片付けの途中で・・・

2022年5月15日日曜日

引っ越し後の片付けきれなかった荷物の中から、昔Macのバックアップをとっておいたと思われるCDR・DVDRがたくさん出てきた。
その中に当時の出来事を日記に書いた様な作文があったので、ここにバックアップしておこうと思う。
何分昔の文章なので、記憶の補修・今の時代にそぐわない表現・言い回しなど若干の手直しておく。
では、はじまりはじまり。


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ああ 紅葉の昇仙峡(1997年11月)

登場者

 ・アウトビアンキ A112アバルト 
私の愛車。イタリアの車。85年式、中古をGSTで購入。今年で丸5年乗っているが、そのうちの半年以上は入院生活をしている。
故障回数、原因不明のエンスト数知れず。
同乗したために押す羽目になった方、家が近いからって雨の降る夜中に牽引させられた方、ご迷惑掛けました。
そしてこれからもよろしくお願いします。
修理に費やした金額はもう一台買える額になっている為、燃えるまで乗るつもりでいる。

 ・GST  
イタリア、フランスの車を扱う店。クラッチワイヤーの交換に一週間かけるお店。それ以来行ってない。

 ・DESTINO  
GSTにいた人が店の経営方針に異を唱え、昨年4月にオープンした、ビアンキを修理に出しているお店。
昨年の夏ごろ、壊れたフロント周りの修理にいろんな店を回るが、部品がない、30万円はかかると脅され、困っていたときにたまたま『カーセンサー』で見つけた。
「イタリア車、フランス車の故障で困っている方、修理だけでも承ります」
このコピーは俺の事を言っている!と思った。ちなみにその修理は3万円で済んだ。
この広告の発見はまさに運命と感じている。

 ・鶴岡さん  
DESTINOの店員さん。オーナーは別にいるらしいのだが実質的にお店を切り盛りしてる人。見かけとは違うキレた走りのランチア乗り。
俺とお話しするまでジミヘンは生きていると思っていた。

 ・斉藤さん  
DESTINOの店員さん。『カーセンサー』を見て電話したとき、その日は定休日だったにもかかわらず話しを聞いてくれたやさしい人。
長身、ロンゲ、イケメンの好青年。マンガオールマンの「J」に似ていると密かに思っている。

 ・石田さん 
年上のお友達。 
遺跡発掘作業員さんの親方という仕事を隠れ蓑に、薬の売人の様相を呈するギターを弾き。全塗装し直した白いロードスターにのっている。
ロンゲにヒゲという風貌の為、子供に「タオパイパイ」と言われた事があるらしい。

 ・タオパイパイ 
漫画「ドラゴンボール」に出てくる強い人。

 ・ゴンちゃん 
ロックバンド『GERONIMO(ジェロニモ)』の酋長。現在、楽器を弾かないミュージシャンとして山梨でコンポーザーとして活躍している。
ポニーキャニオンの姫神・喜多郎との2枚のカップリングCDはお香付きである。

 ・阿部さん 
ロックバンド『GERONIMO』の班長。ドラマー。部屋は違うがゴンちゃんと同じマンションに住む。
トライアルを趣味とするが、80万円もした愛車の「ガスガス」は壊れたらしい。

 ・ガスガス 
スペインのオフロードバイクの専門メーカー。

 ・ブラボー 
仕事場に置いてある三菱の軽自動車。ビアンキが入院するときは代車になる事が多い。

 ・俺
私、ポンタ17号。
神奈川県在住。昔、3人組ロックバンド『GERONIMO』でギターを弾いていた。
現在、遺跡の発掘現場で主任調査員としてちょっとだけ偉そうに土を掘る。

 

第一章 サーキット


  
  1997年11月5日 
今日は山梨のサーキットでDESTINO主催の走行会。
楽しい1日になるだろう・・・

早朝4時半、昨夜からの緊張であまり熟睡できず、眠い目をこすりながら顔を洗う。

以前ゴンちゃんちにバイクで行ったとき、相模湖インターまで昼間にもかかわらず1時間も掛ったので、朝だったらどれくらいかかるかわからないから早く行って寝て待つことにしていたのだ。

6時、ご近所のことを考え暖気もそこそこに出発する。
『あれっ、空いてるな~。』
そう、朝7時前なら混んでいなかったのだ。

集合場所の中央高速談合坂サービスエリアに7時10分に着いてしまった。
やや寒かったが予定どうり寝る。目覚まし時計を忘れたが寝過ごしたら誰か起こしてくれるだろう。

目が覚めたのが8時半、ちょうど良いと思い起きて、高くてまずいホットドックとコーヒーで朝食をとる。

そろそろ集合時間の9時だ。誰か知ってる人はいないか辺りをうろつく。
ふと見ると、二つのグループを見つけた。

ひとつは25~35歳位で、女の人も何人かいる和気藹々としたグループ。
ビデオなんかを撮りながらやたら楽しそうである。

 『こっちなら大丈夫そうだな~。』

もうひとつのグループは年齢不詳、禿げた髭面、寒そうなジャージの人など、一癖も二癖もある危なそうな人ばかり。

『当然こっちのグループだろうな。』と悲しくも直感した。
しかし、声を掛けるのは怖いので、遠くから誰か知ってる人が来るのを待つことにした。

『おっ、あれは鶴岡さん!』やっと知ってる人が来た。
あ~あ、やっぱりあの危ないグループの方に歩いていった。
覚悟を決めて皆さんに挨拶した時には9時半を回っていた。

サービスエリアに集まった車はすごいのばかり。
ロータスヨーロッパ、エラン、バーキン スーパーセブン、旧いアルファ、ランチアデルタ等など。
おいおい、スーパーカーばっかりじゃん!

お店で走行会に誘われた時に鶴岡さんは言っていたよね。
「ま、速い車もいますけど、Y10やパンダも2、3台来ると思いますよ。
 大丈夫ですよ、ゆっくり走りますから」って。

ノーマルのちっこい車なんて俺しかいないじゃないか!
ちっちゃい車も来るって言ってたじゃないか。うそつき!
やっぱり止めとけばよかったかな~。
ここで一つ後悔。

鶴岡さんの説明ではそこのサーキットは初めてで、誰も行ったことがないので慎重に走るそうだ。
ああ、ちょっとは俺のこと気づかってくれてるのかと安心する。

んで、出発!
好きな順に出ていく。
最後だとおいてかれそうなので真ん中あたりで走り始めた。

ビアンキで高速に乗るのは今回が始めて!
タイヤのバランスが崩れているのか100km程出すとガタガタ震え出す。
『だいじょぶかぁ~?』
いつの間にか何台かに抜かれ、ビリを走っていた。
でも、ほんとにゆっくり走ってくれているので、助かった。

しばらく走っていると、遅れてきたと思われるきれいなブルーメタリックのフェラーリ328GTSがえらい勢いで走って行った。

やな予感・・・・・・

的中・・・・・・・・

フェラーリが先頭に追い付いたと思われる頃からペースが上がり始めた。
 『マジかお~!』
ただ今時速150km! ビアンキは結構走る事をこの時知った。
 『でもこのくらいにしておいてね!』 天に祈る。

天に通じたらしい。
しかし通じすぎたらしい。
先頭グループが走る下り坂の先が工事中で、右の車線に割り込むため減速したのだ。
その減速が俺の所に来たときは急ブレーキという形で襲ってきた。
150kmからの急制動。
と、止まらない。

前のバーキンセブンが近づく。近づく。近づくう~。
が、前のほうが空いたのかセブンはキュッ!といったかと思うと
     バボボ~ンンン と急加速して行った。

離れる 離れる 離れる 離れる 離れる.............
『お~い、おいてかないでくれ~。』
そんなことの繰り返し。
しんどいよ~。
高速の旅は続くのだった。

高速降りてからサーキットまでの山道、みんな速いのなんのって!
ここはまだサーキットじゃないよ~。
俺が最後尾なんだからおいてかないでくれ~。
二つ目の後悔。もホント帰ろうかな~。

サーキットに続く路地の入り口がとても解りにくい。
目印の看板の所に鶴岡さんが立っていてくれなかったら、簡単に通り過ぎてしまっただろう。
そして狭い砂利道をクネクネと山の方に登っていく。

車一台がようやく通れるくらいの狭いトンネルを抜けると見えた!
おお、これがサーキットかぁ。思ってたより狭いな~。
山の斜面に造ってあるから遊園地のジェットコースターみたいだ。

すでに来ていた人、後から来た人あわせて32台が集まった。
ちょっとワクワクする。

そんな時、うちらが走る前に来ていた他のチームの奴らが走り始めた。
うわっ、すごい音!
おいおいっ、そんなスピードで突っ込むのかよぉ!ちょっとビビる。

そんな中、集合の合図で集まるとサーキット場のあんちゃんがシグナルや旗の説明をし始める。
気軽に走れると聞いていたのに、いろいろ厳しいことも説明しているので、気軽すぎたなと反省する。

説明が終わると車検を行うという。
『えっ、車検だぁ?やばいっ!』

今回の車検とは安全性の問題でぶつかった時にすっ飛びそうなものはちゃんとくっ着けとくとか、ひっくり返ったときにつぶれないようにしておくとかである。

なので俺のシートの様に切って貼った物は強度不足で駄目かもな~。
どうしよ~、ここまで来て走れなかったら!
車検があるなんて聞いてなかったからあんなシートの着け方したのに!
三つ目の後悔。 

  *注釈
カーブなどで身体が揺さぶられない様に腰や肩を包む「バケットシート」。
そのままでは取り付けられなかったので、純正シートの皮を剥ぎ、スポンジを      取り払い、フレームだけにし、更に鉄ノコでぶった切り、ドイトで買ってきたステーをボルトで締め上げ、2日間掛けてこの日のためになんとか形にしたのだった。
もちろん陸運局の車検には通らない。(うそ、まぐれで通った事がある!w)

ドキドキしながら革ジャンで何気なくシートを隠す。
素人の走行会になどに真剣に検査などはしないのであろう。
何事もなく車検に通ってしまい、O,K,印のステッカーを貼ってもらった。
ほっと一安心。

ゼッケン付けて、ライトやウインカーにガムテープを貼り、準備O,K,!

慣熟走行(ウォームアップ)の一班目が走り始めた。
見てるだけでも興奮と緊張が渦巻く。
さあ、順番が回ってきた。よし、行くぜ!
セルを回す。
 『ん。』

もう一回セルを回す。
 『あれれっ。』
掛からない。

エンジン止めてずいぶん経つからな。さらにセルを回す。
  『およよよっ。』
 ウィンウィンウィンボボボ・・・・・

 『うそっ、エンジンがかからない。マジかお~。』

 ウィンウィンボボ・・ンンンンボボ~~ンンンバオ~ンンンボッボバ~~ン

 『おおっ。!!!!かかったあ~!。』

そう、こんな所で止まっている場合ではないのだ!
この日のために石田さんから貰ったコブラのシートをえらく苦労して取り付け、ポジションを良くしようとmomoのハンドルに換え、奮発してシフトノブまで革巻の丸い奴に取り替えたのだ。
かかって当り前だろっとアクセルをあおる。

バオ~ンバオ~ンボ~ンンボ~ンボボボボンボン
バスンバスンバババンンンンンンンンン・・・・・・・・・  ・ ・   ・ 

 しぃ~~~~~~~~~~ん 

  『えっ。』

「しぃ~ん」てなんだ、「しぃ~ん」って!。
今かかったでしょ、エンジン!なんで止まるの? 
高速順調に走ってきたじゃないか~。
なぜ?なんで今なの?

そのあといくらセルを回してもエンジンがかかることはなかった。

なんてことだ、こんな肝心なときに動かないなんて。
みんなはもう走り出してそこには誰もいない。
俺だけぽつーんと取り残されてしまった。
焦りと緊張が混ざりあい、喉が異常に乾く。
何をどうしたら良いかも解らなくなっていた。

慣熟走行が終わり、第1ヒート(模擬レース)が始まってしまった。

走行会が始まっているのに駐車場にボンネット開けて止まっている可哀相なちっちゃい車に人が集まってきた。
心配してだか、面白がってだか、いろんな人が代わるがわるプラグに火は飛んでるかとか、アクセルあおってみろとか言ってきてくれる。
が、そんなんで直れば修理屋はいらない。

とりあえずエアクリーナーをはずしキャブを見るがガソリンが来ていない。
ポンプの前のホースをはずすがここにも来ていない。
うわ~いよいよ何をしていいか解らない。

その緊張と焦りからか今度は体中が異様に熱くなる。
さっきまで寒いと思っていたのに、今はエンジンルームの中にボタボタと汗が滴り落ちる。

そこへ、
こんなこともあろうかと用意したと言っていた、黒いケースのレンチセットを手に持って、スーパーマンのごとく颯爽と鶴岡さんがやって来た。

 『おおっ、後光がさしてる~。』
インテグラーレに映る太陽がまぶしかった。

鶴岡さんは俺が半端に外したエアクリーナー、キャブをてきぱき分解し、
「ポンプかなぁ~」とポンプを外し始めた。

「エクステンションの長いのある?」

なにも解らない俺は、手術のときの助手の様にそばに付き添い、言われたものを渡すだけだった。

 『工具積んでてよかった~。』
そう思ったのは今日で85回目だが、今回は特にそう思った。

ポンプを外し、分解。早い早い。
応急処置をして貰う。
ガソリンポンプが固着してしまっていたらしい。
また交換する部品が増えてしまった。

ポンプは取り付けたが、井戸水をくみ上げるのと同じで呼び水か吸い上げが必要となる。
予備のガソリンはないので、吸い上げることになった。

鶴岡さんはオエオエ言いながらも口で吸ってみてくれた。
しかしダメだった。2、3度やったがダメだった。
苦しそうな鶴岡さんを見て『俺がやります!』と言えない自分が情けなかった。

昔スタンドでバイトしてた頃、ホースを使って軽油を吸出したことがある。
結果、軽油はうまく流れ始めたのだが、その時一口飲んでしまったのだ!
そのあとは気持ちが悪くなって一日中オエオエ言って仕事にならなかった。
そんな記憶が脳裏をよぎり、言葉が出なかったのだ。

しかし、鶴岡さんは俺のためにオエオエ言っている。
なにか出来ることは・・・そうだ!

『事務所に行って灯油ポンプか何か借りてきますよ!』
鶴岡さんが苦しむ前に借りに行けっつーの!自分を叱った。

事務所に行くとお姉さんと呼ぶには難しい女性が二人いた。
いきさつを話すと、向こうにいる人に言えば借りられるとのこと。
お礼を言い行こうとすると、
 「あの~、鶴岡さんって方に
     ガムテープ代670円がまだですって伝えてくれませんか?」
鶴岡さん、俺の車直してくれてるんだぞ~。

 『あっ、じゃ俺が立て替えておきます。とりあえず領収書を・・。』

領収書を貰い、向こうに灯油ポンプを借りに行こうとしたとき、
 お~~い!と呼ぶ声。
声の主の鶴岡さんの手には灯油ポンプが握られていた。
遅い俺を待ち切れずに自分で借りてきてしまったのだ。

 俺の役立たず~。

気を取り直して燃料ポンプのホースに灯油ポンプを着ける。

 しゅぱしゅぱしゅぱっ!じょろじょろじょろ~~

きっ来た~!ガソリン来た~。
  「セル回して、セル。」

何でもないことなのに一所懸命セルを回す俺!
ポンプが動けば自然とガスが来るはずである。

   じょろじょろじょろ~~

おおっ!来てる来てる。
鶴岡さんは素早くキャブを取り付け、セルを回すよう俺に言う。

セルを回す。
 ガオガオガオガオガオブボボボボ~ンンンん

おおおおおおおお!やった~、エンジンがようやく掛った。

鶴岡さんは自分の走る番が近づいていたので、
数本残ったキャブのねじを締めておくよう俺に手渡し、行ってしまった。
手渡されたねじを締め、エアクリナーを取り付け、もう一度エンジンを掛け直した。

 ボボボバボ~~~~~~ンンンン

おおお、直っている~~~~ん。
鶴岡さん、ありがとうございました。助かりました。
これで走れます。
シートを着けた甲斐があります。
ハンドルを換えた甲斐があります。
シフトノブ丸くした甲斐があります。
ここまで来た甲斐があります。
心から、そして何度も何度も感謝した。


鶴岡さんが走るのを見る。
一見、中華料理屋「満腹亭」のおやじみたいだが、車に乗ると人が変わる。
うっひゃ~。他の人とは明らかに走りが違う。
コーナーの立ち上がりでけっとばされた様に加速していく。
さすがマルティニカラーのインテグラーレに乗ってるだけあるゼ。
第2ヒートではブレーキが突然抜け、左のケツをヒットしてしまったのだが・・・
この車にはカメラが積んであり、この場面をビデオで見られるのは楽しみではある。

俺は第2ヒートの途中から走り始めることになったが、慣熟走行もしていないのでどう走ってよいのか解らない。
斉藤さんは『ゆっくり走っていいですよ!』と言ってくれたが、いきなり全開なんかできる訳がなくゆっくり走らざるを得なかった。

緊張のスタート。
走り始めて第1コーナー。
登りながらの左、続いて右へのヘアピン。
が、どうも坂を上らない。
すげ~急な坂だな~と思いながら走った。
 
コース見取図では解らなかったがものすごいアップダウン!
ヘアピンも半端じゃない。
シートがバケットじゃなかったら、助手席まで行ってしまいそうになる程の横Gだ。

 『これがサーキットか~、怖え~。
         鶴岡さん達はどれ位のスピードで走ってるのかな~?』

チンタラ走っている俺の横をプジョー106が抜いていく。
チンタラと言ってもメーターはコーナーで50Kmを指している。
 
『コーナーで抜くなよ~。怖え~。』俺がふくらんだらぶつかるぜ!
怖いながらもなんとなく楽しい。
速い車だったらもっと面白いんだろうなと思う。

でも、とにかくエンジンが回らない。5000回転以上で繋がないと走らないのだ!
そんなことは皆さん知る術もなく、じゃまだな~といわんばかりに抜いていく。

『ビアンキ走れ~!』
しかしビアンキは答えてくれなかった。

とりあえず4~5周回してサーキット初体験は終わったのだが、
やはり欲求不満である。本調子のビアンキで走りたかった。
山梨くんだりまで来て車が止まっただけなんてあまりにも悲しすぎる。
走れただけでも良かったじゃないか、そう思うことにする。

その後の修理に追われ、お店主催のバーベキューも食えないまま、表彰式も終わり、現地解散になる。
俺はゴンちゃんちに寄って行くため、皆とは別の道で帰ることにした。

 ゴンンンンン~ンボボボンゴボン~ンンゴッボッボン~

なんかアイドリングが安定しない。
まだ暖まってないのかな?
暖気不足を理由にして、よぎる嫌な予感を振り払った。

帰りの道はしばらくのあいだ下り坂。
アクセルもそんなに開けることもない。

平地を走って仕方なく認めることにした。
『やっぱりおかしいっ!』
前を走るダンプカーに追い付けないのだ。

サーキットと同じ調子で低い回転ではノッキングしてしまってスムーズに加速しない。
キャブか?プラグか?それともポンプの再発か?
『うわ~~!こんなことなら鶴岡さん達と一緒に帰ればよかった。』
今日最大の後悔である。しかし後悔しててもしょうがない。
とりあえずゴンちゃんの所までなんとかして行こう。

いつどんな状況になるか想像もつかず心臓はドキドキしっぱなし、ギューと痛くなる。
ものすごい精神的ストレスである。
普通の人なら耐え兼ねてJAFでも呼んでしまう所だろう。
ところが俺の場合は遠出しているということもあり、呼んでから先のことを考えるとそれも相当のストレスとなり、なんとか自分だけで走り切ってやろうと思ってしまうのであった。
そんなことを考えてるうちに、道を間違えストレスを受ける時間を長くしてしまったのだった。



どうにかゴンちゃんちの前まで来た。
あたりは薄暗くなってきていたが、阿部さんもゴンちゃんも帰ってきてなかった。
しかし、どっちにしてもこのままじゃ、家に帰れない。

     『阿部さんに何とかしてもらおうか?』

     『いや、バイクはいじれるけど車は解らないかもしれない。』

     『じゃあどうする?』

へとへとになった身体に自問自答する。

     『鶴岡さんに聞こう!』

小さな答えがようやく出た。
しかし携帯なんぞは持っていないので、電話のある場所までは車でいかなきゃいけない。

ゴンちゃんも言ってたが山梨の車のマナーは悪い!
一時停止などはしない奴が多いのだそうだ。
居酒屋は駐車場完備で、夜8時を過ぎると酔っ払った車が平気で蛇行運転をしてるという。
根性を出して、後ろからクラクション鳴らされながらもコンビニに着いた。

鶴岡さんに電話する。携帯の番号聞いておいてよかった~。心底思う。
電話する。

 「え~またなっちゃったの~。そしたらね~、
     ジェットが緩んでるかもしれないから締めてごらん。
                  それでまた電話して~。」

えっ、そんだけでいいのか?
すでに暗くなっている寒空の中、コンビニの明りを頼りにエアクリーナーをはずす。
ジェットを締める。
緩んでない。
電話する。

 「やってみた~?だめだったでしょ!」

 んなら言わないでくださいよ~。

 「近くにスタンドある~?そこで昼間やったみたいに全部はずして、
             プライマリー側の~って言ってもわかんないか。」
 はい、解りません。

 「チョーク引くと塞がるほうに棒が出てて、そこからガソリンが出るんだ~。
   それが加速ポンプだからそこをエアーで吹いてごらん。
     ゴミが詰まってるんだと思うんだ~。それで大丈夫打だと思うよ。」

幸運にもコンビニの前がスタンドだったので、そこにお願いして場所を貸してもらう。

ただいま6時。
昼間見ていたのでキャブは何とか外すことができた。
でも、アクセル開ければ棒からはガソリンが勢いよくチューチューでてくる。

原因はこれじゃないのか~?
 
愕然とする。

が、ジェット付近のパッキンの破れを発見する。
これが原因だか解らないが今の俺には気が着いた所をやるしかない。
焦る気をおさえ、汚れた手でコンビニにアロンアルファを買いにいく。

パッキンの破れを直す。

キャブ着け終わる。

ただいま8時。スタンドは8時半までと聞いている。

セル回す。

エンジン始動。おお動いた!
しかし、動くだけなら直す前から動いていたのだからたいしたことはない。
きちんと走らなきゃダメなのだ。
でももう時間がない。ダメだったら阿部さんの所に泊まって明日の朝やろう。
スタンドのお姉さんにお礼を言い、走り始める。

 ブイイイ~~~~~~~~~~~ンンンンンブボオオオオオ~~~~ンンンン

おおおおおおおおっ!直ってるううううう!やった~!これで今日帰れるぞ~!大喜びして阿部さんちに行った。

帰宅していた阿部さんは、俺のいきなりの訪問に驚きつつも暖かく迎い入れてくれた。
うどんをご馳走になり、今日の今までの事を話し、一息着いた。

ドラムの事や今の現場のこと、ゴンちゃんのことを話しているうちに、8月に買い換えた阿部さんの新車の話しになり、買い換えた経緯を聞く。

「高速でさ~、こわいことがいっぱいあって、それでいやになっちゃったんだ。」 
その話しの中のいくつかは、夜10時に高速を使って帰ろうと思っていた俺をビビらせるには十分すぎる物だった。

「じゃあ、泊まって行けば?」
そうした。
そしてこの決断はどんなに幸運な事だったかは後ほど思い知ることになる。


第二章 帰路

1997年11月6日
朝。
阿部さんが仕事に行く時間にいっしょに部屋を出る。
ゴンちゃんが帰ってくるまで車の中で待つことにしたのだが、

「試しにエンジンかけてみな。」
阿部さんが声をかける。
俺はエンジンをかける。

 ボボボバボ~~~ッムムムンンンンボボッボロロロオロ

うん。調子良し。

 「気を着けて帰れよ。」
阿部さんは仕事に行った。

もうちょっとゴンちゃんの帰りを待つことにする。
仕事場に電話をいれなければと思うがあまり早いと誰も居ないので、8時半まで車の中で寝る。

寝ながら待っていたがとうとうゴンちゃんは帰ってこなかった。
夕べ、アロンアルファを買ったコンビニに行って電話、事務所に遅れることを伝える。

さあ、行ってみようか!

気合いを入れて高速道路方面に車を進める。
走らせながら調子をみるが、大丈夫そうだ。
安心して高速に乗ってしまった。
しかし、またいつどうなるかわからない。
安心したとはいえ、ドキドキしている・・・・・



 
相模湖まで20分 

  の電光掲示板を見る。
今まで100km巡航で30分以上も走っているのだ。
これから調子悪くなることもないだろうと、ラジオに合わせて鼻歌なんか出るくらいリラックスして走行車線を走っていた。

ラジオはJ-WAVEが良く入るようになっていた。
相変わらず時速100kmでガタガタ震えている。
 『戻ったらタイヤのバランスとってやらなきゃな。』
 『あ~あと、ポンプも交換だ。また入院させなきゃ。金かかるな~。』
帰ってからの事を考え始めていた。

上り坂にさしかかり、前を走る砂利満載のダンプカーを抜こうと5速のままアクセルを踏む。
さすがに5速じゃついてこない。
4速に落とす。

 『んっ?』
ついてこない!
確かめるように3速に落とす。

 『んんっ?』
加速しない!!!

 『えっ!?』
心拍数が倍になった。
脇の下から汗が流れた。
口の中が乾いて行くのがわかる。

このあたりから相模湖周辺まではアップダウンが激しい。
下りは良いが登りは結構な傾斜が長く続く。
空いている時間なので追い越し車線を走る車は140km位出している。
更に左の車線は工事している所が何ヵ所もある。
もしもの時に路側帯に入れない。それどころか工事を避けるために追い越し車線に入らなければならない。
いつ止まってもおかしくない車で・・・

こんな調子で20分も走れない。
砂利満載の遅いダンプさえ抜けないのだ。
いや、高速を降りたとしても相模湖から家まで1時間かかるのだ。
どっちにしてもどこかで直さなければ。

サービスエリアを探した。
一番近いのは談合坂だ。そこでも10km程ある。
バカみたいに一所懸命走る。いや、走らせる。

下り坂で深呼吸ができる。

登り坂で息がつまる。

それを何度も何度も繰り返す。
あ~車から降りたい。
普段は可愛いビアンキだが今はマジでそう思う。
 

後ろから見るからに遅そうなタンクローリーが視界に入る。
遅そうなのに何故か迫ってくる!
何故!?

そう、ビアンキは登りにさしかかり80kmしか出てないからだ。
さらに登りで減速したらなかなか立て直せない重いタンクローリーはそれを嫌ってか、その様子を微塵も見せない。
 
ふと前方に目をやると「安全太郎」が旗を振っている。
なんと工事箇所だ!
赤地に矢印の看板が何枚も並び、走行車線を削っていく。
車線の幅は半分も無い。
いくらビアンキが小さいからって、このままでは追い越し車線にはみ出してしまう。

さらにビアンキのメーターはゆっくりだが確実にどんどん下がっていく。
  75km。
  70km。
次の瞬間、

 プゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ~ンンンンン

とクラクションを鳴らし、擦りそうなくらい近くを、ゆっくりゆっくり、抜いて行く、ローリーが。

窓から、手を、出せば、多分、タイヤ、触れる。
 
あ、俺、今、何?
 

本当はあっという間の出来事なのだろうが、何故かスローモーション。
この感覚はバイクで山中湖に行った帰り、カーブでコケてガードレールに刺さる直前の状況以来だ!
その時のことはよく覚えている。

テレビドラマとかで死ぬ間際、昔の楽しかった思い出がゆっくりと再生されるがごとく、バイクと一緒にアスファルトの上を滑りながらゆっくりとガードレールが近づいてくるのである。
あまりにもゆっくりなのでなんとか回避できそうなのだが身体は動かない。
徐々に近づくガードレールが目の前に来る。
ここまで体感約10秒!(実際は1秒もかかってないはず)
次の瞬間、バイクがガードレールにぶつかる音と共にスローモーションは止んだ。
そして電池を入れ直した時計の様に普段の時間が流れ始めるのだった。
何年も前のことなのにとても鮮明に覚えている。
なのに、タンクローリーに抜かれた後のことはよく覚えていない。




Pのマークが見えた。
実際、ものの数分だったであろう。
スローモーション感覚が続いたのか、何時間も走ったように思えた。
 
とりあえず駐車場に車を停め、一番したかった事、車から降りた。

 『あああ~~~~~~~~~』と声が出た。

結構な声量だったに違いないが周りの目など気にせず、生きてここに居ることをとりあえず喜んだ。
そして安堵と共に緊張が溶け、一気に疲労感が身体にのしかかる。
が、休んでいる暇はない。

さて、直さなきゃと思ったが今度はどおすりゃいいんだ?
破れたパッキンは直したし、何をしたら良いかわからない。
一服してコーヒー飲んで、結局一休みする。

そして思い浮かんだのは2匹目のドジョウ作戦。
夕べとまるっきり同じことをしてみることにした。

しかし、今日で良かった!
昨日の晩だったら寒くて暗いところでこの作業をしていたかもしれない。
阿部さんに2度目の感謝!

そして1時間後。

やってみるもんで見事に復活。
その後は無事に家まで走れたのであった。
家までは・・・・・

2時頃、ビアンキ入院の準備をするため事務所に向かう。
また途中で不機嫌になる。
スーパーで買い物してたおばはん達が、緩い坂道をエンジン6000回転も回してかなりな音を立てて、でもその割にはとてもゆっくり走るちっちゃい車をびっくりしながら見てくれる。
これが普通ですよ~みたいな平気な顔をして走っているが、かなり恥ずかしい。

そして何とか事務所にたどり着き、またキャブをバラすのであった。

さて、DESTINOに持って行くまで何回キャブをバラさなきゃならないだろうか?
長い長い2日間だった。

**************************************

 あとがき

2020年10月頃コロナ禍が続き、経済的に所持が困難になりビアンキを手放してしまいました。
28年ほど乗りましたかね。
この話の他にもいろんな事がありました。
良い思い出ばかりではないですが楽しい車でした。
機会があったらまた乗りたい車であります。
また、文中の事柄は20年以上も昔のことなのでご考慮ください。


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