透影の紅【第12話】

 大人しかったころの日々子はもういない。一撃で穴が空き、二撃、三撃でさらに穴が広がっていく。最後に用済みの石を屋内へ投げ込むと、日々子は土足のまま中へと侵入する。
 侵入を遂げた日々子はパラパラとガラス片を床に落としながら、キョロキョロと室内を見渡した。
「――チッ。手間を掛けさせる」
 この部屋に直樹は居なかった。ローテーブルの上にあった花瓶を持っていた兎のトートバッグでなぎ倒し、日々子は廊下へと進む。かくれんぼは継続である。
 ひとつひとつ、注意深く部屋を移動していく。
 すると廊下の壁に同化している隠し扉があった。隠し扉を開けてみると、外へ繋がる小さな玄関があった。金運を呼び込むためなのか、一畳ほどのスペースにビッシリと黄色い招き猫が置かれていた。
 他のどの部屋も、何かしらのテーマに沿ったレイアウトがされている。まるで風水のモデルルームのようだ。
 しかし全ての部屋を見て回ったにもかかわらず、直樹を見つけることはできなかった。隠し部屋にも、天井裏にも。どこを探しても、直樹は居なかった。
「留守にしている……?」
 いや、それはないはずだ。こんな辺鄙な場所では遠くに行くことはできない。ガレージは一台分のスペースしかなかった。
 徒歩で山へ逃げた? ここへやってくることがバレていた?
「違う……」
 何かがおかしい。窓の外を見ると、日が落ち始めて茜色になっていた。日没まであと少しだ。
 一度、最初に入ったリビングへ戻ることにした。ソファーにもたれ掛かり、直樹という男についてもう少し考えてみる。
 四十代、独身の男。大学卒。建築学や地理学に精通。風水を学び、カレイドスコープに籍を置く。大学で学んだことや独自の考えをまとめ、何冊か本を出した。
 こだわると突き詰めるタイプ。神経質、もしくは潔癖症。機能性よりも性質や役割を気にする……?
 日々子はふとソファーに視線を落とすと、ソファーからコードが出ていることに気が付いた。コードの先にはリモコンがある。
 どうやらこれは電動でリクライニングできるらしい。おまけにマッサージ機能もあるようだ。
 ふぅん、と思い、試しにスイッチを入れてみる。
 ういぃんという稼働音と主に、背もたれがゆっくりと後ろへ倒れて行った。
 問題なく動いている。振動するマッサージ機能も試してみるが、身体が揺らされるだけで気持ちが良いという感情は湧いてはこなかった。
 そういえば啓介の部屋にも、マッサージチェアがあった記憶がある。
  嫌なことを思い出し、すぐにスイッチを切った。ついでに持っていた裁ち切り鋏を取り出して、それをソファーに思いっきり突き立ててやった。何度も、何度も。
「……ふぅ」
 消し去りたい過去はさておき、こんな辺鄙な場所でも電気は通っているようだ。慣れれば快適に住めるのかもしれない。
 だが、直樹は本当にここに住んでいたのだろうか。
「……なるほど」
 やっと違和感の謎が分かった。あまりにもこの家は生活感が無さ過ぎたのだ。
 家としてのガワは非常によくできている。風水を主軸とした設計もそうだし、照明や鏡の位置など、細かいインテリアも良く考えられていた。
 だが、どれも綺麗過ぎた。
 ソファもそうだ。啓介のソファーは何度も使っていたせいか、表面は皮脂で黒ずんでいた。ここにあるソファーは使った形跡がない。
 そこで直樹の人間性を加味した時。もしかすると彼は、ここに住んではいないのではないかという考えに行きついた。
 ということは、だ。ここにはもう用はない。直樹が居るとすれば、外しかないのだから。
 敷地内には居るのだろう。だとすれば、考えられるのはガレージ、納屋、水回りを寄せ集めた吹きさらしの小屋のいずれかだ。
 
 入って来た時と同じように窓から出た日々子は、先ずはガレージに向かう。
 車の中を覗いてみるが、やはりいない。他は冬場用のタイヤチェーンやジャッキ、その他の工具ぐらいしかなかった。
 ――次だ。
 納屋は狭く、農具ぐらいしかない。仕方がないのでクワを拝借する。畑を耕したことはないが、今の身体なら多少は扱えるだろう。ただし、耕す予定なのは畑ではないが。
 最後にやってきたのは、壁の無い小屋。
 キャンプ場にあるような、蛇口のついた水場がある。他には猫脚のバスタブが置かれた浴室。隅にはトイレもあった。トイレには蓋がされていたが、そちらはあまり近付きたくないので、バスタブへ。
 直樹がギミック好きなのは分かった。今回は最初から何かが隠されているだろうと思っていたので、簡単に見つけることができた。
 それはバスタブを横へ移動させた床にあった。人ひとりが通れそうな開閉式の床扉だ。
 扉を封印するかのように、扉にギッシリと札が貼られている。日本語で書かれた札や、梵字や海外の文字もあった。日本語の物を見る限り、これらは浄化を促す札のようだ。
 日々子はその札を見て鼻で笑った。馬鹿馬鹿しい。
 床扉の取っ手を掴み、ギギギと上へと引き上げてやれば――そこには地下へと続く道が現れた。

 スロープになっている通路を下りていくと、辿り着いたのはコンクリート打ちの小さな部屋だった。
 採光されて明るかった向こうの家とは違い、部屋全体が薄暗い。照明はオレンジ色の裸電球がぶら下がっているだけだ。
 ぼんやりと照らされている壁を見れば、写真が何枚もピンで止められていた。
 大人と子供がそれぞれ二人。どうやら家族写真のようだ。映っている人間はみな、笑顔だった。
 視線を部屋の奥に戻すと、そこには小さな仏壇があった。位牌と写真立てが中央にあり、その前に立てられた線香からゆらゆらと煙が上っていた。
 そして仏壇の前に、直樹は居た。
「……来たか」
 彼は仏壇の前にある椅子に座っていた。
 ボサボサの髪で、服は真っ黒な喪服。
 そして顔をしかめるほどの悪臭。原因は彼と、その周りにあるペットボトルだった。
「足……」
 直樹が座っていたのは、ただの椅子ではなく、傷病者が使う車椅子だった。
 骨折では無いようだ。ズボンの膝から下の部分がプラプラとしている。
「これか? “幸運な”事故で失ったんだよ」
 彼は残っている太腿を撫でながら、自虐を籠めてそう笑った。
 
 ◇

 飯田直樹は恵まれた家庭の子だった。両親と妹の四人家族で、何不自由ない生活を送っていた。
 しかし、それも彼が大学へ進学してすぐに状況は一変してしまった。とある不幸が飯田家を襲ったのだ。
 大学一年の夏休み。直樹はアルバイトで稼いだ金で、家族を温泉旅行に誘った。
 彼が運転する車に両親と妹を乗せ、高速を走る。
 楽しい旅行になるはずだった。親孝行のつもりだった。
 ――そこで事故が起きた。原因は長距離トラックの居眠り運転だった。
 追い越し車線へ突然はみ出してきたトラックに横から衝突され、飯田家の乗った乗用車はガードレールに乗り上げ、大破した。
 生き残ったのは、直樹ただ一人。
 その直樹も両足を切断する重傷を負い、車いす生活となった。
 突然の事故で家族を失った彼は、精神を病んだ。自分が旅行に誘わなければ良かった。家族を死なせることも無かったのに。
 彼は幾度となく自殺を考えた。生きている価値など無いと、何度も責めた。自分達を救ってくれない神を憎んだりもした。
 直樹は不幸を探求するようになった。不幸の原因を追い求めているうちに、やがて彼は不幸そのものを恨むようになった。どうすればこの世から不幸を取り除けるのか。
 そんな彼が興味を持ったのが、風水だった。風水が弔いの場所を探すというルーツを持っていることも、その要因の一つだ。直樹はこれこそが天啓だと信じるようになった。
 これを極めて、一番適したところに家族の墓を建てよう。それこそが、生き残ってしまった自分の宿命であり、償いであると。
 それからというもの、彼は風水の世界にとことんのめり込んでいった。
 
 つまり、地上にあったあの立派な家は死んだ直樹の家族の墓だったのだ。
 本来ならばあのような家で家族四人で暮らしたかったという、直樹の願望も含まれている。家具や部屋の数が四人分だったのは、そういう理由だった。
「俺がこの暗い地下に居るのは、未だに自分の事を許せていないからだ」
 自分を汚物とし、風水の中で避けるべき場所に置いた。食事も野菜を生のまま齧り、風呂にも入らない。排泄はペットボトルか、部屋にそのまま撒き散らす。
 自分で自分を罰することで、どうにか心の平穏を保っていた。だが、そんな生活もやっと終わる。こうして死神がやってきたのだから。
「お前はこの本が欲しかったんだろ? ほら、やるよ」
「……!」
 直樹は自身の膝の上にあった一冊の本を日々子に投げ渡した。
 それは緑色の表紙に『天地の書』と書かれている。おそらく天命に抗い、地運を高めることを目的としたのだろう。
 大事な本を投げるという扱いに対して日々子はキレかけたが、ひとまずは無事に本が手に入ったことを喜んだ。
「できれば、ひと思いにやってくれると、嬉しいかな」
 全てを諦めたかのような、それでいてどこか晴れ晴れとした表情だった。
 家族もこうして地脈の良い場所に弔うことができた。あとはこの逃れ得ぬ罪から解放されたい。
 日々子はこれさいわいと、手早く直樹の影を奪った。そしてトートバッグから鋏を取り出す。
 簡単には殺してやらない。ここまで散々手間を掛けさせてもらった礼もある。ジワジワと苦しめて悲鳴を楽しむのも良いかもしれない。別に彼の願いを聞いてやる義理なんて、微塵もないのだから。でも――。
「なぁんか、つまんない」
「……え?」
 ここで直樹を殺したところで、満たされない。あくまでも日々子は、神に赦しを乞いたくなるような、愚かな行いをしたいのだ。そうでなければ、あの人はきっと喜ばないから。意味のない殺しは好みではない。
「やっぱり、やーめた」
 コイツはきっと、どこかで役に立ちそうな気がする。まだ殺してしまうのは早い。
 ――うん、やめよう。
 日々子は直樹の乗る車椅子の後ろに回り、ハンドルを掴んで押し始めた。
「さ、帰りましょう」
「え……? おい、俺をどこに連れて行く気だ!? 殺さないのか!? おいっ!?」
 直樹の必死の叫びは日々子にはもう、聞こえていなかった。物凄いスピードで地上へのスロープを駆け上っていく。
 こうして飯田直樹はこの地下から自分の意思に反して、生きて地上へと出ることになった。
 やはり飯田直樹はラッキーボーイであった。

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