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ウクライナの家族 2022年/1991年

 昨晩、ウクライナから日本へ避難したきた方を取材した番組を見ました。小学生の姉と弟の2人を連れてこちらへ来られた方の話で、主に子ども達の様子を伝えていました。

逃避行で持ち出したものは

彼らは日本語を知らずに育ち、言葉はどうするのかと思いましたが、週に3回、特別に日本語を学ぶ機会があり、教科の授業では日本語で補助する先生が付くそうです。お姉さんは友だちに囲まれ、弟くんは体育館で元気に走り回っていました。

お母さんが持ってきた荷物を見せました。スーツケースいっぱいに、子ども達の教科書や本が詰まっています。女手1つで遠いところから避難してくるのに、そんなに荷物は持てないでしょう。それでも、子どもには勉強を続けさせたいからと、教科書を持ってくる。限られたスペースに詰め込んだ子どもへの愛情を感じて、泣けました。そして私は、かつてキエフで会った家族のことを思い出しました。

1991年のキエフ

私は、ソ連が崩壊した年に、ソ連の主要な都市を観光で訪れました。キエフもその1つ。記憶にある街の印象は、グリーン。街路樹が豊かに繁り、教会の緑の屋根が夏の光に輝いていました。社会主義体制下でありながら、観光客も多く見られ、有名なソフィア寺院には行列ができていました。

聖ソフィア寺院 (2)

展望台から、ドニエプル川が見えました。空の青さを映し出した雄大な川です。ロシアからベラルーシを流れ、そしてウクライナに達し、黒海に流れ込んでいます。

ゴーホーム事件


昼間のドニエプル川があまりに見事だったので、さぞ夜景もきれいだろうと思い、夜に再び展望台を訪れましたが、まったくの期待外れ。広々とした川は、暗い夜空に沈んでいました。今から考えれば、川の中に家は建たないので、明かりがないのも当たり前です。

そういうことにも気が付かないぼんくらな私は、友人と地下鉄に乗ってホテルに戻りました。友だちと「キエフの地下鉄も深いんだね」などと暢気におしゃべりをしていたら、目の前に、スキンヘッドの大きな体躯の男が2人、立ちました。

そして突然。私たちを指しながら、腕を振るって「ゴーホーム!ゴーホーム!」と叫び始めたのです。あまりにも大きな声で、つかみかからんとばかりに身を乗り出して。驚きと恐怖で凍ってしまいました。

助けてくれたのは…

そこへ、1人の男の人が、果敢にも私たちの間に入り、背中にかばってくれました。そして英語で、「あっちへ行きなさい」と静かにうながしました。そこに2人の男の子を連れたお母さんらしき人が立っていました。

私たちは動転して震えながら、「あの人は大丈夫なのか、危険ではないのか」と尋ねました。男の人は、スキンヘッドの男たちと素手でケンカをしたらとても勝てそうにありません。

「あの人は私の夫で、この子たちの父親です」と彼女は英語で答えました。「夫は、このような外国人差別を悪いことだと教えたいの。見過ごすことを見せたくないの。これは、子ども達のためにしているの。だから気にしないで」と。

男の子たちは、お母さんにつかまりながら、黙って父親の姿を見ています。父は、自分はつかみかからないように、後ろに手を組んで、自分より背の高い男たちに向かって何やら責めていました。そのうち他の乗客も、声を挙げ始めたので、男たちは次の駅で降りていきました。

私たちが降りるとき、お母さんは朗らかに言いました。「女の子だけで、こんな時間に地下鉄に乗っちゃだめよ!良い旅を」


子どものために、外国人差別を見過ごさないという、お父さん。子どものために教科書を持って避難してくるお母さん。

すべて世界は子どものためにあってほしい。



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