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「電話先から聞こえる微かな音が気になる」

電話が好きだ。
対面して話すよりも、「コースが切られている」から。

「コースを切る」というのは、サッカー用語である。
あるいは、スポーツ用語なのかもしれない。
いや、特別に「○○用語」ということはないのかもしれない。

「コースを切る」

たとえばサッカーにおいて、それは守備時に、相手(とボール)を、自分たちのゴールから遠ざけるために、または自陣を守りやすくするために行うものだ。

「中(内)を切れ!」「縦を切れ!」

という指示が出される。
サッカーをする人にとっては当たり前のことなのだが、そのような指示は、より状況を把握している選手がするもので、基本的には(自分より)後ろの選手から指示を受ける。
後ろにいればいるほど、敵や味方、相手や自分のチームの陣形が把握しやすい、というわけである。

サッカーで最後尾にいるのはゴールキーパー。よって、必然的にゴールキーパーが指示を出すことが多くなる。繰り返すが、試合の全体がいちばんよく見えているからだ。
だから局面では、一番前にいる選手が指示を出すこともある。
要は、より見えている選手が、味方を、チームを、または自分を「助ける」ために指示を出す。

意外なのかはわからないが、選手たちが自分勝手に守ることなど、ほとんどあり得ない。後ろの選手の指示を聞き、その指示通りに守る。
そうしないと、チームとして守ることができなくなる。どれほど個人の能力が高くても、やはり11人対11人のサッカーでは、どうあがいたって、それはたかがひとりの力なのだ。

そうやって相手のコースを切る。

さて、電話の話だ。
電話で話をする際には、もちろん視覚情報は得られない。要するに、そのコースは切られているのである。
目を瞑っていても電話はできるということだ。
そして、電話先から聞こえる相手の声、そのトーンや抑揚、また微かな物音から、いろいろなことを判断することになる。

私はそういう電話が好きなんだ。
なぜなら、対面するときの情報は、私にとって多すぎる、複雑すぎるからだ。

だから電話では、そのコースがちょうどよく切られていて、(サッカーでいえば)守らなくてはならないところが限定されていて、守りやすくて安心なのだ。そう、居心地がいい。

こちらがどんな格好をしていようが(相手にとってもそうなのだが)、ノーメイクであろうが、相手には関係ない。
気にしても無駄なことなのだ。どうしたって、わかりようがないから。

そういう“いい具合”のラフさが許容される、それが電話のよさだと思う。

あとは、相手の話を聞いてさえいれば、いい。

さて、本題である。(やっとか。)
そのときに私が気になるのが、その電話先から聞こえてくる音だ。
周りの音、そして相手がなにかの拍子に発してしまっている物音、かすかな音、だ。

それは、相手の咳払いや、軽いため息だけではない。


つづく
……のかな?

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