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「確信犯ならなんでも許す」

一般常識、社会通念、世間体、当たり前……。
(既成概念、固定観念、これは言いたいだけ)

それと、自分の欲望、自意識、プライド……。

作家の花村萬月さんがツイートしていたが、
「確信犯ならなんでも許す」
これに尽きる。これだ。

私の言葉でいうところの、
「覚悟と責任をもって自分の行動を選択しているのなら、何をしてもいい」
である。

一般的に悪いこと。
時代や条件が違えば、別に特別悪いことでもないこと、そういうものもある。
もちろん、どんな時代であろうが、悪いことというのもあるだろう。

人はそういうもの(一般常識)を基準に、自分の行いが正しいか正しくないかをはかろうとするものである。
でも、それは馬鹿げたことのように思う。

極端な話だが、人を殺したくて仕方のない人がいたとしよう。そうしたら、社会一般的には人殺しは悪いことだから、人を殺してはいけないのか。もちろん、社会的にはいけない。だけど、そういう風に自分が感じて、どうしてもそうしたい場合、ある意味では仕方のないことのように思う。
今の社会では、殺人をして捕まると、その罰を受けることになる。それは社会生活を営まざるを得ない今の人間には逃れられないことであろう。しかし、ある意味では自由があり、人殺しは認められているとも考えられるわけだ。
むちゃくちゃなことを言っているのは、わかっている。

だから、不倫や浮気をしたければ、すればいい。なぜダメなこととされているかといえば、パートナーが悲しむから、でしかない。ただそのパートナーが浮気を認めているとしたら、そういう合意が取れているのなら、誰に咎められることもない。
芸能人の不倫問題で、視聴者があーだこーだ言っているみたいだが、お前らにはまったく関係のない話だ。ただフラストレーションのたまる普段の生活に飽き飽きしていて、愚痴を言う、エネルギーを発する口実を得たいだけである。

そう、だから、その問題は、あくまで当事者間の問題であって、まったく第三者がなにかを言えるような問題ではないのだ。
不倫や浮気が単に悪だとは思わない。そして、そんなことを第三者が言える義理があるはずもない。

だからって、他人を不用意に傷つけてはならないとは思う。なるべくなら、みんなに悲しんでほしくない。
だけど、それでも自分が不倫をしたいと思うなら、すればいい。それに伴う諸々の問題は自ら引き受けるという強い覚悟を持っているのなら、やはり成り立つだろう。
みんなに、覚悟と責任をもち、自分の言動を選んでほしい。そう願う。

なにをしたって全然いいんだ。
どんなことをしたっていい。
ただそれがどんなことなのか、周りにどういう影響を与えるかは想像してほしい。
その上で、自分の欲望やらと比べて、自分は、この言動を取るんだと決めればいい。
それを誰が否定できるのだろうか。

それができるというのが、大人ということではないだろうか。

大人だから一般的に悪いことをしてはならないということではないはずだ。
悪いことというのは、誰かを傷つけることだろうか。
それでも、人を傷つける権利だって人にはある。
繰り返しになるが、人を傷つけるだろうことをちゃんと想像できていて、それに付随してくる問題を自らが引き受ける気でいるのなら、それはまたその人の選択で、その自由も認められており、誰かに咎められることではないように思う。

自由には責任がセットというありきたりな話になるのだろうか。

自分、そして自分の言動がどういうものなのかが認識さえできていれば、いいということだ。

それが「自分の足で立つ」ということだと思う。
それが、真の大人ということではないだろうか。

関係ないように思うが、口癖のように言っていることがある。

「能力がないことが悪いのではない、能力がないことを認識できていないことが問題なのである」

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