マッサージに行った話。

先日、あまりに疲れたのでコンビニに行った。そこのコンビニにはカウンターがありホッと一息つけるような作りになっている。

地元民ならわかるが、サーターアンダギーが70円で売っていた。

なので、食べながら英検単語を勉強していた。(苦労のかいあって何周めかに突入。英検への取り組み方もわかってきた。) ここの従業員も顔見知りで、バイトの帰りにおにぎりを買ったりするので私のこともよくわかっている。田舎にありがちなパターンだが。

長居しては失礼だと思い、店員さんに挨拶して帰ろうと思ったら知り合いに会った。以前ボランティアで通訳業務に携わったことがあった。誰でもできるものだが、知り合いの女性は韓国語のボランティアで、私は英語。その際打ち上げパーティーで知り合い、何度か仕事で顔を合わせた。お互い近況を報告しあったが、どうも彼女は体を壊しているらしい。C型肝炎の疑いがあるという。ふーん。

「まあ、がんばってねえ、じゃあね。」

私は、冷たい性格なので他人の不幸にも幸福にもあまり興味はない。あるとしたら酒の銘柄とか、特に奄美の黒糖焼酎の安い店とかなら話は聞くが、一応禁酒しているので行くことはない。家族で過ごすほうが大事だ。私の、かの爆声の父は同じ病気で亡くなったが、黙っていた。

腹水も黄疸もないのなら、定期検診でOKだろうと思う。しかし心中は穏やかではなかった。だから、帰ろうと思ったのだが。

「あなた、足をどうしたの?」

私は、歩くとわかるが足が悪い。で、おばさんは「うちが2日で直してやる。」という。冗談ではない。

私は30数年これで悩んでいた。歩けるようになったのは3歳を過ぎてからだ。強腱靴という、スキー靴のようなものを履き、平均台から落ち、平行棒で転びつつ、やっと歩けるようになったのだという。股は90度しか開かない。普通120度くらいは開くが、母によれば「それでも万々歳だった。」「あなたはそもそも話をすることも、発声自体もかなり怪しかった」と話していた、「悪いが、あのとき心を鬼にするほかなかった。」ともいう。私には、そのころの記憶がないのが幸いした。

母は無学、というより一徹なためかいろいろな宗教を渡り歩いた。私も父も現実主義者であるが、母は苦労人である分だけ現実から逃げたかったのであろう。

で、私はといえば「2日?」ということばにひっかかりつつも「OK、腰でもどこでも揉んでね。」とOKした。彼女はマッサージの心得があり、ただでやるという。

彼女の家には結局2回行ったが、「もっと良くなるには18万円払え」と言われ、やめた。「じゃ、施術料を5千円くれ」というので拍子抜けし、2千円にした。一回1000円の計算だが、損やら得やらわからない。

なお、彼女は香港に若い頃2年住んでいて接術法を習ったが、もっと英語が話せるようになりたいというので、「音読パッケージ」という本を紹介し音読に励むよう伝えた。無料英会話の宣教師も来ているというのでその成功を祈り、ただ健康と無事を祈った。

さらに彼女は自衛官だったというが、女子隊員の採用は昭和40年台にあったのだろうか?自衛官には幹部、一般空曹士問わず、認識番号と特防秘が付与されるが、彼女においては、「それ、なんのことか?」と話していた。韓国人4世?の彼女は日本国籍らしいから、韓国語はネイティブほどは話せない。

口では大統領だが、彼女のその大口を信用した私も悪かった。

足はもとのままで、なおった、なおったといって看板もない彼女を信用しなければよかった。私は翌日からジョギングをし、体力を維持している。

バカだったなと思うが。

じつは私の父も母も自分にはこの手の話を持ってきたり、父が自己流で覚えたマッサージを私に施したものだ。ある意味、かのおばさんは迷惑だが、親の愛はありがたかったのだなと再認識した。

オキナワ式にいえば「ああ、お父さん来てたのねえー」ということになる。

父は照れ隠しで爆声を上げていたに違いない。まさかそれを現世にまで響き渡らせるわけにはいかないだろう。私もたまには父には会いたい。がんばれと、おばさんを通じて言いたかったのかもしれない。

だとしたら、怪しい迷惑おばさんにも少しは感謝しなくてはならない。そういえば彼女の声は、どこかの大陸人のように大きかった。店のお姉さんたちも苦笑していたが、彼女らもいつか爆声おばさんになるのだろうか。

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