尾崎豊と私の27年間(と、これから)

私はもうすぐ27歳になる。
生まれた時にはすでにこの世に尾崎はいなかった。
でもいつからそこにいるのか思い出せないくらい、
私の人生には尾崎がいる。

一番古い記憶は小学校低学年の頃、
父の車の中で流れていた尾崎の声。
幼稚園の頃から童謡よりも親が好きで聴いている曲を幼稚園の先生に歌ってみせるような子供だった私。
尾崎豊の曲もそのなかのひとつだった。

そんなふうに幼い頃から当たり前に日常にあるだけで、
尾崎を含めた特定の歌手に対して好きとか嫌いとか
そんな特別な感情はなかった。
その状況が変わったのはたしか、
小学生の頃にテレビでやっていた
尾崎の特番を観た時だった。


尾崎はこんな人見たことないってくらい必死で歌い、
ステージ上でのたうち回ったり、
鋭い目をしたり、優しい目をしたりして、
テレビの中で私に何かを訴えかけてきた。
歌の上手さはもちろん、ステージにいる「尾崎豊」
のすべてに夢中になってしまった。


ライブ映像を見ることで、私のなかの漠然とした
尾崎豊という人物像がくっきりとしていく感覚が
なんだか嬉しくて。
いつ亡くなったのかをどのタイミングで知ったのかは
もうはっきりとは覚えてないけど、
とにかく親が録画してたそれまでの特番をビデオのテープが擦り切れるくらい見た。
この映像は尾崎が何歳の時で、
この曲のこの部分はどういうアレンジで、
このあとは何を話すのか覚えて説明できちゃうくらい見た。
小学生がこんなハマり方するなんて狂気感じるかな。笑


そうだ。
人生で初めてファンだと名乗れるほどのめり込んだのは尾崎が初めてで、
趣味は音楽を聴くことだって堂々と言えるように
なったのも、尾崎がはじまりだったんだ。


小学生の頃は初めて手に入れたヘッドフォンで、
少ないお小遣いを貯めて買ったアルバムを
ガンガンに鳴らしながら聴いていた。しかも勉強中に。
中学生になって、反抗期なんてなかったけど、
寝る前にオーディオプレイヤーで聴く音楽も、
ウォークマンに入ってる曲の半分以上だって
尾崎で埋め尽くされていた。
高校生になったら、父と2人で尾崎豊展を見に行ったし、
実家を出てからも、尾崎の映画を観に行った。
先週は会社の元同期から、
「尾崎豊聴いてるんだけど、おすすめの曲ある?」
と訊かれた。

こんなに尾崎との思い出があるんだ。
尾崎はもういないけど、間違いなく私の人生の一部なんだ。


実は、今はもう昔のように、毎日は聴いていない。
他にも大好きなバンドやミュージシャンはたくさんいる。
ライブもたくさん行った。
でも、ふと尾崎を思い出して猛烈に聴きたくなる瞬間がある。例えばコンバースを履いて歩いてるときや
歩道橋から夕焼けが見えた時。
やり場のない気持ちが溢れそうな時。
気分が上がってロックを聴きたいテンションのときも。優しい声に癒されたい時も。
そうやって日常に相も変わらず溶け込んでるのが
すごく心地が良い。


尾崎がいなくなって、もう30年が経つらしい。
いつの間にか尾崎が生きていた時の年齢を超えてしまう。
それでも日々は続いていくし、
なんとなく振り返りたくなって書き出したこの文章の終わりが見えなくて、締め方がわからないのと同じように
これからも絶えることなく、
私の人生にはずっと尾崎がいるんだろう。


ありがとう尾崎。
これからもよろしくね。

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