透影の紅【第21話】

 
 今から約十七年前。
 とある少女は自身の宿命を知った。
 その少女の名前は、日々子といった。
 普通の家庭に生まれ、十六年を過ごした。親と喧嘩し、友人と遊び、髪を染めてちょっとだけ悪いことをした気分になる。そして同い年の男に恋をし、失恋する。
 そんな、普通の女子高校生だった。
 だが、少しずつ、自分が周りの友人たちと違うことに気が付いた。
 たしかに中学時代から目立つほどに容姿が整っていた、というのもあるが、それはまた別の話。
 ――彼女は人を呪えたのだ。
 キッカケは些細な思いだった。自分の悪口を言った同級生が憎い、気になる男子と仲良くなりたい。思春期の多くの学生が抱く悩みを、その少女も持っていた。
 その日、日々子は仲の良い友人と当時流行っていたおまじないを実行した。
 自分の血を混ぜたミサンガに願いを込め、近所の川に流すという胡散臭いものだった。
 当然、そんなおまじないが成功した、という報告は友人から聞かなかった。ちょっとした憂さ晴らし。その程度の効果であるはずだった。
 しかし、彼女は他の人間とは違ったのだ。
 日々子が願いを込めたミサンガを川に流した、次の日。
 クラスカーストで上位だった女子学生が、交通事故で骨折する大怪我を負った。さらには、気になっていた男子生徒が日々子の連絡先を聞いてきた。
 偶然としか思えないような、小さな出来事だった。彼女もそれを幸運だと感じ、ただ喜んだ。
 だがそれも、一度ならず二度三度。さらにもっと続けば、さすがに彼女も何かがおかしいと思い始めた。
「どうしよう……私のせいかもしれない……」
 彼女に言い寄った教師が学校の屋上から飛び降りた辺りで、自身のせいだと確信してしまった。
 当時、まだ優しい心の持ち主だった彼女はとても悲しんだ。
 親しかった友人たちと距離を取り、家族とも喋らなくなった。口を開けば、傷付けてしまうと思ったからだ。
 相談したくとも、あまりに荒唐無稽過ぎて、誰に相談すれば良いのか分からない。彼女は孤独に苦しみ、そして誰かに助けを求めて街を彷徨うようになった。
「すみません。占いって、どんな事でも見てもらえるんですか?」
 啓介と出逢ったのは、そんな時だった。
 当時はまだ無名で、道端で流れの占い師だった彼の前に、日々子が現れたのだ。
「あー、はいはい。四柱推命、星占い。手相もできますよ……っと、君。もしかして」
 氷川の母と呼ばれ、テレビなどのメディアで取り沙汰されていた彼の実母とは違い、啓介には占い師としての才能が無かった。
 だが人一倍、人を見る観察眼が優れていた啓介は、日々子が禍星の子だとすぐに気付いた。
『自分に才能がないのなら、ある奴を利用すればいい』
 この幸運を逃すまい。啓介はこの時から、この無垢な少女を傀儡にしてやろうと考えるようになった。
「お願いします。私、どうしたら良いのか全然分からなくて……」
「安心してくれ。俺は君のような悲しい宿命を背負った人間を、何人も知っているんだ」
「そうなんですか!? 良かった、私だけじゃなかったんですね……!?」
 初心で男を知らなかった日々子。年上で頼れる男性だった啓介の毒牙に、彼女は簡単にかかってしまった。
 啓介はまず、禍星の子の宿命について話すことにした。そしてその事実を誰にも言うなと口止めした上で、自分だけが味方なのだと甘言を吐いた。
 上手く同情と共感を誘えば、日々子は簡単に気を許した。このまま身体も心も完全に落としきってしまえば、自分が占い師として母親を超える日が来るかもしれない。
 啓介は適当な占いで彼女を導きながら、内心で高笑いを上げていた。
 だが、そんな啓介の目論見は大きく外れてしまった。
 母親が、星廻が始まったことを告げたのだ。
 啓介は焦った。
 自分は禍星の子ではないから、そこまで身の危険はないはずだ。だが、日々子の命が危ない。彼女が透影になって死んでしまえば、自分の目論見がすべて台無しになってしまう。
 この時すでに、啓介は日々子の力を自分の力であるかのように錯覚していた。そして、その力を手放すことを恐れていた。
 悩みに悩んだ啓介は、先に手を打つことを決心した。
「日々子、良く聞いてくれ。透影にならず生き残るためには、他の禍星の子を残らず殺さなければならないんだ」
「殺すっ!? それって、人殺しになるってことですか!?」
「あぁ。だが、お前の手を汚させるわけにはいかない。……大丈夫だ。全部俺に任せておけ」
 と、嘘の説明を日々子にした。そして彼女の身を護るために、形だけでもいいから夫婦になろうとプロポーズをした。家族ならば、著名人である母も護ってくれるから、と言って。
 日々子はその提案を飲むしかなかった。半ば強制的に籍を入れられた。
 そしてこの頃から、日々子は啓介に軟禁され、誰の目にも触れられなくなった。
 次に啓介は、当時のカレイドスコープ代表だった母親を利用し始めた。あらゆるコネと権力を持つ母の力は偉大で、他の禍星の子の追随を許さなかった。
 情報戦を制した彼は、次々と禍星の子を見つけ出し――容赦なく殺していった。
「啓介さん! 私、もう耐えられない……」
「仕方がないだろう。これは全部、お前の為なんだぞ!」
「でも人殺しなんて、許されることじゃないです……!」
「ならお前が殺すか!? やれんのか、おぉ!?」
 啓介は決して自身が悪いとは言わなかった。全ての罪を日々子に擦り付け、自身を正当化していた。
 モラルハラスメントを受け続けた日々子の精神は、ボロボロだった。
 自分が生き残るために、次々とヒトが殺されていく。その罪悪感に、彼女の心は押しつぶされそうだった。
 彼女は星廻で多忙な啓介の目を盗み、いつかのように街を徘徊するようになった。
 そして、彼女は運命の出逢いをすることになる。まぶたを涙で腫らしながら歩いた先で、天啓教会を見つけたのだ。
「……こんにちは、迷える子羊よ」
「えっ? 神父さん、ですか?」
 ふと気付けば、どこかの小部屋で座っていた。そして仕切り一つ挟んだ先から、誰かに語りかけられている。
「えぇ。ここは貴方のような悩みを持った御方の話を聞く部屋です。大丈夫。ここで聞いたお話は、絶対に口外しませんよ」
 それは心に染み渡るような、優しい声だった。
 啓介とは違う男性の声で語りかけられ、つい心が動いてしまった。
 ――神に仕える神父様なら、大丈夫かもしれない。
 誰かに話を聞いてもらいたかった日々子は、せっかくなので顔も見えない神父に話してみることにした。
 結果、それは日々子にとって正解だった。
 罪の告解を、神父は親身になって聞いてくれた。日々子を責めることもなく、全ての罪を彼は赦してくれた。
 相手は人の罪の意識を糧にする、悪魔だったとは知らずに。
 罪を告白し、慰められているうちに、日々子はこう思うようになった。
 ――この優しい神父様の顔を見てみたい、と。
「顔を見るぐらい、神父様も赦してくれるわよね……?」
 本来ならそれは許される行為ではない。だが日々子の倫理観はすでに狂っていた。
 だから彼女は、こっそりと教会に忍び込むことにした。
 いつものように懺悔が終わった後。彼女は教会の裏口に回り、開いていた窓から侵入した。
 階段を上り、物音がする部屋の扉の隙間を覗くと――彼はそこに居た。そして、一瞬で恋に落ちた。
 彼との逢瀬は、今まで感じたことのない、幸せなひと時だった。
 そのまま教会の二階で、日々子は彼に抱かれてしまった。たが、それを嫌だとはまったく思わなかった。
 ――こんなにも、あの人とは違うとは。
 その日以降、日々子の心はゆっくりと平穏を取り戻し始めていた。
 しかしその秘密は、啓介にバレてしまった。ある日教会に行くと、神父の代わりに啓介が居たのだ。
 俺が手を汚している間、お前は何をしているのだと大声で責められた。
 日々子は恋に夢中になりすぎていた。嫌なことから目や耳を塞いでいる状態で、星廻がどうなっていたのか知ろうともしていなかった。
 この時点で、残っている禍星の子は日々子と啓介の母親だけだった。
 否、その母親ももうこの世にはいない。啓介は最後の仕上げとして自身の母親を殺し、この教会にやってきたのだ。
 事実を知り、呆然とする日々子に啓介は薄ら笑いをしながら言葉を掛けた。
「あの神父がそんなに心配か? ソイツならこの本の中に居るぜ。……だが、もうお前とは会うことはない」
 啓介の手には、タロットの書とライターがあった。そして足元にはガソリンのポリタンク。
 日々子には彼が何を言っているのか、全く分からなかった。
 どうしてあの御方が本の中にいるの?
 今日は私の誕生日だから、お祝いしてくれるって言っていたのよ?
 何故私を迎えに来てくれないの……?
「どうして……?」
 啓介は混乱する日々子の目の前でそれを燃やし、教会にも火をつけた。
「馬鹿が! お前には、俺しかいないんだよ!」
 その言葉はもう、日々子の耳には聞こえていなかった。日々子を支えていたものが、全て消え失せた。
 だが、悪夢はこれで終わりでは無かったのである。
 失意のどん底に陥り、啓介の操り人形として過ごす日々子。そんなある日、堪えようのない吐き気を催した。
「日々子! ついに子供を孕んだのか!」
「……子供?」
「やっと俺との子供だ! 良くやったぞ!」
 そう、彼女は妊娠していたのである。
 きっと子供は禍星の子に違いない。後継ぎができたと喜ぶ啓介の傍で、日々子は全く別のことを考えていた。彼女は、お腹の中にいる子は啓介との子供だとは思っていなかった。
「この子は……あの御方との子供なんだわ……」
 マルコは居なくなっても、その魂は自分のお腹に宿っていると信じた。そう信じなければ、彼女の心はもう、持たなかったのだ。
 それ以降、日々子は愛娘を育てることだけを生き甲斐に生きてきた。
「今のは……」
「どうしたんだ、日々子。なにか吉兆でも出たか?」
「え? あぁ、はい……吉兆です。それも、凄く良い……兆しですわ」
 ある日、日々子は占いでアルカナの二十一人が目覚め、あの方が復活したことを知った。
 マルコと結ばれ、娘を授かってから十七年目の夏のことであった。
 そしてそれは、再び星廻が始まることを意味する。
 彼女は今度こそ家族を守りたいと願った。禍星の子である自分と娘、そしてマルコの三人で暮らす。そのために、彼女は己の手で殺人を犯すことを決めたのだ。
「今度は誰にも邪魔させない。自分と娘、そしてあの御方と本当の家族になるの」
 こうして悪魔が復活し、全てのアルカナが揃った。悪魔の寵愛を求め、命懸けの鬼ごっこが始まる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?