透影の紅【第5話】

 
 翌日。悠真は紅莉の案内で、薔薇の生垣に囲まれた洋館へときていた。
「ここが紅莉の知り合いが住んでいる場所なのか? まるで風見鶏の館みたいだな」
 悠真は前に家族旅行で立ち寄った、神戸の異人館に似ていると思った。
 この家には風見鶏は無いようだが、同じように壁はレンガでできているし、中に暖炉があるのか屋根の上には煙突のようなものが立っていた。一般人が住むには十分すぎるほど立派だ。
 ここの住人は金持ちなのだろう、そんな予想は悠真でも容易にできた。
『……少々、お待ちください』
 インターフォンを押すと、ボイスチェンジャーの使われた声が聞こえてきた。
 仕方なく、家主が現れるまで二人は立ったまま入り口の門で立っていることにした。だが、どうにも悠真の調子が芳しくない。
「悠真君、大丈夫?」
「あ、あぁ。ちょっとボーっとしていたみたいだ」
 昨晩は無事に帰宅できた。しかし悠真はあれからずっと、落ち着くことができなかった。
 もちろん、女に襲われた恐怖もある。だがそれ以上に自分の命が八日で尽きるという紅莉の話を、どうしても受け入られなかった。
 嘘だと思いたくとも、鏡を見れば自分の影が映らないという確固たる証拠がある。これがある限り、どこまでも悠真を追い詰めてくるのだ。そんな状態で満足に眠れるわけもなく、彼は終始フラフラの状態であった。
 ――でも紅莉が居てくれてよかった。
 最近まで、紅莉に対するイメージはそこまで良いものでは無かった。
 いつもオドオドとしていて、自分からは行動できない。どんくさいタイプだと思っていた。
 しかし今の彼女は、非常に頼りがいのある存在だ。
「……ありがとな、紅莉」
「え~、どうしたの急に」
「なんでもないよ」
 死のタイムリミットが迫っているとは思えないような、甘ったるいムードが二人を包む。傍から見れば交際しているカップルのようだ。
「おい、もうそろそろ良いか?」
「あっ……」
「ご、ごめんなさい!」
 声のした方を見れば、家主と見られる男性が立っていた。
 見た目は三十代ぐらいだろうか。ジジ臭いベストと顎髭のせいで若干老けて見えるが、話し口調と肌艶から察するに四十は越えていないと思われる。
 それよりも悠真が気になったのは、顔面の右半分を覆うほどの痛々しい火傷の痕だった。
「門の前で待たせたのはこちらだし、それに関しては申し訳ないと思うが。少しは場所をわきまえろよ?」
 悠真が咄嗟に顔から視線を外したことに、家主が気にしている様子はなかった。それよりも自分の家の前でイチャつかれたことの方が、よっぽど腹立たしかったようだ。
「す、すみません……」
「あぁ、もういい。それよりも、さっさと入れ。なんだか話が長くなりそうだからな」
 ギロリと紅莉の方を見てから、火傷の男はくるっと踵を返す。
「な、なぁ。あの人が紅莉の知り合い、なのか?」
「そうだよ。ちょっと気難しいけれど、良い人だから」
 隣にいる紅莉は笑顔を絶やすことなく、男に続いて庭園の方へと歩いていく。
 置いて行かれるわけにもいかず、悠真も彼女の後についていくことにした。

「そっちの彼は初めてだよな」
「え? あ、はい。初めまして、白鳥悠真といいます。紅莉と同じく、河口高校の一年です」
 薔薇の庭園を歩きながら、簡単に自己紹介を済ませる。
 いったい誰が手入れをしているのだろうか、棘のある茎も見栄え良く丁寧に剪定されていた。
 花には詳しくないが、庭一面に生えているこれらを世話するには、とても手がかかるだろう。庭師や使用人でも雇っているのだろうか。
「観月洋一(みづきよういち)だ。それよりも俺の家に入るにあたって、幾つかルールがあるから、覚えておいてほしい」
「ルール、ですか……?」
 思っていた以上に簡素な自己紹介だったが、そこに突っ込むわけにもいかない。
 それよりも彼の言葉を遮ってしまうと何だかマズそうだと、直感が告げている。聞き漏らすことの無いように、より意識して耳を傾けた。
「我が家は防犯の為に、色々と仕掛けが施してある」
 仕掛けと言われ、悠真の頭にクエッションマークが浮かぶ。
 洋一は詳しい説明を付け加えることなく、そのまま話を続けた。
「家主が許可した場所以外には行くな。歩くな、触るな。これが守れないのであれば……」
 洋一は立ち止まり、自身の足元にあった小石を片手で拾う。そして近くにあるワインレッドの薔薇が生えている根元に放り投げた。
「うわっ!?」
 石が地面に落ちるや否や。どこからともなくボウガンの矢が飛翔した。
「こういうことになるからな」
「ちょ、これって危な過ぎるんじゃ……」
 地面に深々と刺さっているボウガンの矢を指差しながら、悠真が震えた声で抗議する。
 少しでも狙いが外れたら、悠真に刺さっていたかもしれないのだ。悪戯なんかじゃ済まされない。
「俺は警告したからな。何かあっても、助けは呼べないと思え」
「悠真君、お願いだから洋一さんに従おう? 本当に危ないから……」
 紅莉はそう言うと、こっそりと鞄の中にあるスマホを悠真に見せる。何事かと思えば、画面には圏外と表示されていた。
「うぇ!? 電波が入ってない……」
「本当は違法なんだけどね。案外、ネットでそういう機械を買えたりするらしいよ」
「マジかよ……でもそこまでするか、普通?」
 どうやらここには、電波を妨害するジャミング装置まであるらしい。
 状況を理解すればするほど、自分の頬が引き攣っていくのを感じる。
 しかし紅莉の言うように、ここは素直に従っておいた方が良いだろう。一体何が、あの神経質そうな火傷男を怒らせてしまうか分からない。
 口を閉じ、重厚な木製扉を抜けて館の中へ入る。玄関ホールは洋風の造りになっており、靴を脱ぐようなスペースはなかった。代わりに真っ赤で厚みのある絨毯が出迎えてくれている。
「あの、この絨毯は通っても?」
 そう思ったら聞いていた。余計なことを口走ったと思ったが、気付いた時にはもう手遅れだった。
 少し前を進んでいた洋一と紅莉が同時に振り返り、二人とも同じ真顔を悠真に向けた。
 ……これ以上、余計なことは何も言うまい。
 悠真は口をギュッと堅く噤むのであった。

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