見出し画像

一輪の花より雑草が好きだった

自粛生活中、怠惰な生活で鬱々しないよう
朝に激しく弱い私も朝活にトライしている。

辛い朝を頑張って起きる楽しみに、
徒歩15分の公園にカメラを持って散歩に行くことにしている。


今日は7時半に起きて、朝活仲間と15分ズームしてからカメラを持って外に出た。

今日はいつもと違うルートで、久々につくしの成長を眺めて行こう。

裏道を歩いていると
つくしの生えていたエリアの顔ぶれが完全に入れ替わっていた。

子つくしと親つくしが賑やかだった場所が、
1週間後には

全体的に緑で、つくしらしき色が見当たらない。

蹲み込んで見つけたつくしは
なんか頭がシュンとしてて下から触角生えてて
完全に違う生き物になってる…
つくしの進化系ってこうなるんや…


一輪の花より、雑草

春の植物は短命だ。

色んなリアルがデジタルに代替されつつあるけど
生命だけはまだ代替できない、一瞬のリアルだと
寂しさと自然の尊さを感じたエモーショナルな散歩だった。


公園に行くと、公園の様相も1週間前から随分変化している。

北海道の遅めの桜も完全に葉になり
ピンクや黄色が混じっていた公園は緑一色になった。

ワクワクしない…
遠くから見る公園の単色さは、桜が満開だった頃と比べると
正直めちゃくちゃ寂しく見えてしまった。


たんぽぽでも探して帰るか
と、踏まれてないエリアに腰を下ろした。

圧倒的緑の雑草の中に、ポツポツたんぽぽ。
その中に直径1ミリくらいの小さい青い花をつけた雑草がちょこんと咲いていた。

ちっちゃいくせに、凛々しい花だな。
相当目を凝らさないと見えない小さいこの花の成長を見守るために、
また明日もここに来ようと思った。


私は物心ついた頃から、
きれいに整えられた花よりも、無秩序に生える雑草が好きだった。

隣のおうちのご夫婦はガーデニングが趣味で、
色とりどりの花が毎年きれいに並べられてた。

うちの花壇は、
私がどこかから引っこ抜いてきた雑草や捕獲してきたダンゴムシ、何かの幼虫が棲みつき、カオスそのものだった。
保護活動とか言っておたまじゃくしも育ててたから、カエルも跳ねてたな。

お隣さんの美しい花々を横目に、
暇さえあればカオスな花壇を眺めて、
生い茂った雑草の中に棲みついた虫を探していた。

最高にワクワクした。
時間を忘れて夢中になれたことの一つだった。


この”好き”の根本はたぶん今も変わってない。

人工的な自然よりも手付かずの自然が好き。
動物園よりもナショナルパークに行きたい。
パンジーやシクラメンよりも、雑草の中に咲く名も知らない花が好き。
さくら単体よりも、菜の花とか緑があるとより魅力的。

ビジネスも支援活動も、
消費者の自然な消費活動が困ってる人達に還元されるのが理想だし、
困ってる人の暮らしが不自然に変化してくのは避けたい。


どこまでも"自然の状態であることが望ましい"と思う私の価値観のルーツは
こういうところにあったのかもしれない。

やりたいように花壇いじらせてくれた親に感謝だな。


最後まで読んでくれた皆さんは
自分の理由なき”好き”にどんなルーツがありますか?



ライラックというお花らしい。モッタリしててかわいい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?