「批判」を成立させるための五要件


一、変更可能な事象についての批判であること(変更可能性)

 これは当然で、変更出来ないことについては対処もできないのだから批判のしようがない。所謂「先天的な事項」に対する悪口が差別だとされる所以にも繋がる。
 また、「変更可能ではあるが(心理的含む)コストや能力などの理由で困難」という場合には、その困難さと批判によって得られる利得との考量で批判が妥当かが決まる。

二、批判されている事象・状態を変更する責任を有するのが(またはそれをする能力を有するのが)専ら被批判者であること(責任性)

 自分に責任がないことについて批判されても知らんとしか言い様がない。もっとも、一般に権能者とされる強い立場の者は、その権能の不作為や不適正に批判を受ける義務を負うようにも思う。(例えば治安の悪化に対する警察への批判など)

三、批判者が被批判者に対して、状態変更を要求するだけの権利や関係性を有していること(関係性)

 「お前に言われる筋合いではない」という観点。「ある事象にどれだけの関係性があれば批判する権利を有するか」は個別の議論になってしまうのだが、まったく自分に無関係の話に、好悪やイデオロギーなどの観点から介入することは、一般に許されていない。
 アメリカは銃の所持を禁止すれば同国の治安が改善されるとほぼ全世界の人が思っているだろうが、それはアメリカ国民が決めることで、我々が口を出す話ではない。我々がアメリカに旅行に行き、あるいは仕事で定住した際に銃の被害にあう可能性がある、という程度には口を出す権利はあるのかもしれないが。

四、上記を満たした上で、従前より「良くなる」別の状態ならびに理由・可能性等を示していること(代替性)

 これは所謂「代案を出せ」という話で、ここでいう「代案」とは必ずしも「別の状態変化」を意味せず「現状維持」であっても良い。
 ただしここで「良くなる」という価値判断は人によって異なるため、己は改善的な代案だと思って提示しても、他者にとっては「ちっとも良くならない」代案である可能性もある。であるから、提示前に「話者間で共通の利益/損失」を確認しておく必要がある。

五、その批判が依拠する理論が、全称的に適用されること。批判の適用が限定的である場合、限定する根拠が共有されていること。(全称性・反転可能性)

 要するに党派性の否定。「俺の○○は許されるがお前の○○は許されない」のような批判はダメだということ。これを見失うと所謂「ブーメラン」という話になってしまう。

  ※

 これらを満たさないものは、たとえ批判の体を装っていても批判ではなく、党派的にメートルをあげるための悪口雑言罵詈讒謗の類である可能性が高いから、あまり本気で取り合ってカリカリする必要はない。それはそれでむかつきはするのだが。

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