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G氏とK女史のいざこざを今更みて思う事-ウェブ言論空間の夢の終焉-

 この実にしょうもない争いを見てて、なんというかお互いに知的エリートなんですよね?と言いたくなる品のなさで、そりゃ人文系の価値も暴落するなと思った

 当人たちよりも、取り巻き連中は輪をかけてひどく、醜悪の一言しか浮かばなかった。なんというか落ちぶれ知識人やワナビー、亜インテリたちの嫌らしさが充満しており、どちらの陣営にも辟易してしまう。

 あと、「おい、俺の議論に反論してこねぇのかよ。なんだよ。口だけだな」みたいな態度。本人たち的には「リベラルの偽善を暴いた!」のかもしれないが、はたから見ると「だっせぇ態度だな」としか思わないので、ほどほどにした方が良いかなと思います。(まぁ、議論を吹っかけておいて、反論したら再反論してこないからだよ!と言いたいのかもしれないが、良識ある大人は、そういう事は胸の奥にしまっておくものでしょ)

 とまあ、一部の人文系の担い手たちには失望しているのだが、ふと、この醜さは、ツイッターというメディアの特性により、強く助長されてるなと思った。140文字が1投稿のあのメディアでは、文脈の無視は容易に起こりうる。また140文字で1投稿であるがゆえに、あまりにも気軽にも他者に言及できてしまう。

 私は「はてな」の文化圏出身なので、他者に言及するならば少なくとも1000文字は書くべきだし、犬笛吹いて取り巻きに襲わせるなんて最低だという感覚がある。だがツイッターはどうもそうなっておらず、140文字の強いだけの言葉で、取り巻き同士が殴り合っているという非常に醜く悲惨な光景が常に見えていると思う。そこにはかつて夢見られていたウェブ言論空間とは真逆な陰惨な世界しか見えない。

 しかし、この流れはもう押しとどめる事は出来ないと思う。最近、cakesやBLOGOSの様なウェブメディアがどんどん閉鎖している。私が大学生の頃は大まじめにウェブ発の言論メディアの可能性が語られていたが、結局テレビや新聞と言ったオールドメディアの底力を見せられただけだった。確かに中川潤一郎氏のように「ウェブメディアなんて下らないさ、結局PV稼げるのはゴシップばかりなんだから、ウェブ言論空間なんてありえない」という声も大きかった。

 しかし私は当時こう思っていた。「たしかに一般人向けには中川氏が言う通りだろう。しかしある程度の知的下積みのある亜インテリ達は、長文を読み書きする能力があるのだから、そういった人たち向けに必ずウェブ言論空間の需要があるはずだ!そこでは下卑た2ch文化圏とは違う高尚で穏やかなウェブ空間が出来上がるはずだ!」と…

 しかし、いま私の目の前にあふれているこの悲惨な光景を見ていると、知的エリートだろうとワナビーだろうと、結局そんなに長文でやり取りしたくないのだな、それよりは140文字(!)で罵り合ってる方が楽なのだなという思いだ。それなのに一部の連中は、ウェブの言論空間に見切りをつけたとか何とか言って動画の世界に逃げようとしている!私から言わせれば、ウェブの長文文化を復興させようともせずに、よくもいけしゃあしゃあという気持ちだ。

はてなの没落、BLOGOSの終焉を見ていると、私の好きだったネットの一部が死んでいくのひしひしと感じる。長文の力はますます弱くなるだろう。強いだけの短い言葉、わかりやすい図解、いいねで可視化された議論の流行、価値の絶対化、どちらの陣営につくのか迫るばかりの言葉…そんなものばかりが言論空間を占めていくのだろう。そしてそれを好む人たちが多い以上は、私もそれを受けて入れていくか、ネットの片隅で虚勢を張り続けるしかないのだろう。(だが、ネットがまだ広大ならば、どこかに私が理想とする場所があるのかもしれない)

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