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『あしたから出版社』

二度と読みたくない。
もう二度と読みたくない、と思う本がある。

一度読めば十分、という意味ではない。
二度読む価値のない本ということではない。

むしろ、逆だ。

「お腹がいっぱい」で、とりあえず、今はもう読みたくない、触れたくない、と思える本だ。

回りくどいが、本当は何度でも読みたい、ということなのだ。
そうはいっても、そういう本は、そう何回も読むわけではない(どないやねん!)。

そういう本に、何度か出合ったことがある。

まさに、この本がそうである。
(他には、太宰治『斜陽』とか……笑)

(本当に)遅ればせながら、読んだ。
夏葉社の島田潤一郎さんの本だ。

なぜ、これまで手に取らなかったのか、不思議である。

『本を贈る』という本がきっかけだった。
その本の島田さんの項を読み終わると、自然と、あぁ、もっとこの人の文章に触れたい。というか、触れたくて仕方がない。
そう思った。一目惚れならぬ、一読惚れか。
私は『本を贈る』を一旦、机に置き、『あしたから出版社』を購入し、先に読んだ。

すぐに読み終えると(それでもゆっくりとゆっくりと味わって読んだつもりだ)、余韻に浸った。

映画館に行き、
その映画のエンドロール、
会場が明るくなり、お客さんが席をたち、
ぞろぞろと出口へ向かうとき、
一人席に残り、うつむき、
ぼーっとしちゃう状況と似ている。
立ちたくない。動きたくない。
もうこれ以上、何もしたくない。

何日か経つが、その余韻はまだ続いている。

ここに書くには、早い気もするけど、とりあえず書いてみよう。

この本の好きなところは、たくさんあるけれど、まずはこの一節を紹介する。

うん、この表現、すごい。わかる。わかる。
Twitterなんかで検索すると、同じところに感動している人がいた。

・追記
もう一つ、紹介する。

この人の文章が好きだ。

そして、この人が好きだ(と思う)。

勝手に感じていることかもしれないけれど、今の社会はガツガツしていなくては生きていけないかのようで、何事も押し付けがましく感じられる。
とても窮屈な思いをする。

しかし、この本では違和感を一切感じなかった。
そういうことは珍しい。
大体はどこかしら、押し付けのように感じられる部分があったり、妙に自分に酔いしれていたり、説教じみていたり、差別的に感じたりする。

押し付けがましくない理由は、この本で島田さんは、個人的なことを書いているからだと思う。

超個人的なことって、他者が介在する余地がないからか、ある意味、自分事にならない。
そういう意味でも、ラクだったんだと思う。

それなのに不思議と、自分のことのように感じられる、不思議な本だ。

社会から逸脱して自由に生きろ、というわけではない。
だからといって、周りと同じように生きろ、というわけでもない。
そういうメッセージ性の強い本ではない。
(夏葉社の本は、そういう感じなんだろうな、と勝手に思っている。)

そうだな、すごく、ちょうどいいんだ。

勇気が出た。生きていけると思えた。
私もこういう風にやってみようと思った。

肩肘を張らずに自分の本当に好きなことをやる。それを丁寧に、悩みながらでも、少しずつかもしれないけれど、進んでいく。そういう感じ。

書店に行くとき、人に会いに行く感覚と似ていると書かれていた気がするのだけど、その感覚は、よくわかって、なんだか優しいなって思った。

優しいというのは、弱いということでもある。
単純な「優しいから強い」というのとは少し違くて、優しいって弱くて繊細で、でもだからこそ、なんというか、寄り添いたくなる……でも、強いんだ。

なんだか、そういう感じの本だった気がする。

色でいえば、優しいミドリ色。
そんな印象だ。

あぁ、いい本だった。

これから夏葉社の本がある本屋さんに行き、実際に手に取って、買おうと思っている。
ネットでも買えるけど、それはなんだか違うような気がする。

(本に)会いたい。
(人に)会いたい。
会いたい。

『あしたから出版社』/島田潤一郎/晶文社/2014.6.27.

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