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喧嘩はタイマンのみ ─2019.3.27〜5.17─

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私の文章(2019年3月27日〜5月17日)です。
お暇なときにでも、どうぞ読んでください。
ご感想もお待ちしております。
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確かに思いがあるときに、自分の気持ちが相手に伝わらない場合は、こちらの実力不足。そして、相手の気持ちがこちらに伝わらない場合も、自分の実力不足。

誰よりも正義感に溢れているのに誰よりもずるくて損得ばっかり気にして動いたらそこで正義感が出てきて全然理想と違うから損得で動いた自分を罰するために今までの善行をなしにするような動きをしてなんとかチャラに持ち込む 老人を助けた瞬間に万引きしてバランスを保った気になる

その能力がないこと自体よりも、その能力がないことを自分で認識できていないことのほうがはるかに問題である。

自分の出自を伝えることになると、「かわいそうに」「大変だったね」「大丈夫?」と言われることが多かった。悪意がないのはわかる。励ましてくれようとしているんだろう、あとはこちらはあなたに対して敵意はないということを示したいんだと思う。だから、なにも言わなかった。でも、それ差別だよ。笑

あまり感情的になってしまってはいけない。なんとなく前から好きでなかったものがミスをして、ほら見たことかと叩いてしまってもいいものか。ただ自分が気持ちよくなるためなのかどうか、考えてみるべきだ。少なくとも、一周はしたい。それでも自分が批判したいと思えるのなら、そうすればよい。

「陽気でマイペース、フットワークが軽く情報収集が得意なタイプ。礼儀正しく、上品で真面目、しっかりした性格ですが、メンタルが弱く繊細な人です。自分以外の人にも礼儀やマナーを守って欲しいと思うタイプなので人の好き嫌いは多くなりがち。見栄っ張りな所があり、後輩や周囲の人にお土産やプレゼントが増えてしまう事も多々あります。ストレスが溜まると肌に現れてしまうので、気をつけてください。新しい事が好きですが、飽きっぽい所があり、心は中学生の頃から成長していません。自分の言った事をすぐに忘れてしまうこともありますが、語ることが大好きな人です。妄想空想が大好きで常にいろいろな事を考えているはず。」

そのもの自体の質ではなく、そのものを売る人の姿勢みたいなものでものを買いたいと思う。やっぱり、そう思っちゃう。「物語」で買っているってことなのかな。なんかイヤだなあ。

30分でもじっくりと猫を観察していると、こいつが世間で言われているように気ままな生き物のようには到底思えない。むしろ、本当に一歩一歩気を遣って、遣って、遣い倒しているように見える。疲れるんだろうなと同情さえしてしまいそうなくらいである。

会員登録で「一会計一品20%OFF」になるというドラッグストア。ポカリの1.5ℓと500㎖をレジに持って行き、登録画面を見せた。
店員「では、一品だけ20%OFFです。どちらに使われますか?」
耳を疑った(た、試されてる?)。
「え?」という顔をしても、揺るがない。
店員「どちらになさいますか?」
(つ、強い…)「大きいほうでお願いします」

読み返したくなる本と、そうでない本がある。だからといって、別に後者が前者に劣るわけでは決してない。私にとっては、そういうものなだけである。どちらも最高に好きなんだ。

大学時代、すごく難しい哲学書が文庫になって、それをお守りがわりにずっと鞄にしのばせていたことがあった。全然ちゃんと読み進められなかったのだけど、そいつと一緒に歩いていると思うと、強い気持ちを保つことができた。そうね、護身用のナイフみたいなものだ。

そんなんでRT稼ぎするなんて腹立たしいというのは、もうアホな意見なのでスルーしていいが、人命をなんだと思っているんだと怒っている人のほうが数段ややこしい。根は深い。当事者意識は皆無で、他人を一般的モラルみたいなもんでおさえつけようとするその態度こそが気持ち悪いし、悪であるように思う。

一刻を争う事態,たとえば火事でみんなでエレベーターに乗って逃げなきゃならない時に一人だけ乗れなかったとして,そこで降りられるのは生還できるという確証を持つ者だけである.もちろんそんなやつはいないわけだが.それでもそういう自信のあるやつが降りるべきだ.勇ましく降りて死んでしまうような人を私は優しいとは思わない.今後その人が犠牲になったという罪悪感を他が感じながら生きなくてはならないからだ.

「暴力」以外のなにものでもない。ただ自分が気持ち悪いというだけのことだ。恥ずかしいと思っているのは、お前だけだ。息子であろうと、他人である。どれほど一般的に正しいことを言おうが、他人に対して一切の強要があってはならない。それは、「暴力」でしかない。
──『きのう何食べた?』1巻を読んで

もうこれ以上新しく本をつくらなくてもいいような社会をつくるために本をつくる。これ以上新しい本を必要としない社会をつくるために本をつくる。

直接的なヘイトスピーチを浴びたこともあるけど、日本で生まれ育ったってのも関係するのか、まわりの目が気になって思いっきり闘えないこともたくさんあった。ここで揉めると、まわりがやっぱりな的な感想を抱いてしまうのではないかと恐れた。でも、今は違う。その場で闘う。そういう場面に出くわしてもそう。

白ひげの想いがわかるのなら、赤犬の安い挑発になんか乗るべきじゃなかった。そういう時に黙って見過ごせないのが信頼や愛なのか。そんなもので白ひげの絶対性が揺らぐはずなんてないことをエースはよく知っているはずだ。ただ全てわかって(一周して)いるなら、やはりエースを咎められるはずもない。

単行本が文庫化したときの(文庫版)あとがきは、ある意味、単行本の読者に対する著者のアンサーで、本を通してコミュニケーションしてるって感じが最高。

自分が不快に感じるから、傷ついたから差別ってことじゃないんだよね。サッカーでいえば、こちらがめちゃくちゃ痛いタックルを受けてもルール上ノーファールってことがある。それはアリだ。それをただ自分が痛いからファールだと主張する選手は好きじゃない。ダサい。そういうバランス感覚。

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