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ゾンデと共に


    

朝の通勤時間、六本松のバス停に立つと風向きによって、大濠の気象台から飛ばされるゾンデが見える。
真っ白な風船が長いしっぽをつけて音もなく空深く登っていく。
その日が雲ひとつない青空だったら、その白さが際立ち目を奪われる。
どこまで小さくなって見えなくなるかは、いつもバスに乗り込むので分からないが、見える限りはアホのように空を見上げる。
で時々まわりを見廻すけど、誰も気付いていない。
あんなに見事な白と青のコントラストはないのに、もったいない!
通勤時間は忙しなく、みんな目の前しか見ていない。
ゾンデか飛んでるヨー と指差しながら叫びたい! が子供なら良いが婆さんが叫んでいたら認知症と間違えられかねない。
なので静かに見上げる。以外に人はそらを見上げないのだ、雲がどんな形か晴れているのか、曇っているのか、雨雲の動きや星座、惑星、月、夕焼け、飛行機雲…

私は外に出るとどうしても一番に空を見る。
子供の頃からそうだった。
中学の頃に見た人工衛星は衝撃だった。
初期の人工衛星は30mのバルーンだったと思う、地上から電波を当てて反射させる簡単なものだったけど、夜空を一等星以上に明るく輝きながら横切っていくのは、いつ見ても心を奪われた。
それが今はISSが夜空を横切って行く、見上げながら感動するのは、あそこに人が乗っている事実!
まさか本当に宇宙ステーションが生きているうちに見れるとは!
長生きはするもんじゃ…年寄りくさい(ホントに年寄りなんだが)

私たちの遺伝子の中に、大なり小なり昇って行こうとする鎖があるのではないかと思う。
だから昇るものに惹かれる、昔は昇り竜とか
鯉の滝昇りとか。
今も変わらず朝日の出に手を合わせ、ロケットの打ち上げに感動し、花火が打ち上がると見上げずにはいられない。

だから人も経済的に上り詰めたり、技術を突き詰めたりするのだろう。
最終的には魂の上昇に行きつくのではないかと最近気付いた。
昇りたいと言う思いが遺伝子の二重螺旋に組み込まれていて、それがいろんな所でムズムズと勝手に動きはじめる。
私の意思に反して、思いもよらない流れを創っていく、だから今は流れにのる練習をしている。
サーフィンのように乗りこなすのではなく、風に乗ってふわふわと空を昇っていくゾンデのように

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