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さほさんの誕生日

ゆるやかな、話がしたい。
今日のよるごはんは餃子だった。
120枚。パパと私と三女で包んだ。
塩加減とかきまぐれに入れたもやしとか、
焼き加減と大葉の加減がバランス良くて、
「20年に一度の最高傑作だ!」って喜びながらたくさん食べた。テレビで流れてた千鳥かまいたちが面白くてずっと3人で喋りながら食べていた。

今日はおばあちゃん家に行った。
母方の実家で、徒歩15分。ひいおばあちゃんとおばあちゃんの姉が住んでいる。私の祖母は2さいの頃に他界してしまって、ずっとこのお姉さんが私たち4人の祖母みたいな存在だった。

そんな祖母姉の誕生日だった。
75歳。いちばん古い誕生日の記憶は61歳なので、もう軽く14年が経ったんだなとドキドキしてしまう。就職先が決まったことを報告した。私にそっくりな考え方と価値観をもってる彼女は外国を歩き回って来た美術の人で、結婚はせずにひとり母の面倒をみている。美術館を連れ回してくれたり、放課後によると工作に付き合ってくれたり、山登りをしたり、恋バナをしたり。幼い頃はたくさん褒めてくれる唯一無二の理解者だった反面で、そのぶん鋭いことを突いてくるので最近では私にとってすこし億劫な存在でもあった。祖母の姉というこの関係性と小さい頃からの付き合いの遠慮のなさ、曾祖母の介護疲れもあって去年は会う度に泣かされていて、たぶん相当に彼女は限界だったのだと思うけれど少し苦手になっていた。

今日は久しぶりに朗らかに楽しく過ごせた。コーヒーを淹れてくれて、お昼寝をしているおばあちゃんの横で色んな話をした。本当に最近はずっと避けてしまっていたから曾祖母が骨折してしまったりご飯食べれなくなったり大変そうな時でも思い出すと苦しくなってしまって、会わないことを後悔するかもしれないと思いながらも正月からほとんど会っていなかった。

今日は私にも彼女にも心の余裕があって、気がついたらあっという間に3時間が経っていた。これからやりたいこと、描きたい絵、最近のこと、お庭のゆず、翻訳のしごと、行きたい国、行ったことのある国、おばあちゃんとおじいちゃんの馴れ初め、祖母の若い頃の話。

なんだかとても楽しかった。
よかったなあと思った。
去年は就活で将来やりたいこともわからなくて、
そんな私じゃなかったらやってあげられることもいっぱいあったなあ。ドイツが大好きで本当に行きたいんだという話をしたら、祖母がドイツ語の翻訳家だったことを教えてくれた。
自分を確かに持っていないと付き合えない人もいる。ばぁちゃんは私に自分を投影している部分があって、そこがちょっと気持ちを持たなきゃいけないところ。介護うつのせいだと頭では分かっていたけれど、もしかしたら私が大人になってしまったから変わったのかもとか本当はこういう人だったのかもとか、たくさんぐるぐる考えてしまっていた。やっぱりそうではなかった。

また来週、ゆずを採る手伝いをする。
ゆったりと時間が流れるあの家は私にとっての心のよりどころでもあるから、今日はすごく安心した。中学生のころに戻ったような気持ちだった。


自家製ゆず酒、とってもおいしい。
またあそびにいく。


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