蓮台寺ミナトSS『過去と未来の物語』第二章1〜4


第二章 取り戻す、歴史

2-1『消去された記憶』

「はじめまして、マスター。あなたの歴史、紐解かせてね?♡」
 あの時と一字一句変わらない、ミナトのキメ台詞。その再現度の高さに、出逢ったあの日の情景がフラッシュバックする。
「ミナト・・・・・・おかえり」
 ・・・・・・でも、あの頃みたいに、よそよそしくなんてできない。俺は再現をすぐに切り上げるべく、ミナトを抱きしめた。
「えっ、えっ・・・・・・!」
 ミナトを強く抱きしめると、たった6時間しか離れていないというのに心が喜びを感じている。キスをしようと目を閉じ、顔を寄せていくと・・・・・・
「や、やめて!」
 ミナトは大きく身をよじり、どん、と俺の胸を叩いた。
 いや、突き飛ばしていた。目を開けると彼女の顔は蒼白していて、瞳孔が開き、大きく呼吸している。まるでお化けでも見るような目つきで俺を見ていた。突き飛ばされたこと自体は全然痛くないのに、胸の内側がずきりと痛む。
「み、ミナト?痛かったかな、ごめんつい」
「あ・・・・・・あはは、急に抱きつかれたからびっくりしちゃって。私こそごめんなさい、マスター」
 ばつが悪そうに、胸の前でこぶしを握り締め、目を逸らすミナト。

「えっと・・・・・・だ、だめよ?初対面の女の子に突然抱きついたりしたら」

 どくん、と心臓が跳ねる音がした。
 初対面・・・・・・?今、初対面って言ったのか?
「だ、だから、いくらマスターのおうちで暮らすでんこといっても、抱きついたりするのはいけないことなのよ。い、いくらお姉さんが魅力的だからって・・・・・・」
「なに、を、言ってるんだよ、ミナト・・・・・・面白くねーよ、それ」
 ハグを拒絶されたこと、俺のことを初対面だと言ったこと、帰ってきて突然よそよそしくなった態度、あまりの変わりように、心が警鐘を鳴らしている。ミナトが見たことのない目で、そう、『敵意』を秘めた目で俺を見つめてくる。自然と、目の前のミナトが恐ろしく感じて、数歩後ずさった。
「なるべくなら、マスターとも仲良くはしたいけど、き、キスとかそういうのはっ!恋人同士ですること、だと思うから・・・・・・」
 なんとなく、ドアを開けてから覚えていた違和感。それを認められなくて、考えたくなくて、心の中で必死に否定する。だから俺は……もう一度ミナトのそばに足を踏み込んで、両肩に手を載せる。
「冗談はやめてくれよミナト・・・・・・!そういうの、タチが悪いって!」
「やっ、は、離してッ!」
 だけどやっぱり、予想した通りの反応で。俺の手は強く払われ、ミナトは大きく後ずさった。
「こんな、こんなの聞いてない!優しい男の子だって聞いてたのに・・・・・・」
 何を・・・・・・言ってるんだ・・・・・・何を・・・・・・
「残念だけど、もう派遣先は変えられないから、これからこちらに住まわせていただくわ。でも、今みたいな乱暴をするのなら、奪取er協会に報告するから」
 力が入らずだらんと垂れた両腕では、横を通り過ぎて家に入っていくミナトを止めることすらできない。頭の中では、ひとつの事実が支配し、何度も何度も繰り返していた。
『ミナトの、記憶が消えている』と。

  ◇  ◇  ◇

「信じられないわ」
「そう言われてもなぁ・・・・・・」
 一通り家の中を見て回ってもらい、落ち着いてから俺たちはリビングのソファに向かい合って座り、話をした。
 俺たちはでんことマスターの関係でありながら同時に恋人同士だったこと。
 メンテナンスの為と一度未来へ帰り、戻ってきたらミナトの中にある全ての記憶が失われていたこと。
 2人でたくさんの思い出を集め、そして俺たちもまた、思い出を作ってきたこと。
 そんな、あるいは聞かせることで思い出すかもしれないという俺の願いが届くようにと、真剣に情熱的に語る俺を、彼女は終始冷ややかな目で見ていた。
 無理もない。彼女からすれば、派遣されたばかりの初めて会った少年が、いきなり『俺たちは恋人同士だった』などと抜かすのだ。妄言と疑うのが普通の反応だろう。
「とにかく、さっきはすまなかった。記憶が消えている以上……今、俺たちはいつ現在、恋人関係には、ならないだろう……仕方ないが、再び日常生活を過ごすことになるだろう」
 身体が引きちぎれるような感覚を覚えながら、ようやく言った。
「な~んか、妙に聞き分けがいいのよねぇ」
「ん?どういうことだ?」
「落ち着いてるというか・・・・・・普通マスターくらいの年齢の少年だったら、そんな理不尽があったらもっと絶望したり喚いたりしてもおかしくないんだけど」
「ほっといてくれ。これでもひどくショックを受けてるんだ。さっき玄関で誰かさんに思いっきり拒絶されたからな」
「なっ、だ、だってそんなの突然言われたって信じられないわ。まだ、現代で流行ってる新手の(?)ナンパの台詞だって言われた方が信じるわよ」
「俺たちが恋人同士だったという証明はできないが、俺がミナトのマスターだったことは、どうせすぐに解る」
「?」
 それにしても、奪取er協会は何が目的でミナトをこんな目に遭わせた?メンテナンスをすると、必ず記憶がリセットされるようにできているのか?しかし、そのような事前通告は、俺にもミナトにもなかった。協会に連絡をとってみても、調査中と言われて終わりだった。
 それとも・・・・・・メンテナンスというのは口実で、記憶を消去することが目的だったのか?こちらから確かめる手段は、恐らく無い。
「マスターと恋人に・・・・・・う~ん、顔は可愛いけど、いまいち性格がね」
「おい」
「変な出会い方になっちゃったけど、改めてよろしくね、マスター」
「・・・・・・あぁ」
 彼女はあまり深く考えている様子はなかった。俺の話を真剣に聞いていたのかも疑わしいくらいだ。記憶を保持している者と、そうでない者の差は、こんなものだろう。抱きしめたい衝動、抱きしめられない絶望を隠し、平然を装い握手を交わす。俺の大好きなミナトは、再び他人となった。


2-2『再び訪れる日常』

「おいミナト!いい加減に起きろ!」
「むにゃむにゃ・・・・・・あと5分」
 再びミナトが家に住むようになって翌日。記憶が無くなっても相変わらずミナトは寝起きが悪く、寝相も悪く、寝言は絶妙に古かった。
「いつも『あと5分』って言って、5分で起きた例(ためし)がないだろ!」
「う゛~ん・・・・・・なんでぇ・・・・・・私ここで寝るの初めてなのにぃ・・・・・・」
「初めてじゃないから言ってるんだ」
 記憶の齟齬が、こんなところでも発生する。とはいえ起床時間に関しては容赦しないが。
「ん~・・・・・・私、朝はゆっくり寝かせてくれる男の子じゃないと恋人にならないはずだもん」
「それは嘘だな、俺たちが恋人同士になってからもミナトはずっとこんな感じだったぞ」
「・・・・・・・・・・・・」
 ・・・・・・まぁ、恋人同士になってからは起こしに来たときにお目覚めのキスをしたり、美代子さんが来ない日なんかはそのまま・・・・・・突入したりしていたが。今はもうそれもできない。
「どうしたの~?」
「い、いや!なんでもない」
 妄想に浸ってしまった。いけないいけない。もうあの頃のような関係ではないのだ。今までのミナトにだったらキスで起こしたりしていたが、今は不必要に近づいてはいけない。あの頃の感覚のまま、ミナトに接してはいけないんだ。
「いつものミナトならもうとっくに起きて朝ごはん食べてたぞ」
「それは嘘ね」
 まぁ、ばれるか。
「もう朝ごはんできてるんだよ。下で待ってるぞ」
「ふぁ~い」

   ◇  ◇  ◇

 朝食を食べ終え、満たされた気分を日曜日の穏やかな陽光が包む。今日は何をしようか。たまには遠征でも行くか?
 ミナトをおでかけに誘おうとすると、待ってましたとばかりにやる気を見せてくる。そして、俺にマスターとしての役割やらチェックインの仕方などを説明しようとしてくれるのだが・・・・・・
「それは知ってるって。こうすればいいんだろ」
「なっ!ど、どうして知っているの!?」
「いや、だから、俺たちは前から」
「だめだめだめ!そんなの認めないわ。だってマスターが前から私のマスターだってことを認めちゃったら、こっ・・・・・・恋人だったことも認めないといけなくなっちゃうもの!」
「いけなくなっちゃうもなにも、本当にそうだったんだって・・・・・・」
『わたわた』という擬音が似合うほどに焦りを見せるミナトは、あの頃と変わらないくらい表情豊かで、可愛らしく素敵な女性だった。本当に、どうしてこんなことに。
「仮にマスターと私が元々一緒に思い出集めをしていたことが事実だったとしても、恋人だったとは限らないじゃない?」
「なぁ、奪取er協会って、でんこの記憶だけを消すことは可能なのか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・可能よ」
 塞ぐように割り込んだ質問に対しても、ミナトは簡潔に、そして不服そうに答えた。
 可能だということであれば、記憶を消したのは協会側の故意と見ていいだろう。しかしその理由まではわからないが。ひょっとして、俺たちが愛し合ったから・・・・・・?
 今はわからないことが多すぎる。
「ねぇマスター、あなたが元ステーションマスターだったのはわかったけれど、協会からわたしの記憶をわざわざ呼び寄せて消したっていうのは・・・・・・どうしても納得できないし、信じられないの」
「・・・・・・」
「それはね、恥ずかしいっていうのもあるし、怖いっていうのもあるのよ」
「怖い?」
 ミナトは俺から逸らして目線を下げ、搾り出すように語った。
「記憶は・・・・・・全ての礎だから」
 彼女の大好きな歴史、それだけでなく、自我の形成や行動決定も、全て記憶で構成される。彼女だけでなく、俺だってそうだ。
 記憶を消すというのは、そういうことなのだ。それほど怖いことなのだ。
「別に、無理して俺の言葉を鵜呑みにしようとしなくてもいい。ミナトの記憶にとっての俺が他人だったなら、これから少しずつ理解し合えばいい」
「マスター・・・・・・」
 沈黙が満ちる。まだ出会ったばかりで、俺のことがどんな人間なのかもわからないまま、距離感さえも手探りのまま、彼女は言葉を探す。
「もし……もしよ?仮に以前は恋人だったとしたら、今更私に他人行儀にされるのは、マスターにとっては辛いことかもしれないけど・・・・・・」
「大丈夫だ」
「信じられないけど、なんだかある程度は信じないといけないような気もして・・・・・・」
「無理しなくていい。俺は特別になにかを要求したりはしないさ。ここで暮らして、そして共に思い出集めをしていく。それをしに来たんだろう?」
「・・・・・・うん、ごめんね」
 出会いこそは最悪に近かったけれど、ミナトはいつだってミナトだ。心優しい女性であることに変わりはない。
「大丈夫だ」
 もう一度力強く告げてみせる。俺のほうがミナトの記憶に合わせることになるが、俺はそれでも構わない。

 だって、そうだろ?
 消えてしまったなら、もう一度惚れさせればいいだけ、なんだから。


2-3『記憶を取り戻す旅①』

 秋も深まり、長袖だけでは心許ない季節になった。
 昼間は暑くてたまらないのに、朝と夕になると途端に冬空のような様相を見せる。それを寂しく思ってしまうのは、今まさに自分が置かれた立場に似てるからだろうか。
 ミナトは春に突然現れ、夏の訪れのように熱い気持ちを俺に植え付けて、そして今隣を歩いている彼女の中の気持ちは・・・・・・雪のように、これまで積み重ねてきた歴史も真っ白だ。
「どうだ?何か思い出さないか?ここに来たことあるような気がしないか?」
「ううん、初めてくるわねここも」
 伊豆市歴史博物館へと続く道を、再び2人で歩く。市により綺麗に舗装された道には、あの時とは違って枯葉が散らされ、それを届けた並木は両端で綺麗に色づいていた。
 もう何度目かになる、同じ質問をミナトにかけるが、返事も同じ。
 俺は今、過去にミナトと歩いた場所を今一度共に歩き、記憶を取り戻せないかを試行している。
 2人で過ごした時間は半年にも満たないけれど、思い出集めの為に様々な場所を2人で訪れた。だから試せる場所はたくさんある。
 これがダメでも、次なら・・・・・・。そんなわずかな希望を手繰り寄せては、徒労に終わるを繰り返していた。
 どうしたら、彼女の記憶を取り戻せるのだろうか・・・・・・。
 いや、違う。彼女の『記憶』を取り戻したいというのは、少し違う。
 俺は彼女の、『気持ち』を取り戻したかったのだ。
 俺と過ごして積み重ねた記憶の中に芽生えた、俺に対する恋心、を。
 自分勝手な動機なのかもしれない。
 しかし、愛する気持ちを彼女に伝えることもできず、そして彼女が俺を愛することもないという事実に、耐えられなくなりつつあった。
 最初から一方的な片思いで終わるよりもずっと辛い。
 しかし、俺は諦めないと決めた。やれることを全てやって、それでもダメならば、もう一度惚れさせる。そう決めた。
 この作業は、ある意味気持ちの清算でもあるのだ。ミナトとこれまで積み上げた思い出に対する別れの。ダメでもともとではあるが、それでも構わない。
 俺と共に過ごして積み重ねた歴史も、俺しか持っていないのなら・・・・・・要らない、と思った。新たに、2人で歴史を作っていけばいい・・・・・・そう踏ん切りをつける為の、確認作業だった。
「ここでミナトが、突然俺に質問をしてきたんだ。『歴史ってなんだと思う?』と」
「歴史は歴史じゃない」
「あぁ、その通りだな。実際俺もそう答えた。だがあの時のミナトは、額面通りではない何かを伝えたい意思があったと思う」
「ふぅん・・・・・・」
 あごに指をつけ、考えるしぐさをするミナト。本人とはいえ、そのときに考えていたであろうことなど、そうわかるはずもない。
「わからないけど・・・・・・まぁいいじゃない!それよりも!歴史博物館楽しみだわぁ~♡」
「・・・・・・ははっ、そっか」
 どうやらミナトの中には、自分の過去のことより、目の前の博物館しか頭にないらしい。手応えはないが、ミナトが楽しみならそれでいいか。
 再び訪れた歴史博物館は、中に入ってみると相変わらずの閑散ぶりだった。
「きゃぁ~~~!これが伊豆市歴史博物館ね!!」
「いやミナト、声デカいから」
「これがこの時代の市が運営している博物館なのね!」
 聞いてないし。
「昭和の雰囲気が残る、耐震性能だけはやたらと強い無機質な建物!平成中期に導入された、古いコンピューターによる展示!普段からお金をかけていない、維持だけが目的の博物館という感じがするわね~♡」
「そんなdisる?」
 まぁ古臭いのはわかるが。企画展もやっていないし、常設展示も全く変化が無いから全然わくわくしない。
 とはいえ世の中には、そんな昭和の匂いがする博物館にノスタルジーを感じる人もいるらしいが・・・・・・って、そんな話は置いといて。
 ミナトにとってはなにもかも初めてなので、まるで小学生男子のようなはしゃぎようだった。“前回”来た時と同じだ。
 全ての展示を余すところ無く堪能し、説明文を読み通し、ミナトは自らの知識をもってそれを補足して俺に語り、俺はそれを聞き流しながらついていく。この流れも前回と同じだった。
そして、黒船来航の展示にくると、展示の前で立ち止まる。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「ミナト」
「ん」
「俺は、前回ミナトに相談を受けている。きっと、今考えていることと相違無いだろう」
「そうなのね」
 展示物を見上げたまま、こちらを振り返らずに生返事で応えるミナト。
「でも、だからって無理に話さなくてもいい。あの時のミナトは、きっと今よりも俺のことを信頼してくれていたと思う、から」
 だって、あの頃よりもずっと、俺たちは触れ合ったし、笑いあったし、怒ったりもしたし、家族だった。今のミナトは、まだこれからだ。
「気が遣えるのね。優しいマスターでお姉さん嬉しい」
「話したいと思えるときがきたら、その時は話してくれていい。まぁ、内容は知ってるんだが」
「やだなぁ」
「だな」
 話してもいないのに共有されてしまい、ばかばかしくなったのか、展示を見るのも、黒船に想いを馳せるのもやめて、歩き去ってしまう。バツが悪くなった俺は少しだけ後ろをついていった。
 展示を見終えて出口から外に出ると、木枯らしが頬を撫でて、乾いた枯葉が目の前を流れていった。ミナトは俺の方を見ることなくさっさと歩いていく。ひょっとすると感傷的な気分なのかもしれない。下手に声をかけずについていくだけの方がいいな、と判断し、彼女の行きたい方へと続く。
 着いた先は、併設の甘味処だった。
 ミナトは迷わず注文口へと向かい、俺はその場で待っていた。しばらくすると、少しだけ笑顔のミナトが戻ってくる。両手にはクレープが2つ。どうやら奢ってくれるようだ。
「はいっ」
「あり、がとう」
 差し出されたクレープを受け取り、慣れていない礼を小さく返す。
「さっきのお礼よ。優しい男の子には、お姉さんからプレゼント」
 思ったより、気まずいわけではなかったようだ。好意はありがたく受け取り、早速クレープを頂く。食べるところをじっと見つめられて、なんだか気恥ずかしい。
「んぶっ、な、なんだこれ!」
 クレープを口に含むと、クリームの濃密な甘味の中に、塩……いや、潮風?
「名物キンメダイクレープよ。美味しい?」


 結局、博物館でもダメだったか。彼女に記憶を取り戻させることはできなかった。やはりどこまでいっても俺がミナトに「こんなことがあった」と伝えるだけで、彼女にとって想像させることができない。
 俺の記憶を直接、思い出集めみたいにミナトに見せてやることができればいいんだが・・・・・・
「ん?」
「どうしたの?マスター」
「いや・・・・・・ひょっとしたら・・・・・」
 その時、俺に電流走る・・・・・・!新たな可能性を感じていた。そして、わずかな希望も。
これはひょっとしたら、ひょっとするかもしれない。


2-4 『記憶を取り戻す旅②』

 季節は移り変わるけれど、まだまだ秋だと主張しているかのように、昼間は日差しが温かい。
 日差しの当たるホームで待っていると、じっとりと汗ばんできてしまい、上着を脱いで小脇に抱えた。
「最寄の駅が変わったら私が教えてあげるから、そしたらあなたのスマホでチェックインボタンを押すの」
「ああ、知っているよ」
 そういえば最初もそんな風に教えてもらったっけ。
「・・・・・・そうだったわね。マスター、2回目なんだっけ」
「ああ」
「う~~~ん、実感がどうしても湧かないわ」
「実際、そうなんだから仕方ない」
 認められない現実を目の当たりにしたくなくて、ミナトは頭を抱える。いつもはハイテンションなのに、こんなミナトは珍しい。いや、"新しくやってきたミナト"はずっとこんな調子だが・・・・・・まぁ説明が省けて楽よね、などと意外とあっけらかんとしていた。歴史ではないので特に興味もないのだろう。
「それならマスター、この路線も私と思い出集めをしたことがあるの?」
「あぁ、ある。確かあの頃は、俺たちが両思いになって愛し合い始めたばかりの頃で・・・・・・」
「あっ、愛しっ!?ちょ!っちょっと待った!ストップ!」
 突然顔を真っ赤にしたミナトは、まるで動悸を起こしたかのように胸を押さえて落ち着こうとしている。
「どうした?」
「えっとね、あのね、えっとね、う~ん、お姉さんちょっと落ち着くわね」
「ゆっくりでいいよ。まだ電車こないし」
「ありがとう。ふぅ・・・・・・ねぇ、それって本当に本当なの?」
 俺の胸元にしがみつき、涙目で見上げる表情は、少し憐れみを誘う。
「本当だってずっと言ってるだろ」
「だってぇ・・・・・・」
 無理もない。思い出集めの使命で訪れた先のマスターが突然、「俺たちは以前恋人同士だった」などと抜かすのだ。彼女にとっては初めて会う男が、だ。
 信じられるわけがない。しかし、現代の人間が知りえないはずの情報をまざまざと見せ付けられ、信じるしかないところまできているのだ。
 だが、歴史があっても記憶がない。記憶は全ての礎なのだ。歴史という情報があるだけでは、信用できないのは誰だって同じ。人は情報よりも記憶を信じる。これはヒューマノイドにとっても同じなのだろう。
 『思い出』という記憶がなければ、歴史に色は付けられないのだ。でも・・・・・・
「大丈夫だよ、ミナト。ちゃんと今日、思い出すから」
「え?」
 だって、わざわざ今日再び訪れたこの路線は、普段この路線を使う人たちにとってだけではなく、『俺たち2人にとっても』思い出の路線なのだから。

「そろそろ乗り換えの駅が最寄りになるわ。チェックインの準備をしてね」
 ミナトはあの頃と同じでやはり優秀だった。取りこぼしもなく、今のところ問題ない。
 ミナトと目が合い、彼女の軽いウインクを確認すると、スマホの右下をタップした。その直後、ミナトは目を閉じて淡い光に包まれ、最寄り駅の思い出をかみ締めるように収集していく。幾度もなく見た光景だ。
「きゃぁ~~っ!」
 突然ミナトが目を開き、大声を出す。やはりきたか。
「わ、わ、わ、たしとマスターが・・・・・・き、き、き・・・・・・」
 そう、俺たちは過去に、この駅のホームでキスをした。確かあの時はミナトが他の女性に嫉妬し、わざわざ実体化してから公衆の面前でキスをしてきたのだ。
 今現在ミナトは、俺のことを好きでもなんでもないだろうが、事実俺たちはこの駅のホームでキスをして、その思い出が駅に残り、再びここに訪れた今、駅の思い出のひとつとして取り込まれたのだろう。
「こ、これ、本当なの?」
 羞恥心と猜疑心が混じった、面白い顔をしている。
「駅の思い出を疑ってどうするんだ、でんこなのに」
「そうなんだけどね、そうなんだけどね・・・・・・」
 いや、気持ちは察してやれるんだが、どうしようもない。同じ立場になったらびびる。
「恥ずかしくて、マスターの顔見れないわ・・・・・・」
 手で顔を隠して、座席に座り込んでしまった。もうすぐ乗り換えなのに。

 なんとか無事に乗り換え、このまま目的地へと向かう。
 冬に近づくにつれて夜の訪れが急いてくる。この時間ならまだ明るいはずなのに、と思っていた時間帯でも、既に車窓は真っ暗な闇に染まっていた。終点で降りたら今日の思い出集めの旅は一旦切り上げだ。
 駅に止まるたびにまばらに乗ってくる客は皆疲れ顔で、閑散とした車内は静かなものだった。
 クロスシートに座る僕らは、無言で前を見ている。しかし、ミナトのほうはしきりに俺のほうをちら、ちらと目線を泳がせ、顔を真っ赤にしては再びうつむいてを繰り返していた。
 駅の思い出を集め続けて、ようやく終点。電車から降りると、改札口へ向かう階段に人の波が吸い込まれていった。波を掻き分けてホームの隅に移動し、それらを尻目に駅から見える街を眺める。都市の中心で、駅前は雑居ビルが立ち並び、歓楽的な看板で溢れている。眠らない街だった。
「これで今日の思い出集めは最後ね。ふぅ、ようやく終わったわぁ~♡」
 トラブルもあったがついに最後の一駅になったミナトが、大きく息をつく。俺は終点駅の思い出を収集するため、スマホの右下を丁寧に押した。
「きゃああああああ~~~~~~~!!!!」
 うるさい。歴代で一番大きい叫び声なんじゃないか?
 駅の思い出を取り込んだ瞬間、大きく叫んだミナトはもはやなにも言えず、口をパクパクしていた。
 そう、以前の遠征でも2人で泊まった、駅ビル内のホテルが入っているこの駅を。
「っ・・・・・・あ、っ・・・・・・っ」
「大丈夫か、ミナト」
「ち、ち、近寄らないでエッチ!」
そんなひどい。
 もう燃え上がりそうなほど顔を真っ赤なミナトが、身の危険を感じて自分の肩を抱きながら俺から離れる。
「ちなみに今日取ってる宿もそのホテルだから」
「きゃああああああああああああああああああ~~~~~~~~~!!!!」」

 世の男性の中で経験者がいるなら教えて欲しいのだが、過去に恋仲だったけれども今は恋心を抱いていなくて、なのにその頃の記憶を見せ付けられてしまった女性と同じホテルで一泊するときってどんな対応をすればいい?
 ミナトは、ベッドの上でちょこんと座り、枕を抱きしめてこちらをにらみつけ完全に警戒モード。
「私になにかしたら、のしかかって殺すわ」
「なにもしないって・・・・・・」
「だって、マスターはこのホテルでわたしにあんなことや・・・・・・こんなことまで!ましてや、あ、あっ、あんなことまで・・・・・・きゃああああ!」
 どんなことだよ。なに思い出し自滅してんだ・・・・・・そんな変なことはしてないだろ。あの頃は本当に恋仲だったんだから。
 俺がいくら『俺たちは恋人だった』と言っても、信じることなどできない。大事なのは、客観的事実だ。そう、過去に恋人同士だった俺たちが恋人同士然としていた証拠を、思い出を、直接見せることで何かが変わるかもしれない、そう思って今回の遠征先を選んだ。
「というか、ミナトみたいな女性がのしかかったくらいで死ぬわけないだろ」
「あら、知らないのね、私たちヒューマノイドって、本当はものすごく重いのよ」
 急に得意げになったミナトから、ヒューマノイドの実際の体重と、それを打ち消す重力制御装置について教わった。
「本当は……数十トン……?」
「うん、そう。だからわたしがのしかかって制御装置を切ったら、マスターは圧し潰されて死んじゃうと思う」
 にわかには信じがたい話だな……いや、違う。
「そうか……!以前下田駅のお土産屋でナンパしてきた男の足を踏みつけただけで退散させたのも、そういうことか」
「わ、私が一般人の足を踏んで重力制御装置を切ったって言うのかしら?そんなことするわけないじゃない」
「アイツの足の骨、折ってないだろうな?」
「き、記憶にございません~♡」
 本当に記憶がないから質が悪いな。

 そして、俺はついに本題に入る。
「……それで、どうだった?」
「……」
 一拍置いて改まって質問することにより、ここ最近の俺が毎日のように訊いている質問だということは、彼女にも読み取れたのだろう。
「正直なことを言うと、やっぱり記憶は戻らないわ。でも、駅の思い出を通じて、以前の記憶というよりは……気持ちを受け取ったの」
「気持ちを……受け取る?」
「えぇ、私が前回マスターとここを旅したときの、思い出となった一瞬一瞬の気持ちが、私の中に取り込まれて、再現されるの」
「ふむ……」
「沢山の人々の思い出たちの中から、その中で私の思い出だけを抽出してみたの。そうしたら……」
「旅に関する一般的な思い出なんて全然なくて、見事なまでに、マスターへの強い愛情ばかりだったわ。まるで私じゃないみたい」
「そう、なのか」
「“思い出”だからね。何気ないシーンは思い出に残らないし、やっぱりその人の心が強く揺れ動いた出来事の方が思い出になりやすいのよ。まぁ、何気ない日々を大切にできる人は別だけどね」
「……」
「私の思い出は、マスターが好き、マスターとずっと一緒にいたい、という感情で埋め尽くされてた……よっぽど好きだったのね、当時の私」
 だからずっとそう言ってきただろうが、とは言えなかった。
「だからね、だからこそ、思い出集めをした時に私の中に入ってきた、私本人のこの気持ち……どう受け止めていいのか、わからない」
 今の自分とは違うけれど、過去の間違いなく自分自身が感じていた気持ち。複雑な心境だろう。
「マスターのこと、別に嫌いじゃ、ないのよ?可愛いし」
「お、男の俺が可愛いだなんて言われても、嬉しくなんか・・・・・・」
 くす、と笑われる。その後のため息を見るに、疲れたような笑いと言ったほうが近いか。
「マスターのことが好きだった気持ちを、本物として受け止めていいのか、偽物として受け止めていいのか、わからない」
 本物、偽物、か。以前同じようなことを、ミナトと話し合った時のことを思い出す。
 あの時は、協会によって作られた『歴史が好き』という気持ちがミナトにとって本物なのか偽物なのか、で悩んでいた。そして俺はそれに対しどう答えた?確か、偽物でも構わないと。ミナトが得た気持ちは本物だと。これからは俺と2人で歴史を作っていけばいいと。
 どれも、今の彼女への回答にはなり得ない。だって、ミナトが思い出集めで受け取った俺への愛情の記憶は本物であり、そして偽物でもあるからだ。
 あの頃一緒に過ごして、ミナトがどんな思いを抱えていたかは分からない。だけど、少なくとも俺と一緒に色んな経験を重ね、歴史を作っていこうとしていたことは間違いなかった。あんなに笑って、あんなに怒って、泣いて、愛し合って・・・・・・
「・・・・・・っ、ミナト・・・・・・」
「どう、したの?マスター」
 ミナトは心配して俺の顔を下から覗き込む。それだけ俺の顔は沈んでしまっていた。目の前にいる女性との、幸せで、愛情に溢れた日々を思い出してしまったから。もう手に入らない、俺にとっては本物で、彼女にとっては偽物の、記憶。
「ミナト・・・・・・ミナトぉ・・・・・・!」
 届かなくなってしまった。
 抱きしめたい。
 こんなにも近くにいるのに。
 心だけが届かない。こんなことってないだろう?

「ねぇ、大丈夫?よしよし」
 ミナトは悲しみが溢れて泣いてしまいそうな俺を宥めようと、俺の隣に座って頭を撫でてくれる。俺はその胸に頭を預け、涙を堪えた。
 今だけでも、『嘘よ、騙されちゃって、ショータくんは可愛いわぁ♡』と言って欲しい。
 今だけ、今だけでも。明日になったらは望んだりしないから。
「今だけ、は・・・・・・」
「うん」
 彼女は優しい顔をしていた。言おうとした願いとは違う解釈をされたが、俺はミナトのそばで泣いた。

幕間

 マスターは悪くなかった。正しく言うと、マスターは悪いことをしていなかった。
 彼が言っていた、『俺たちは恋人同士だった』は真実で、初対面に抱きついてきた彼の行動は当たり前といえた。
彼と本当に恋人同士だったならば、私はあの時玄関でとんでもなく酷いことを言ったことになる。
「鐘太郎……くん……」
 この名前を呟くと、なぜだろう、不思議とドキドキする。話を聞くと私はどうやらマスターのことをショータくんや鐘太郎くんと親しみを込めて呼んでいたようだ。
 今は昼で、マスターは学校にいる時間。家の中では、お手伝いの美代子さんが掃除機をかけている音が、別の部屋から聞こえてくる。穏やかな午後。
 手持ち無沙汰で、ソファに腰かけて何となく空中にホログラムパネルを生成する。アーカイブから、私とマスターが2人で移動した『駅の思い出』を探した。楽しそうに笑い合う2人。マスターをからかって遊ぶ私。怒るマスター。こんな顔するんだ。私もマスターも、こんな顔してたんだ。そして、遠征先での出来事が記録された思い出。これはちょっと、再び開く勇気がない。ドキドキでは済まないから。
 気を取り直して、マスターと一緒に映っている他の思い出を探す。
「あらー、鐘ちゃん楽しそうね」
 振り向くと、ソファの後ろからパネルを覗き込む美代子さんが立っていた。
「……美代子さんにとって、マスターはどんな人でしたか?」
 世話話のつもりで、差し障りのない質問を送った。美代子さんは、私が蓮台寺家に派遣されてすぐ、話したこともないのに既に仲良さげに接してくれて、私はマスターだけでなくこの女性とも仲良くしていたんだ、と気付いた。しかしどうしても私にとっては初対面に近いので、未だに余所余所しくしてしまうところはある。
「どんな人、そうね……鐘ちゃんはね、私がこちらの家にお手伝いとして入った後に産まれたお子さんなのよ。だから鐘ちゃんのことは、小さな頃からお世話させてもらったわ」
 頷いて、その先を促す。
「旦那様奥様が放任主義だったから、あんまり構ってくれなくてね、私が遊んであげてたこともありました。とても素直で可愛い子でしたよ」
「……それは、放任主義というよりは……この時代の言葉を借りれば、ネグレクトって言いません?」
「旦那様に褒めてもらいたくて、毎日勉強も運動も頑張っていたのよ。おとうさんが褒めてくれない、ってよく私に愚痴をこぼしていたわ」
「愛に、飢えていたんだわ、きっと」
「そうなの、おかげでなんでもできる立派な子に育ったけど、滅多に笑わない子になっちゃったわ。だからミナトさんが来てくださって、しかも恋人になってくださって助かるわ、鐘ちゃんもあなたが来てから随分大人びてきた上に笑うようになったんですもの」
「ううん、私は……」
 少なくとも、今の私は。
「あっ、そうね、今は記憶喪失をなさってるんですものね、失礼致しました」
「いえ……」
「でも、これからもそばにいてやってくださいね。仲良くしてくれる人が、鐘ちゃんには必要なのよ」
「はいっ」
 美代子さんはひとしきり言いたいことを言って満足したのか、台所へと戻ってしまった。
 私は、マスターに何をしてあげられるのだろう。
 恋人になってあげることはできない。でも、記憶を消去される前と同じ接し方を目指してみてもいいんじゃないかしら?当時と同じ呼び方で、当時と同じ距離感で。
「ンンッ、え〜っと、鐘太郎くんっ。鐘太郎くんっ」
 やっぱり、こそばゆい。何だか妙に、胸が熱くなる。
「鐘太郎くん……可愛い鐘太郎くんの歴史、お姉さんに紐解かせてね♡」
 やっぱりこれは危険な行為かもしれない、と今更ながらに思い始めるのだった。

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