透影の紅【第19話】

 マルコの教会で一晩過ごしてみた悠真の感想。それは想像よりも快適なものだった。
 彼の作る料理はどれも絶品だったし、個室に清潔なベッドもあった。
 テレビやパソコンといった類の娯楽に使えるような家電は無かったものの、シャワールームや洗濯機といった生活必需品はちゃんとあった。悪魔が風呂に入るのか疑問に思ったが、意外にも綺麗好きだったようだ。
 そうして朝を迎えた悠真は、紅莉と一緒に占星術の魔術書を持っている山科立夏の元へ。彼女が住んでいるマンションは、東京都の青羽根駅からおおよそ十五分ほどの距離にあった。
 紅莉が調べてきた住所には、七○三号室とある。目的の人物はここの最上階に住んでいるらしい。エントランスはオートロック式だったが、運よく出ていく住人が居たので、ドアが閉まる前に入れ違いで入らせてもらった。
 そうして無事にマンションの中に入れた悠真たちは、エレベーターに乗って七階へ。廊下を歩き、ルームプレートを眺めながら立夏の部屋を探していく。
「ん? どうしたんだ、紅莉。顔色が悪いぞ……」
 外は汗ばむほどに暑いというのに、握る手が冷たくなっている。
 体調が悪いのだろうか。それとも、透影になった影響が……。
「実は、高いところがちょっと苦手で……」
「あれ? そうなんだったっけ?」
「でももう大丈夫。あ、ほらあったよ。七〇三号室」
 紅莉が指差しているルームプレートには、たしかに七〇三と書いてある。名前の部分には、しっかり山科、と書いてある。
 さっそく悠真は部屋のインターフォンを押した。……だが、応答はない。
「不在なのかな?」
 眉を下げて、泣きそうな声で弱音を吐く紅莉。
 会えないことがショックというよりも、一刻も早く高い所から避難したいようだ。
 試しにドアノブを回してみると、鍵が掛かっていなかった。
「開いた!」
「いや、これは不用心過ぎるだろ……」
 ここの住人は防犯意識というのが無いのだろうか。
「なんというか、まぁ。この部屋の住人の性格が分かっちゃうよな……」
 白昼堂々と不法侵入していく紅莉の背中を眺めながら、小さく溜め息を吐いた。

「えっ、ちょ!? ま、待って。アンタたち何なのよ!?」
 紅莉の後を追いかけると、モコモコのパジャマ姿をしたピンク頭の少女が悲鳴を上げていた。どうやら動画の配信に夢中でインターフォンに気付かなかったらしい。
「ちょっとぉ、お姉ちゃんの知り合い!? 誰か来るって聞いてないけど?」
 どうやら姉がいるらしい。だが見た目の若さから察するに、おそらく彼女が山科立夏だろう。
「こんにちは、立夏さん。私たち、貴女に用があってここまでやってきたの」
「……私に?」
 ここでようやく話を聞く気になったのか、彼女は頭の配信用ヘッドセットを外した。
「単刀直入に言えば、貴女が持っている占星術の本を私達に渡してほしいの」
「あぁ。渡してくれさえすれば、俺達はさっさと帰るから」
 あまり人の話を聞かなさそうだと判断した二人は、なるべくシンプルに伝えた。
 だが立夏はポカンと大きく口を開けていた。
「はぁ!? なんでアタシがアンタ達に渡さなきゃなんないのよ!? あの本、メッチャ高かったんだよ!? お小遣いと配信活動で稼いだお金使ってやっとゲットできたんだから!」
 彼女の言うことは尤もである。いきなり知らない人間がやってきて、お前の物を寄越せと言われて渡すわけがない。
 悠真はどうするんだよ、と紅莉を見やる。
「あのね。とある女がこの本を狙って、人を殺して回っているの。知らない? 貴女が入ろうとしていたカレイドスコープ。そしてメールのやりとりをしていた相手。みんな死んじゃっているのよ? このままじゃ、貴女だって狙われるわ」
「嘘、あの男が死んだ……?」
 紅莉がスマホでニュースを検索して見せてやると、立夏は顔をサッと青褪めさせた。どうやら演技でも何でもなく、カズオが死んだことを知らなかったようだ。
「昨日なら、アタシもその現場近くに居たんだけど……」
「え、そうなの!?」
「なんでまたそんなことを……」
 立夏曰く、怪しげなカズオとは早々に縁を切り、カレイドスコープが運営しているビルへ直接向かうことにしたようだった。
「そしたら、殺人事件があったっぽくて。丁度良いネタだったからアタシ、配信しながらそこで色々情報を集めてたんだよね」
「そういえば、警察に注意されている奴がいたなぁ……」
「えっ、もしかして見られてたぁ? 恥ずかしい!」
 マスクをしていた配信者、あれが立夏だったらしい。
 今さらになって恥ずかしがり始めた立夏を、悠真と紅莉は冷めた目で見つめていた。

 その後、お互いに簡単な自己紹介をすることになった。
 彼女は病院の看護師をしている姉と、ここで二人暮らしをしているらしい。
 高校はすでに中退しているらしく、将来は配信者を仕事として生きていく予定なのだとか。だからこそ、配信に命を賭けていると言っていた。
「私達は、立夏さんを助けたいの。だから、協力してくれない?」
 紅莉がそう伝えると、彼女は素直に頷いた。
「あの本は、たまたまリスナーさんから教えてもらったんだ。アタシ、配信で占いもやり始めていたからさ」
 大手の動画配信サイトに人気が集まった影響で、配信者が一気に増えたらしい。
 業界が盛り上がるのは嬉しいことなのだが、同業者が増えれば必然的にライバルが増える。数千人のリスナーを抱える立夏でさえ、まだまだ大手とは言えない。
 彼女は更に高みを目指すため、テコ入れを考えていたそうだ。
「そんな時に、役立つ本があるからって紹介されたからさ……アタシ、それまでバイトで稼いだお金とかでその本を買ったんだ」
 悠真は意外だった。立夏はこう見えて、自分の目指す仕事が簡単なものではないとキチンと考えていたようだ。さらには何かあった時の為に、コツコツと貯金をしていたらしい。
「やっと本を手に入れてさー、いざ試してみたんだけど。これがビックリするほど当たったんだよ~。リスナーを占ったら、『宝くじ当たったよー』とか『恋人できた』って報告されてさ。凄くない?」
「紅莉、これってやっぱり……」
「間違いないよ。本物だ」
 読んだだけでそこまで当たるのなら、やはり当たりだったのだろう。
 だが、悠真は気が付いてしまった。肝心の本が無いのだ。そしてそれは、紅莉も同様だったようだ。
「ね、ねぇ立夏さん。その本はどこに……?」
「それが……」
 立夏は言いにくそうに目を彷徨わせながら、こう続けた。
「あの本ね――お姉ちゃんに没収されちゃったの」

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