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【⚠️ネタバレ⚠️】【3D舞台『カタシロReflect』#フレシロ】#配信感想

この記事は3D舞台『カタシロReflect』のネタバレを含んだ感想です。












ここからネタバレはじまるよー。



前書き

まずは、フレシロ配信からだいぶ日にちが経ってしまって初々しい感想を逃したことが大失敗だなと感じました。思い出してみるととても哲学の話も交えていて記憶喪失とSFのような信じられない現実から目をそむけたくなる展開は初見だからこそ感じる感情を言語化できると新鮮な文章も書けたのかもと思う後悔先に立たず。そんな数ヶ月経ってから改めて再度頭から見直してみた感想を本文に譲りたいと思います。またこの記事は一筆書きで添削とかしてないので矛盾だったりしてても許して。あと~だ。や~ですが混じってるのも許して。ではどうそ。

本文

◆がんばりふれくとー!!
舞台本番前のトークでアユム役の周央さんとフレンが息を合わせてあげた号令の一言。私は3D舞台『カタシロReflect』をフレンverで初めて視聴するのでフレンと同じ気持ちでどんな舞台劇が舞ってるんだろうとドキドキワクワクした気持ちでいました。なにごとにも一生懸命のフレンならなにをやっても大成功だろうともう勝確な大船に乗った気持ちで待機していました。正直私はTRPGもクトゥルフも触れたことがあまりなくてまったく予想ができないところで色々な感情を抱えながら楽しみにしていました。正解のない舞台ということで即興劇がフレンとコラボしたときどんな物語の展開の仕方をするのかとても楽しみで仕方なかったです。次から本編書き始め。

◆目覚めると病院にいた
開幕記憶喪失で持ち物や情報などなにもない状態からスタートなのかと静かに状況確認をしながらフレンの動きや言動に観察していました。舞台劇であるからそこが病院の手術室だと視覚的にわかりました。これまた3D舞台を見た興奮のまま記事を書いていればよかったと思う手術台近くの工具には自身になにが起きたのかを知る手がかりだったことを終盤で知った時の衝撃は今はもう思い出せない。記事にするなら興奮した気持ちを言語化するべきだしなぜ興奮してるのかは私オリジナルの感情でありそれは私固有の記事になると思います。これからはそういします。なむさん。ま、そんな与太話は置いといて、医者役の健屋さんが入ってきた。しゃべり方がいつもと違う。いつもは人懐っこそうな人当たりのいいはきはきした声なのに、今回は言葉に句読点があるようなパキッとした感じのしゃべり方で静かな権威を感じました。どうやら医師健屋さんがフレンの処置をしたらしい。3日で退院ということは3日間の物語のようだ。医師健屋とフレンのトークセッションが始まる。

◆囚人のジレンマ
フレンの記憶を取り戻すために思考実験を通して回復させていくみたいだ。
Wikipedia引用
――始まり
思考実験とは頭で想像するのみの実験。科学の基礎原理に反しない限りで、極度に単純・理想化された前提で行われる想定上の実験
――終わり
要はリアルな妄想上の禅問答です。
思考実験は様々あり、そのなかでも今回は囚人のジレンマを題材にトークセッションを広げるみたいです。
囚人のジレンマとは、端的に書くと報酬のランクと引き換えに相手を信頼と裏切りの間を揺蕩うジレンマを感じる思考実験です。
この思考実験の相手役を医師健屋と見立てて実験を行いました。
結果
 フレン :黙秘
 医師健屋:自白
フレンは10年懲役、医師健屋は釈放となった。フレンが黙秘を選んだ理由が少しでも関係値のある健屋さんだからこそ信頼して黙秘を選んだ。同じ黙秘なら最短の懲役期間ですむし、自白でも健屋さんは釈放できるからという理由ですこしでも健屋さんの負担が少なくなる方を選んだ。それで10年懲役になっても関係のある誰かが助かるなら私は構わないという。自己犠牲の精神だなと率直に思いました。自分の得は相手に譲っても良いというフレンの考え方は傍から見ると賞賛される美徳だなとも思えるが、フレン最推しの私からすれば言語道断でもっと自分にずるくても幸せになる方を選んでほしいと願う思いでした。そうすれば10年は免れて最長で5年で出られる方を選んでほしかった。しかしここでフレンに幸せになってほしいという私の文章が私に語り掛けてくる。フレンは相手の幸せを感じてる姿に幸福感を感じる尊い精神の持ち主である。だからフレンが自白を選ぶことはもとよりないのだと早々に気づくべきだった。この思考実験は信頼と裏切りのジレンマとも言い換えられそうです。フレンは裏切られようとも一度信頼した相手には奉仕の精神でもって尽くす健気な女性なんだとこの思考実験で明らかになった。本当にフレンには幸せになってほしい。そう思うほどの自己犠牲の精神で服の下はとても痛々しい傷だらけのフレンを連想してしまった。その傷を負った代償のめいっぱいの幸福を受け取る日が来るといいなと思う今回の思考実験でした。
 ちなみに私もこの思考実験をしてみました。
結果:相手との信頼度合いによる
でした。
 信頼ある:黙秘
 信頼ない:自白
ですかね。10年は長いっすよ先輩。信頼関係のある間柄なら阿吽の呼吸でお互いにとって最短の2年を選ぶと思います。釈放されたあとのしこりがのこりますからね。逆に信頼ないあいてに10年の重しを背負って相手だけ幸せは割りにあわないですからね。そこで相手が黙秘を選んで私が釈放されても信頼関係ない間柄ならどうなっても問題ないと思います。でも黙秘を選んだってことは相手は少し私に信頼があってそれを裏切るということですから私にとっての私の内面と相談してでた損切で後生恨まれてもその重しは背負ってもいいと思える10年だなと思います。

◆手術台の上での移動がとてもお上品
大股で足を移動するのではなく脚をとじながら移動する姿はさすが元アパレル店員だなとおもった。座り姿も立ち姿も手術台の移動もきれいに見せ方はお手の物ってか!?さすがフレンです。3Dの度凛々しいお姿を見て素敵だなと思ってみています。

◆アユムとの初トークセッション
まず周央さんの幼い子の役がとてもリアルで子供特有の会話のテンポガン無視のしゃべり方は本当に小さい子と喋ってるみたいでさすがでした。そのすごい演技もあってフレンの声のトーンも少し上がって本当に小さい子に話してるお姉さんになってておねショタ好きの私はごまn…ゲフンゲフン、失礼、取り乱しました。優しい空間ができててとても癒されました。

◆テセウスの舟
これまた思考実験で船体のパーツを新品に交換していき最終的にすべてのパーツが新品になったときその船はテセウスの舟と言えるのか。要は存在(モノやヒト)に与えた名前はどこまでその存在であったということが有効かということ。
フレンの答えは
 モノであるなら:他者の認識が重要とのこと
 ヒトであるなら:本人の認識が重要とのこと
そこで医師健屋はいじわるな質問をする。
 記憶のないあなたはフレンと言えるのか?
フレンの回答に基づくなら記憶のないフレンはフレンである記憶を有していないのでフレンだといいきれない。しかし記憶のないフレンが私はフレンだと再認識したのならそれはフレンといっていいだろう。それは他者からの記憶の受け渡しがあったのかもしれない。資料や証拠から私はフレンだと認識できるかもしれない。つまり本人の記憶以外の他者の記憶と記録の自己外媒体からの認識でもフレンと認識できそうだ。この場合自己外媒体からの認識はモノであるならの認識にとても近い。物自体には記憶はないが乗組員の記憶や記録があればそのモノはテセウスの舟であるといえそうだ。そうなると記憶のないフレンはモノと同じ状態だったといえる。記憶を失ってから再出発して新たに記憶を蓄えていくことはフレンがヒトになっていく重要な段階なのかなと思えた。
 私も考えてみた。
結果
 概念上の位相から見た存在に名前を与えたものをテセウスの舟と呼ぶ。存在に着けられたタグが一致するものをその名前の存在と呼ぶ。
端的にいうとたくさんのその存在の存在たる情報の紐づけが完全に一致する存在をその名前の存在だと呼べると思います。同じ設計の舟を再現しても船に名前を書いたやマストが折れたことがあるや大荒波を航海したや穴が開いて新しい木に差し替えた。全身新品になったがこれまで蓄積してきた情報達が同じ設計図の同型艦をつくってもその情報を有してないのでそれ以外の同型艦はテセウスの舟とは呼ばない。逆にその情報をすべて有する完全一致の情報を持つ舟をテセウスの舟と呼ぶ、と私は考える。またその船が木っ端みじんに一瞬で完全蒸発したときはその存在の情報ごと消えるのでテセウスの舟を消滅したと認識できる。またそのとき木っ端みじんに吹き飛んだ中で一部かけらを見つけてお墓を建てるならその一部は確実にテセウスの情報を持ったかけらだと言える。そのかけら+それ以外を新品にして新たに舟を作ったならそれは…わけわからなくなってきた。結局私の話は情報を認識するのは乗組員だから乗組員の認識が重要ということでした。フレンと同意見ですね。うれしー!!。これが代謝をする人間ならどうだろうか。その人間が記憶喪失して周りに知人もおらず記録もなければその人物を担保してくれるものが何もない。何者でもないということ?つまり死とは何かということになるのでは?モノの死は蒸発すること。一部でも残っていたらまだテセウスのかけらとう名前が付けられるからそのかけらを新品の舟に取り付けたならそれはテセウスの舟と言えると思う。ヒトの死は意識が途絶えること?肉体の生命活動が停止すること?幽霊が存在するならその幽霊になった存在はまだ幽霊となって存在している?日本のお盆や遺骨がいい例か?形が変わってもその存在はその存在たりえる。つまり他者認識が重要??
結果私の結論は
 モノであるなら:他者認識
 ヒトであるなら:自己・他者認識
となり、ながなが書いてきましたがフレンとほぼ同じ意見となりました。ここまで読んでくれた方がいましたらお疲れ様です。結局実のない話をながながしてしまいましたが、これが私の結論です。テセウスの舟の見極めはどこに死を据えるかによると思うのです。

◆アユムとの2日目のトークセッション
アユムが動けない以外に目も見えないとしり動揺し涙するもしゃべり声だけは気丈にふるまっててフレンの相手に心配かけさせたくないという思いが伝わり苦しい心情が伝わって私もウルウルとしました。フレンは囚人のジレンマでも見せた自己犠牲の精神に加え相手に心配かけさせたくないという思いやりの精神も持っていて、フレンあなた本当に聖人です。世界救えちゃいそう。そんな兎にも角にも他人優先のフレンにはフレン最推しの私からはもっと自分に自由になってほしいと思いました。フレンは我慢強い言い換えれば自分に厳しいなと思えてもっと自分に優しくしてあげてもいいのにと思うほどでそんな頑張り屋なフレンにはいつか大きな幸せを受け取ってほしいです。
 またPCのパスワードのアユムの誕生日をサラッと聴いてるのうますぎて話術使ってる?と思うほどでした。なんでって聞かれた時もお祝いするためだよとスッと優しい嘘も使えてフレンどこまでいっても優しいお姉さんでした。

◆臓器くじ
要は一人の犠牲で大勢を助けることはありかなしかという問答
フレンは臓器提供者に自分の意思があるないいと思うとのこと。しかしもし自身の大切な人が臓器を待っている組にいるのならフレン自身が臓器を提供するとのこと。また大切な人がまってるなら人生に満足しているなら殺されてもいいけど、まだ死ねないやりたいことがあるからという。ここにきても自己犠牲が関与していて人生に満足してしまったら殺されてもいいととてもセンセーショナルな発言でとても将来が心配になりました。
 また私も考えてみました。
結果
 臓器くじには反対
消極的な行動で救いがないが技術の発達で3Dプリンターで作った臓器みたいなのが将来的に実現すればこんなくじをせずとも大丈夫になる未来がきっとくると信じて積極的な行動は控えて技術革新を待つまたは立候補するドナーの存在を待つのが今現状の限界なのではないかと思います。

◆PCのパスワードを開いてみたデータは…
名前の一覧と適合率のという文字が。これをみておおよそのここの手術室にいる理由に気づくフレン。

◆アユムとの3日目のトークセッション
もし退院したらなにをしたいのか遠回しに聴くフレン。救ってあげる気満々で本当に辛い時間だった。アユムの希望に満ちた未来を待っている声はとてもキラキラしていてそれがさらに辛さを助長させました。

◆アユムの扉を開いて見えたものは…
そこには横たわるフレンと溶液に着けられて脳みそだった。アユムは動けなくて見えないのではなく体そのものがなかった。その現状に動揺を隠せないフレンは狼狽えて右往左往する姿はとても痛々しくてとても残酷な現状に驚きを隠せておらずまた涙も流していてフレンの重い心情を感じ取りました。

◆体をあけわたすか…
フレンは即答でYesといった。こんなかわいくて未来にキラキラを持たせてる輝かしい幼子が外の世界を知らずに死んでいくのは我慢ならないとのことでそれなら自分は健康な肉体をあけわたすと即答したのは自己犠牲の究極をみてるようでとても心配になった。もしもアユムがフレンに対して幼子のような言動をわざと使って感情移入させようとわざとしていたとしたらフレンは騙されて体を引き渡すことになるという別ルートも見えた。フレンのすぐに相手と打ち解けて信用するのはフレンドリーで素敵だが騙されやすいなとも思えて本当に気を付けてほしいと思う限りでした。今回機械の身体になってそれでメンテナンスして最善を医師健屋がしてくれると約束するなら自身はそれでもいいと即断できて英雄的行動でとてもカッコよくも見えまた心配にもなる私の最推しでした。

後書き

囚人のジレンマでは信頼ある相手には自己犠牲、テセウスの舟では自分という存在は自身が信じる自分である自己責任ともいえる。臓器くじでも信頼あるあいてなら殺されてもいいなど自分に本当に厳しい人なんだなとつくづく感じさせられた切ない物語でした。自分を犠牲にした対価がちゃんと過不足なくフレンの手に届いてくれるといいなという言葉を最後にこの記事を締めくくりたいと思います。
 ここまで読んでくれてありがとうございました。とても楽しかったです。

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