とんしょうぼだい
伯母が亡くなった。
心不全での急逝だった。
新幹線とローカル線を何本も乗り継いでやっと会える距離だったので、数年に一度会う程度だったけれど、子供のころから可愛がってくれて、大人になった今も、いつも気にかけてくれてた大好きなKおばちゃん。
これを書いている今、葬儀の真っ最中だ。
それなのに、私は葬儀場から遠く離れた自宅にいる。
気持ちだけでも届くようにと、ロウソクに火をともし、線香をあげながら書いているが、果たして意味があるのだろうか。
なんで一緒に最後のお別れができないのだろう。
そう思うと、はじめて涙が溢れてきた。
たくさんの愛情をありがとう。
いつも気にかけてくれてありがとう。
たくさん話を聞いてくれてありがとう。
困った時、すっと手を差し伸べてくれてありがとう。
ーーー私を信じてくれてありがとう。
伝えたい言葉がたくさんあるのに、なんで私はここにいるんだろう。
あぁ、涙が止まらない。
今すぐ飛んで行って、お顔を見たい。
会いたい。最後に手に触れて、お礼を伝えて、おばちゃんがだいすきなお花を手向けたい。
なんで、ねぇ、なんで私はここにいるの。
なんで、なんで、なんで……
◆ ◆ ◆
近しい人が亡くなるたびに、夜伽の意味を考えていた。
大切な人が亡くなってツライ中、なんで一晩中起きていなきゃいけないのか。心が傷ついているから、せめて身体だけは休めるために寝るべきではないか?
なんて思っていた。
今回やっと意味が分かった。
一晩中みんなで悲しみを分かち合いながら、少しずつ気持ちを整えていたんだと。故人の思い出を話すことで、悲しみを身体から出していたんだ。
これを書き始めて、私は初めて泣くことができた。
自分の気持ちを整理するためにも、夜伽の代わりに記録を残しておこうと思う。
◆ ◆ ◆
令和4年4月15日(金)の夕方、突然の訃報だった。
本当は連絡を受けてすぐ飛んで行きたかった。
本当に?
私は本当にすぐに駆けつけようとした?
家族と連絡を取り合いながら、心の中では何を考えていた?
「コロナ禍だけど、お葬式どうするんだろう」
そればっかりが頭を巡っていた気がする。
伯母は外出先で急逝したため、警察の現場検証などが入り、葬儀の日程が決まるまでかなりの時間がかかった。
うちの家族だけでなく、他の親戚も離れた場所で暮らしているので、日程が決まるまでの間、絶え間なく電話が鳴り続けていた。
亡くなった伯母は4姉妹の1番上で、うちの母は末っ子。
2番目の伯母が中心になって、3番目の伯母と母へ連絡をまわしてくれた。
いまいち情報がまとまらない。
そりゃそうだ。
連絡網がキッチリ決められているわけでもない中、母たちからすると『長姉の急逝』というセンシティブな話題を、複数人を介しながら電話で伝えあうのだ。うまく伝わるはずがない。
喪主である伯母の夫は、ずっとパニック状態で何を言っているか分からない上に、なかなか決まらない葬儀日程。すぐに駆け付けようにも、どうにもならない距離。
そして、『コロナ禍』であるということ。
そもそも、葬儀日程が決まらない事には話がすすまないのだが、みんな誰かと連絡を取っていないと悲しみに押しつぶされてしまうんだろうなと分かっていたから、正解が出るはずのないとりとめのない電話でも、私には止められなかった。
数時間が経ち、現場検証と亡くなった伯母のコロナ検査が終わった。葬儀日程も決まったらしい。
さて、葬儀に向け細かい予定を決めようかという頃になって、大きな意識のズレが発覚した。
ーーーたくさんの人に見送って欲しい。
喪主である伯母の夫が、かなりの人数に声をかけていることが分かった。
コロナに対する考え方の違いが元で、葬儀の方向性が定まらない。
次第に、伯母が亡くなった悲しみよりも、まとまらない話に対してのイライラが募っていくのがヒシヒシと伝わってきた。2番目の伯母と母の電話を隣で見守っていた私は、なんとも複雑な気持ちだった。
このままでは変な方向にこじれそうだと感じ、私は母に、亡くなった伯母の旦那さんではなく、息子と連絡を取ることをすすめた。
実は先ほどから伯父と表記せず、伯母の夫(旦那さん)と表記しているのは、再婚相手だからだ。亡くなった伯母の息子・娘と、その旦那さんは血が繋がっていない。
仲が悪いわけではないが、母や2番目の伯母からすると少し遠い存在なのだ。
気遣いという名の変な遠慮がぶつかって、すべてが悪い方向に作用し始めている。
2番目の伯母が亡くなった伯母の息子と連絡をとった結果、案の定、旦那さんの暴走だということが分かった。
「最後くらい盛大に見送ってやりたい」という一心で、旦那さんが亡くなった伯母のLINEに登録されている連絡先に、片っ端から葬儀日程を送っていたらしい。
旦那さんの気持ちも分からなくはないが、葬式に集まったことが原因で、新たな葬式を生んでしまっては元も子もない。
亡くなった伯母たちが住んでいる地域は、感染者数が1ケタ台で落ち着いていることもあり、感染者数の多い地域から大勢の人が来るのは、息子の奥さん&娘の仕事のことを考えてもあまり好ましくはない。
そう言って、息子&娘が伯母の旦那さんを説得し、最終的には県外組は参列しない方向で話がまとまった。
そこからはもう早かった。
葬儀に間に合うようにお香典を準備して送らなければいけない。お供え物やお花の手配も。
母たちはお別れの手紙を書いたが、私はうまく言葉にできなくて手紙が書けなかった。
どうしようか悩んでいると、ふと祖父母のお葬式の時は、夜伽の時にみんなで般若心経を書いたことを思い出した。
お坊さんに「意味は分からなくてもいいから、全員で書いてね」と見本とコピー用紙を渡され、みんなで「この漢字難しいね」何て言いながら写経し、それを棺に入れて見送ったのだ。
今回も、祖父母の時と同じお寺のお坊さんが来てくださることになっていたので、私は手紙の代わりに般若心経を写経して送ることにした。
伯母の名前の後にそれを書いた時、本当に亡くなったんだなと感じた。
それでもどこか実感がわかず、涙は出なかった。
◆ ◆ ◆
そして、葬儀当日。
葬儀開始の時間に合わせて、私はこのnoteを書き始めた。
不思議なもので「あっ、これを書いている今、おばちゃんの葬儀がおこなわれているんだ」と思ったら自然と涙があふれてきた。
実は私は母からとある頼みごとをされた。
葬儀をリモートでつないでもらえないか、伯母の息子(私にとっては従兄弟)に頼んで欲しいと。
「葬儀屋さんでは対応してないみだいだけど、あなたたちみたいな若い子ならそういうのできるんじゃない?」
私は間髪入れずに断った。
「あなたたちにとっては姉だけど、従兄弟たちにとっては母親だよ?実の母親が亡くなったばかりの人に、『リモートの手配して』なんて、とてもじゃないけど言えないよ」
◆ ◆ ◆
大切な人の死に、『コロナ禍』というたった1つの要素が加わっただけで、本来こじれるはずのない話がこじれ、相手を想う優しさから生れたはずの『気遣い』が話をより複雑にする。
昔から受け継がれてきた大切な人とのお別れの儀式にまで制限がかけられ、どうやって故人を見送るかではなく、『コロナ禍での葬儀の在り方』を1番に考えさせられる。
うまく消化できない気持ちは、どこにしまっておけばいいのだろうか。
大切な人との別れを悲しむ邪魔をしないで欲しい。
誰も悪くない。
だからこその、やるせなさ。
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