就職について
「就職」という言葉に対して噛み付く必要はないと思います。
「就職」すればいいわけじゃないだとか、「就職」は皆で同じ格好をして形式ばった茶番のプレイだとか、「就職」活動をしない人はかっこいいだとか、そんな言葉を私はよく見かけます!
でも、就職…って、お金が欲しい人が、自分の合った会社を見つけたくてやるものでしょ?
人間生きていくためにはお金が必要で、みんながみんな「この職/技術/仕組みで食っていくぞ〜」なんて思っているわけじゃないのだから、よいシステムだと思いますよ
皆で同じ格好をして新喜劇をするのも、それで世界への順応度だったり、自分で物事を考える力だったり、分かるものはありますからね
就職活動それ自体を腐す気には全くなりません。
ただ、自分がやりたいか?と問うてみるとうーんどうなのでしょうか、やってみようとしたこともあるけれど
私はけっこう私が強いタイプで、私は私に嘘をつかせたくないし、私は私が嘘をつく人間になっちゃったらあちゃちゃ〜こんなんなっちゃったか〜と思ってしまいます。
これも経験だ楽しむぞ!深く考えずまあやるか!とね、考えればまあまあなのかな
「皆がやってる新喜劇」に私も参入!の気持ちで、浅く浅く、自分なりに楽しめばいいのでしょうね
20歳の後悔って30歳〜でするものなので、現在の行動に対してあまり深く考えてもしかたなく、現在は現在の目の前にあるものを浅く考えてやるしかない
みたいな感じでやるのがイージートゥドゥなのでしょう
でも、その「新喜劇をやる楽しさ」って何?と具体的に考えてしまいますと、それってやはり「私、こんなこと思ってないのに言ってる〜(ヒャア〜!)」になってしまうんですね
それはやはり品がないというか、清らかさがないと思いませんか。
だから、自分なりの楽しみ方は、「自分に嘘をつかずにどこまでいけるか」であり、
ただ正直なだけではあらあら世間知らずさんこんにちは〜と言われるだけなので、
「嘘をつかなくてもいいくらい、いろんなことに関心を持ってアンテナを張り、自分が本当に『やるべき』だと思っていることを増やすこと」
が今やることなのかなと思います
お金のことを知らないとお金の大事さや問題点はわからないし、政治のことを知らないと政治の大事さや問題点はわからない
さらに、上記の世界の具体的な現象に問題意識を持つには、歴史や哲学を知らないといけないんですね、なにが問題かって、自分で分かるには限界があるから(もう小学生じゃないんですよ〜)
さらに、上記の学びを得るには、語学も知らなきゃいけないんですね
さらに、語学を学ぶには継続が大事だから、自分を整えなきゃいけないんですね
整ってないと、心から継続するぞ!と思えないですからね、自分が満ちている必要があります
だからこそ、自分の魂と身体を気持ちよく整頓してあげることが肝要です。
全て100%を目指してはいけません。100%は、ゴールは、何にもありません。
時期を見ながら、自分の体調と相談しながら、自分の人生でできることを、することです。
大事なのは、進むことです。ひとつの段階に固執せず進むことこそ、その段階をやる意味なのです。進むために今の目の前のことをやるのであって、目の前のことを終わらせるために目の前のことをやるのではありません。
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