまま時間が経過したらこちらの収入だし。ただ見てて、なんて人もいるし。よろしくね。じゃ、また今度時間つくってお茶しましょ。今日は突然ごめんねー。ホントありがと」

そう言って電話は切れた。
嵐のようだった、と澪は思った。
ま、元々そんな彼女ではあったが。高校時代にクレープ屋のバイトに引き込まれたときも、短大時代に急遽合コンの人数合わせをさせられたときも。
でも、どのときも結果的には悪い思いをしていない自分がいる。その感覚が、どこかで澪自身を安心させていた。
美子の誘いなら、悪いようにはならない。
そう自分に言い聞かせて、澪は夕飯の支度を始めた。

美子からの登録手続きについてのメールはその夜の内に届いて、その手順に従って澪はチャットレディの仲間入りをしたのだった。

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