透影の紅【第17話】

 
「夕方のニュースです。本日埼玉県氷川市にある宿泊施設にて、男性が倒れているとの通報がありました。男性は全身を刃物のようなもので刺されていたとみられ、その後、病院で死亡が確認されました。男性は三野和雄さんとみられ、警察は建物の入り口にある監視カメラに映っていた不審な女が何か事情を知っているとして行方を追っております。またこの近辺では先週、同様の殺人事件が――」
 
 紅莉は悠真と河口駅で解散した後、家には帰らず荒川の河川敷に来ていた。
 河川敷の土手は有名なウォーキングコースとなっている。夕方時には運動不足を解消しようとする老夫婦や、犬を連れた主婦などが利用していた。
 紅莉はそのウォーキングコースから外れ、悠々と流れる川のそばに降りてみることにした。これからする作業に適した場所を探すためだ。
 荒川という名の通り、今日は川が荒れている。ここから二十キロほど下れば海だ。それほどの距離も、流されてしまえばあっという間に大海原だろう。
 いつもならもっと穏やかだ。川の上流で雨が降ったのかもしれない。カフェオレのように茶色く濁っていて、水の中は何も見えない。
 普段なら居る釣り人も今日は姿が見えない。作業するには都合がいいかもしれないが、できればもう少し人目につかない場所が良いだろう。
 仕方なく、紅莉は鉄橋の下に向かうことにした。
 埼玉と東京を繋ぐ主要な交通路で、たしか荒川橋梁と呼ばれていたはずだ。ここは柱の影が多い。手短に済ませてしまえばバレないだろう。
 紅莉は鞄の中から一つのスマートフォンを取り出して、地面に置いた。そして拾っておいた石を右手に握りしめ、力いっぱい叩きつける。何度も、何度も――。
 これは自分のスマホでは無い。殺害された三野和雄のものである。
 あとで落ち着ける場所でカレイドスコープの情報を調べようと、ラブホテルのあの部屋で本人から直接奪ったのだ。しかし、急ぐ必要ができてしまった。
 持っていたはずのスマホが無くなれば、警察は怪しむ。当然、スマホがある場所を探そうとするだろう。たしかGPSか何かで探知できると聞いたことがある、精度のほどは分からないが、このまま家に持ち帰ったりすれば、紅莉が所持していることがバレてしまう。
 自分に残された時間はそう長くない。呪術の本を持つ女をどうにかしなければ。
 パラパラと割れたディスプレイが地面に散乱していく。ここまでやれば多分大丈夫だろう。あとは川にでも流してしまえば完璧だ。
 破片を手で集め、ハンカチの上に乗せていく。少し息切れする呼吸を整えながら、ゴミと化したスマホをハンカチごと川へと投げ捨てた。
 ぽつ、ぽつと紅莉の頬に雨粒が落ちてきた。アスファルトの上にも、黒い染みがどんどん増えていく。
 ――帰ろう。
 用事は済んだし、風邪なんてひいていられない。明日も悠真と会う予定になっている。今度はどんな服で会いに行こうか。
 ここ数日、毎日一緒に居られることが嬉しい。
 悠真は私を選んでくれた。だからこそ、絶対に彼を救わなければならない。
 悪魔の愛読書を集めれば、あの女は自分からやってくるはず。その時は、私がこの手で終わらせてやる――。
「……家に帰るのはやめておこうかな」
 家に向かおうとして、足を止めた。ここは悠真も誘って、マルコのいる教会に世話になればいい。家族にも危険が及ぶかもって言えばきっと来てくれるはずだ。そうすれば、もっと長く一緒に居られる。
 紅莉は大粒の雨が降り落ちる中、悠真に連絡を取るべく自分のスマホを取り出した。
 
 ◇
 
 ――紅莉は大丈夫だろうか。
 悠真は自分の部屋のベッドの上で終始そわそわとしていた。
 どうにも落ち着かない。手にスマホを持ったまま、ゴロゴロとベッドの上をいったりきたり。紅莉と一緒にいた時の高揚感が一向に鎮まってくれないのだ。
「はぁ……紅莉は今頃、何をしているんだろう」
 つい一時間ほど前に別れたばかりだというのに、もう会いたくなってくる。
 明日も会う予定ではあるが、あの可愛らしい笑顔がもう一度見たくてしょうがない。
 どうして俺は、紅莉と最初から付き合わなかったんだろう。周りの評価に流されて、星奈ばかり目で追っていた。紅莉とは何度も同じクラスになっていたし、話す機会だってあったはずなのに。
 大人しいのは悪いことじゃない。控え目な性格だって相手を思いやる気持ちの表れだ。
 今考えると、彼女をイジメから守って本当に良かったと思う。
 あんまり助けたとか、そういう記憶は無かったけれど。でも本人がそういうのだからきっとそうなのだろう。
 なんにせよ、紅莉が好きになってくれてよかった。こんなに心が温かくなることなんて、本当に初めてだ。
 ニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべていると、唐突にスマホの通知音が鳴った。
 もしかして、と期待して画面を見てみれば、そこには想い人の名前が。
 噂をすれば影が差す。紅莉からメッセージがきたのだ。
 やった、と思いながらアプリを起動するとそこには、『今から電話できる?』とあった。
 嬉しい。向こうも俺と話したいと思ってくれたのだろうか。さっそく大丈夫だよ、と返してから自分からコールボタンを押す。
 数コールすると、紅莉は電話に出てくれた。
「もしもし?」
「あぁ、悠真君。今家?」
「うん。自分の部屋。紅莉は?」
 電話越しでも可愛い声だ。ていうか全部可愛い。
 ところで何か用でもできたんだろうか? 電話口では、車が通るような音がする。
 かなりの雨が降っているはずだけど、まだ外に居るのだろうか。
「今ね、荒川の土手沿いに居るの」
「え、荒川の? あー、もしかして」
「そう。まぁアレは無事に処理できたから大丈夫。それで、これからのことなんだけど……」
 これからの話?
 本探しについて何か進展があったのだろうか。
「壊す前に確認したんだけど……カズオのスマホにね、あるメールが着てたの」
「メール?」
「うん。カレイドスコープについての問い合わせなんだけどね。所属する方法を教えてくれって」
 ということは、その人物も腕のある占い師なのだろうか。
「履歴書みたいなのも送られてきていてね。見てビックリ。その人、私達と同じ高校生だっていうのよ」
聞けばその子の名前は山科立夏(やましなりっか)というらしい。動画配信サイトで占いの放送をしているんだとか。
「それで最近、占星術の本を手に入れたらしいの。その伝手でカレイドスコープを知って、自分もそこに所属しようと思ったみたいなのよ」
「なるほど……それで、彼女の居場所は分かりそうなのか?」
「うん。都内だから近場だったよ。住所も書いてあったから、明日行こうと思うの。それでね、悠真君……」
「ん? どうした?」
 言葉に詰まってしまったのか、電話口の向こうで「あー」とか「えっと」と言う声が聞こえる。
「警察がもし悠真君の家に来たら色々とマズいよね。だからさ、良かったらマルコの教会に避難しない?」
「教会に? あぁ、たしかに。家族に迷惑を掛けるわけにはいかないしな」
 一時的に非難するのは、悪くない考えだと思う。迷惑そうな顔をする誰かさんが思い浮かんだが、それは敢えて気にしない。
「分かった。母さんには、友達の家に泊まりに行くって言っておくよ。今から直接教会の方に向かえばいいかな?」
「うん。それでお願い。食事と寝る場所は、私からマルコにお願いするから大丈夫」
「……ありがとう。気を使ってくれて」
「えへへ。どういたしまして。それじゃまた、向こうでね」
 紅莉はそう言って電話を切った。
「っと、急がなきゃ。数日間は泊まることになるのか……母さん、なんて言うかな」
 どうにか誤魔化さなければならないが、仕方ない。取り敢えず、今日だけでも許しを得なければ。母はおそらく夕飯を作り始める頃合いだ。伝えるなら、早い方がいい。
 キッチンへ向かうためにベッドから起き上がる。持っていたスマホをポケットに入れようとしたところで、スマホが再び鳴った。
「……誰だ?」
 紅莉かとも思ったが、違う。画面に表示されていたのは、知らない番号だった。
 ――警察だったら嫌だな。
 悠真は電話には出ず、電源を切って部屋を出た。

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