人糞学者が差別を語りたがるのは、差別をなくしたいという正義感じゃなくて、「何が差別か」を認定し断罪する権力を恣にしたいだけなんだって見透かされてるんですわ。民主主義的な道義や倫理を語るならそれは全称的にあらねばならぬところ、「何に言及するかは俺の自由」って嘯くのがその証拠です。

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