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射撃@FTWの3年間

80年代はテレックス時代。

電子メール登場がccMailで80年代後半。今のようなインターネットはなく、情報の孤島とはどういうものかも身をもって体験して来ました。

日本の情報源は、会社が駐在員向けに送ってくれる数冊の週刊誌だけ。駐在員は私以外に家族同伴の方々が3家族。一番若手の独身の私に週刊誌が廻って来るのは、発売日から1-2ヶ月遅れ。それでも日本の情報と活字に飢えていたので、週刊誌は隅々まで読んでいて結構芸能通にもなっていました。

当時の社内規定では、最初の3年間は社費での休暇帰国はなく、その後は毎年帰れるという規定でした。日本がバブル景気で湧いていた時期、日本に3年間一度も帰る事なくテキサス州の片田舎で生活していました。

週刊誌で知るマハラジャとか同年代の若者が遊ぶ姿は、何か違和感を感じていた記憶があります。羨ましいとかではなく、驕れる者久しからずで今に痛い目見るのでは?みたいな異常な違和感を感じていました。

それより在米中にしか出来ない経験をと考えて、最初に挑戦したのが射撃でした。テキサス州は、カーボーイのイメージ通り銃の所有は案外と緩く、運転免許証さえあれば銃は買えました。銃専門店でなくても、スポーツ用品の量販店の一角でも銃を売っている光景には驚きましたが。

最初に買ったのがS&W製6インチ銃身の357マグナムのリボルバー式。射撃場は、牧場のような原っぱ。「クリア?!」とお互い声掛けして確認後、全員で一斉に的の紙を画鋲で留めて来る長閑な光景のshooting rangeでした。

反動はそんなにないです

下手だと着弾はばらつきますが、上手だと外れても、右上とか左下とかある程度固まった範囲内に着弾します。それからは、自分の照準の捉え方の癖を調整していくようになります。

郷にいれば郷に従え。

視点の置き方次第で生活の充実度は180度変わります。3年の間に色々と旅もしたFTW駐在でした。当時の駐在中の私生活についても連載してみたいと思います。

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