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10年前、会社で夜を明かした日

東日本大震災から10年が経つ。
TVでは朝から震災関連の番組が続き、14:46に黙祷をという政府からの通達もあったようだ。
このような報道に接するまでもなく当日自分は何をしていたのか容易に思い出せる。
当時ホビー事業部は浅草の本社ビル内にあった。
当日は午後イチから編プロ氏を招いての打ち合わせを予定していて
会議室が取れず本社ビル2Fのロビーフロアで打ち合わせをしていた。
その最中に揺れた。
その大きさに身動きも出来ず様子をみて落ち着いた後に打ち合わせを終え
電車止まってるかもね…などと軽口などを叩きながら編プロ氏を見送った。
フロアに戻るとTVがつけられ速報を皆が観ている。
東北震源というのもその時知った。
デスクに着き報じられる地震情報を見ているとニュース画面は津波が町を洗いやがて呑み込んでいく様子をリアルタイムで報じている。
漁船が、車がそして家が流されていく。
その時にはもう目がTVに釘付けになっていた。
フロアの大半の社員は同様にTVに釘付けとなり、東北エリアを担当する営業氏は客先の安否を電話で確認する。
情報が入るにつれ事態の深刻さがつのり余震のたびにスライド式のロッカーが動き壁に当たる音が響く。

やがて社内放送で帰宅指示が総務から発せられた。
本社ビル前の江戸通りは渋滞している。特に下り線は顕著だった。
溜まっていた仕事を終えてから…と思っていたのでキリの良いタイミングになったのは既に夕方で社内でも「都営浅草線が止まっているらしい」という話も飛び交っていた。
江戸通りを歩いていく人の流れを眺めつつ、千葉県住まいの自分が歩きで帰ろうとしたら何本川を越えなきゃならんのか…と思い至り軽挙は控えることにした。
夜になっても江戸通りを歩く人は絶えず、買い物に出ていた社員は「食いもんどこにも売ってねぇよ!」と言いながらフロアに帰ってきた。
その後、総務から社内に残っているものは社員食堂で非常食を配布するので取りに来るように、との社内放送が発せられ指示に従いフロアごとに社員が移動していく。
案外残っている社員多いんだなぁ…などと思いながらおにぎりとみそ汁、それに防寒用の非常毛布を渡され、このまま会社で夜を明かす実感がわいてきた。(ちょっと黙祷してくる)
外の状況が分からなかったのでニュースは付けっぱなしにしてTwitterで街の様子を確認しながらフォロワーさんとやり取りし夜を過ごす。
電話が通じにくくなっていたがTwitterが生きてたのはありがたかった。
そして朝を迎えダイヤ不安定ながらも都営線・京成線が動き出したという情報を得て本社ビルの裏口に向かう。
総務氏が裏口で帰路に就こうとする社員を見送っていた。
混雑を予想していたが都営地下鉄浅草駅に降りると拍子抜けするほどに人影はまばらで、ホームに降り立つと黄色い防災ヘルメットをかぶった女児二人を連れたお母さんが前を歩いていた。
震災の日、いろいろな人生初を経験したがその女児の黄色い防災ヘルメットの鮮やかさが今も強く印象に残っている。

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