透影の紅【第7話】

「え……?」
 突然立ち上がったかと思えば、大きな声で拒絶されてしまった。
「どうして? 汐音ちゃんのお兄さんも本を持っているんだよ? 他の禍星の子たちを探して協力をしないと……」
「お兄様はそんな女なんかに負けないわ!」
 少し困り顔をした紅莉を見て、汐音はそれを言い訳と取った。彼女は態度を軟化させるどころか、更に声を張り上げて抗議した。
「そうやって紅莉ちゃんも、あの女みたいにお兄様に近付くの!?」
 丁寧な言葉遣いは変わらないままだが、彼女は猛烈に怒っていた。
 さすが兄妹と言ったところだろうか。その姿は洋一に似ていた。
「ちょ、ちょっと待ってよ汐音ちゃん。急にどうしたの?」
 興奮する汐音をなだめつつ、事情を聞いてみることにした。
「最近、お兄様に近付く女が居るの。あの女もお兄様と同じ、禍星の子だからって……私にも馴れ馴れしいし……本当に腹立たしい!」
 汐音は親指の爪を歯で齧りながら、独りでブツブツと喋り始めてしまった。
 紅莉はどう説明したらいいのか分からず、助けを求めるように悠真を見つめる。
「あのさ、汐音ちゃん。紅莉は透影になった俺を助けようとして、ここへ来たんだ。コイツは他人の大事な人を奪うような奴じゃないからさ……」
「悠真さんが……透影?」
 キョトンとした汐音が動きを止め、くりっとした瞳で悠真を見上げた。

「気をつけて帰ってね。紅莉ちゃん、悠真さん」
「絶対にまた会いに来るからね!」
「元気でね、汐音ちゃん」
 部屋を出る二人を、汐音は満面の笑みで見送っていた。
 本当に部屋から出ないんだなぁ、と思いつつ、悠真は「またね」と言えなかった自分が少し情けなかった。はたして、七日後に自分は生きているのだろうか。
「良かったね、協力してくれるって言ってもらえて」
「でも説得するのに三日ほしい、か……あんまり余裕は無いよな」
 なにしろ、あの女を探し出し、透影の呪いを解除させなければならないのだ。
 できればあんな化け物女とは二度と会いたくはないのだが、そうも言っていられない。
 まるで、鬼ごっこのようだ。今度はこちらが鬼となって、捕まえに行くしかない。
「そうなんだよね。だから、私達でできることは全部やろう?」
「あぁ。……といっても、他に何か案があるのか?」
 頼ってばかりで申し訳ないが、本当に分からないことだらけなのだ。
「まぁ、いちおうは……」
「小さなことでも、何か手掛かりがあるんだったら頼むよ。紅莉だけが頼りなんだ」
 拝むように両手を合わせて頼み込む悠真。
「私だけが……頼り……!」
 その姿を見て、紅莉は猛烈な優越感を感じたのだろう。口裂け女もビックリなほど口角を上げていた。
「え、えへへ。しょうがないなぁ。悠真君のためにも、一肌脱ごうじゃないの」
「できることなら何でもするからさ、どうにか頼む!」
「うんうん。私も悠真君の為なら何だってするからね!」

 取り敢えず、今日のところは家に帰って休むことにした。悠真の疲労が限界だったのである。
 バス停へと向かう道中、紅莉がそういえば、と声を上げた。
「そういえば汐音ちゃん。お兄さんには隠していたけど、あの子も禍星の子だよ」

 ◇

 二人が洋館から帰宅している頃。
 啓介を殺害した日々子は禍星の子を次々と襲い、片っ端から影を奪っていた。夫が持っていた仲間の占い師のリストを使い、新たな獲物を追っていたのだ。
 恐るべきは、彼女は犠牲を伴う呪術を扱うことに、何の忌避感を持ち合わせてはいなかったことである。
 彼女のやり口は残忍で、そして非常に効率的である。日々子は見つけた標的を手当たり次第に透影にしたのち、その人間を傀儡として扱うようになったのだ。
 幸いなことに――被害者にとっては不幸だが――カレイドスコープの本拠地の周辺に禍星の子の多くが集まっていた。
「~♪」
 神をも畏れぬ所業。だが彼女自身は非常に信心深かった。
 普段から神に祈りを捧げるのが日課で、今も神を讃えるハレルヤを歌っていた。
 ただ、彼女が信じているのはあくまでも、己の神だけである。
 
「な、なによアンタ……!」
 日々子は今、次の標的である二十代の女を見下ろしていた。
 これから夜の仕事に向かうつもりだったのだろう。マンションのリビングで身支度をしている最中だった。
「本……本はどこ……?」
「――ひっ!?」
 逃げようとしたのか、それとも警察を呼ぼうとしたのか。
 床に転がっていた水晶玉を踏んでしまい、転んでしまった。その衝撃でテーブルの上にあった有名ブランドの化粧品が転がって落ちた。
「いったぁ……」
 飼い主に驚いたチワワがキャンキャンと吼える。
「駄目よメル、逃げて……!」
「ねぇ、本はどこにあるの?」
 しかし日々子は犬には全く興味がないのか、そちらには一切目もくれない。代わりに部屋をグルリと見渡していた。
 ピンクを基調にしたベッドやカーテン、人気の小型犬に最新型のノートパソコン。ベランダの外にはゴミ袋に詰め込まれた缶チューハイの空き缶の山。日々子が探しているものは、どこにもない。
「どこに隠しているの……?」
「なんなのよぉ、知らないわよぉ……!」
 男を魅了するためのメイクは今、涙で歪んでしまっていた。
「占星術を纏めた本……貴女が持っていたのは知っているわ」
 日々子は視線を部屋の壁へと移動させた。その先には占星術で使うホロスコープが飾られていた。
「う、あ……アレはもう私の手元には無いわよ!」
 何かが思い当たったのか、女は焦ったように叫ぶ。
「どうして……?」
「売ったからよ! 中身はもう覚えたし、アプリがあれば占い自体はできんのよ! 夜の店やってた方がお金は儲かるし!」
「ここに、無い……?」
 誤魔化すつもりは、本当に無かったのだろう。
 彼女にとって、その本とは大事なモノでは無かったのだ。日々子に言われるまで、すっかり忘れていたほどに。
 あくまで占いは金稼ぎの道具。他に代用できるツールがあるのなら、本に価値を感じられなかった。
「なに、お金が目的? 残念だったわね。もう使っちゃったわよ」
 だが、あくまでもそれは彼女にとっての話だ。本が無いと言えば、自分には用はないはずと踏んでの発言だった。
 ――残念ながら、それはまったくの逆効果だった。
 目の前に居る異様な女にとっては、本を手放すというのは神を捨てる行為そのものだったのだから。
「どこに売ったの?」
「知らないわよ、ネットオークションで売ったんだもん! 相手のことなんて分かるわけないじゃない!」
 女は日々子が怒っていることにも気付いていない。
「どっかのオカルト好きが買ったんじゃないの」とか「もっとふっかけてやれば良かった」などとペラペラと聞いてもいない情報を喋り出していた。
「そう……じゃあ、別の方の用件を済ませちゃうわね」
「だからさっさと帰っ――え?」
「あなた、啓介と浮気してたわよね?」
「は? 啓介と浮気って……あ、アンタまさか……!」
 そこでようやく、女は日々子の正体に気が付いた。
 カレイドスコープ代表、槌金啓介。
 女にとって彼は所属していた団体のトップであり、客のうちの一人だった。彼女をこの業界に誘ったのも啓介だったし、親よりもよっぽど世話になった恩人でもある。
 それは仕事を斡旋してもらったという意味でもそうだし、女の悦びを教えたという点でもそうだろう。男は身体さえ貸せば大金をもたらすというのは、彼女の中で一番の教えだった。
 そんな啓介には、日々子という一番のお気に入りが居たようだった。
 しかし根っからの遊び人である彼が、女ひとりで満足するわけがないというのは良く分かっていた。だから彼が結婚したと聞いたあとも連絡を取り合っていたし、商売の女を紹介することもあった。
 そして部屋に侵入してきた女は、啓介と浮気と言った。つまりこの女が啓介を殺した犯人だ。
「あ、アタシを殺しに来たっていうの!?」
「うふふっ。別に私は、浮気を恨んでいないわよ?」
「じゃ、じゃあ助けてよっ……!」
「でもね、あの人に捧げるなら丁度いいかなって」
「は? 捧げるってなにを……」
 日々子は慈愛に満ちた顔で、肩にかけたトートバッグを開いた。
 彼女が皺くちゃのコンビニ袋を取り出した瞬間、部屋に異臭が溢れ出す。それは生ごみを三角コーナーで数日放置したような、酷い臭いだった。
「うえっ……な、なにこれ!?」
 日々子はビニール袋の中に手を突っ込み、何かを取り出した。
「ねぇ、貴女。お腹空いていないかしら? 私、フランクフルトを作ってみたの。うふふっ。そういうのお好きでしょう?」
「え、それ……なんなのよ、それは!?」
 日々子が手に持っていたのは、木の串に刺さったどす黒いナニカだった。とてもじゃないが、フランクフルトとは思えない見た目をしている。ドロっとした液体がポタポタと滴っており、異臭もそこから漂っているようだ。
 女は思わず腕で顔を覆いながら、ズルズルと後退った。
「あら、逃げないでよぉ……」
「い、いや……お願い、助けて……」
 ガツン、とベランダへ続く窓にぶつかった。逃げ場は無い。女ができるのは、もはや命乞いだけだった。
 もちろん、日々子はそんなものは受け入れない。日々子は空いていた左手でバッグから黒い本を取り出すと、女の影を奪って拘束し始めた。
「ひっ!? う、ごけな……」
「はーい。あぁんして~」
「いや、やめて……」
「あぁんしなさいって言っているでしょうがぁああ!」
 涙をポロポロと流す女に近寄り、喉元を足で抑え込んだ。
 無理やり女の口に啓介の肉片を突っ込むと、そのまま口内をグイグイと掻きまわす。
「ぐぇ、やめっ……あっあふっ、ごぁ」
「あっ、ごほ。ぐぇ」
 日々子の華奢な腕からは想像もできない、非常に強い力に抵抗もできず。遂に串の先端が、女の喉元を突き破った。
「ふ、ふふ……」
 そのまま女が動かなくなるまで、日々子は女を踏みつけたまま。
 啓介の時のように、快楽でしばらく身体を震わせていた。

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