蓮台寺ミナトSS『過去と未来の物語』第一章8〜12



1-8『真意を知れば』
「なんだよ……マジか」
 俺は、解っているが現実を受け入れられず、もう一度カバンを漁る。やはりそのカバンの中には、弁当を包んでいるいつもの紺色のハンカチが見当たらなかった。
 深く息を吐き、天を仰ぐ。弁当を忘れてしまうと、もうどうしようもない。この学園の購買は秒速で売り切れてしまうから、どこかへ買いに行かなければならない。しかし、ここは田舎の中の田舎。コンビニすら蓮台寺駅前へ行かなければ無いほどだ。必然的に、家に帰った方が早い。
 誰かに弁当を分けてもらうような友人もいない。
 ……いや、あいつは違う。あいつは友人ではなくただの知り合いだ。それに、仮に須崎の弁当を少し分けてもらったところで足りるはずもないし、足りるほど分けてもらってしまうと今度は須崎が空腹になってしまう。それでも須崎は構わず分けてきそうで、そんなところがまたイヤなんだ。
 初めからあり得ない選択肢はさておき、家に取りに行くかどうか迷う。恐らく弁当は今も、ハンカチでくるんでカバンに入れるのを忘れたまま台所に置いてあるだろう。今日は美代子さんが来る日じゃないから、ひょっとしたらミナトは気づかずに昼寝でもしているかもしれない。昼に食べるならまぁ問題ないが、冷蔵庫に入れないままだと夜には食べられないだろう。やはり食べに戻るしかない。
 こんな時、ミナトが弁当を持って学園まできてくれたら、と一瞬思った。しかし、すぐに思い直す。彼女が学園内に入ってしまったら、目立つことこの上ない。それに、須崎もうるさくなるし、周りにも変な噂が立ちかねない。
 まぁ、そもそもミナトがわざわざ届けに来るなんて殊勝なことをするはずがないか。それに、俺はマスターではあるがステーションマスターであって、ミナトの主人(マスター)ではない。勘違いをしてはいけないのだ。

 学園の建物から出ると、すぐに焼けるような日差しが襲う。秋とはいえ、まだまだ暑くなりそうだ。周りの音を全てかき消すほどのミンミンゼミの合唱を聴きながら、小走りで駆け抜ける。家に帰ってから昼飯を食べて戻っても十分に時間があるが、急ぐに越したことはない。
 家のドアの前で立ち止まり、ポケットの中から鍵を探していると、2階の窓が開く音が聞こえた。ミナトだろうか。俺の足音に気づいたのだろうか?家の角を回り込んで声をかけようと思ったが、
「はぁ~~~~」
 というミナトの溜息が聞こえ、足を止める。どうしたというんだ?そんな大きいため息、俺の前ではついたことがない。なにか悩み事でもあるのだろうか。
 いけないと思いつつも、こっそりと回り込んで覗き見上げる。彼女は2階の窓枠に肘を付いて、遠くを見つめていた。
「はぁ・・・・・・」
 またもや今度は小さなため息。一体なにに悩んでいるというんだ?
「やっぱりダメよね・・・・・・マスターとでんこの関係なんだし・・・・・・」
「・・・・・・っ!」
 思わず声が漏れそうになってしまった。ミナトと・・・・・・俺のことか?
「でも、マスターだって男の子だし、きっと・・・・・・」
 なんだか、本当に良くない盗み聞きになりつつある。まずい。さすがに俺も、こういうフェアじゃないことは望まない。
「前ショータくんの独り言を盗み聞きしたときだって、私のこと好きっぽかったしなぁ・・・・・・」
 おい。前科者かよ。ならもう俺も遠慮することはないか。このまま得られるだけの情報を得てやろう。俺は手のひらを返して音を立てないように聞き耳を立てた。
 「こんな気持ち、初めて・・・・・・私の歴史の中には、無かったわ」
 俺は喉を鳴らしてしまいそうなところを必死に抑える。ミナトは、俺にどんな気持ちを抱いているというんだ・・・・・・?まさか、俺のことを・・・・・・
 「でも、ショータくんっていつも不機嫌そうな顔してるし、私と居てもやっぱり楽しくないのかもしれないわ・・・・・」
 そんなことはない。確かに俺は愛想が無いし目つきも悪い。でもそれは生まれつきだし、そんなことはわかっている。しかし、ミナトと居て楽しくなかったことなんて、一度も・・・・・・
「それに、私ってでんこだし・・・・・・。人間とでんこじゃ、やっぱり良くないよね」
 ・・・・・・そんなことは、ないと否定したい。今すぐ飛び出して叫びたい。しかし、否定してどうするのか。その後、どう続けるつもりなのか。『ミナトがでんこでも構わない』と言うつもりなのか?『俺は、ミナトのことが・・・』と言うつもりなのか?
 それをするなら、今のタイミングしかない。どうする。出るのか、出ないのか。足が動かず、代わりにこぶしを強く握り締める。
「ショータくんが机の一番下のチェストにわざわざ表紙まで付け替えて大事に隠してた、『ドキドキ☆こんなお姉さんがいたら僕はもう・・・!』を勝手に読んだせいかしら・・・・・・?読んでるときにショータくん帰ってきたから私の部屋に隠しちゃったのよね」
 おい。最近見当たらないと思ってたら犯人はお前か。どうせミナトのしわざだろうとは思っていたが、やはりか。美代子さんはそんなことしないからな。っていうか俺がここにいるの気づいてて独り言してないか?
 思わず本当に飛び出してしまいそうになったが、ぐっとこらえた。危ない。

「やっぱり本人に訊かないと答えが出ないことよね・・・・・・・・・・・・・・・ね?ショータくん」

 全身が凍った。その瞬間、心臓が飛び跳ねて身体をつきやぶるかもしれないほどの衝撃だった。
 バレていたのか。素直に彼女の前へ姿を出すべきなのか、あくまでもいないふりをしてやりすごすか、決めかねてしまって動けない。でも言い訳なんかできるのか?壁に張り付いて聞き耳立てていた事実は変わりない。言い訳のしようがない。鼓動の音が相手に届いてしまうのではないかというほどに心臓が暴れる。どうする……どうする!?
「な~んて、いるわけないよね。さて、お昼ごはんでも食べようかしら」
 ん?結局バレてないのか?どちらなのかわからないまま、ミナトは窓を閉めてしまった。急いで回り込んで2階の窓を覗いても、もはや誰もいない。
 心臓がさっきからうるさい。隠れて聞き耳を立てていたこと、それがバレそうになったこと、そして・・・・・・
 ミナトが、俺のことを好きなのかもしれないということ。
 あの瞬間俺は、ミナトのぼやきを否定しようとしていた。でんこであっても、関係ないと。でんこと人間の恋であっても、構わないと。そう言おうとしていた。
 構わないって、なんだ?俺は、彼女と恋仲になりたいのか?
 そんな風に自己分析をする振りで落ち着きを取り戻そうとしてはみるものの、やはりとっくに心の中ではわかっていた。ミナトが本心ではどう思っているかはわからないが、少なくとも俺はミナトのことが好きなのだろう。
 彼女に好意を伝えたら、彼女は受け入れるだろうか?それとも、あのお姉さんぶった目をして、ダメよなんて窘めてくるのだろうか。
 さっきのミナトのぼやきが、帰宅してくる俺を見つけて思いついた芝居などではなく、本心だとしたなら・・・・・・俺たちは同じ悩みを抱えていることになる。だが俺には、彼女の本心を確かめるすべなどない。まるで少女が窓際でつくかのような大きなため息をついて、『芝居だろう』と決め付けることで心を守り、やるせなさを振り払いながら玄関の扉を開けるのだった。
 「えっ、しょ、ショータくん!?・・・・・・帰ってきてたんだ。あ、あの、さっきの聞いてたりしてないよね・・・・・・?」
 芝居・・・・・・なんだよな?

1-9『ミナトの必殺技?』
 駅を降りると、季節外れの熱気が身体を包んだ。
 熱海まで北上すれば大抵のものは手に入るが、熱海まで行くほどでもないものが欲しい時は、逆に南下して下田駅前へと向かう。大型のショッピングセンターが駅から程近くにあり、こちらも日用品、生活必需品に限っては大抵揃う。
 同級生たちは熱海駅まで買い物に行ったり、そこから東京方面へ向かったりもするそうだが、別に誰かと行くわけでもない俺はそこまで遠出する理由も見当たらない。とはいえ最近は、ステーションマスターとして各地を巡るようになり、これまではつまらないものだと思っていた1人の移動も、ミナトと2人ならそう悪くないと思い始めている。
「美代子さんの代わりに買い物をしてるの?偉いわね」
 そう言いながらミナトは、観光客向けの黒船来航の立て看板をカメラで撮りまくっている。
「別に、俺の必要なものまで美代子さんに買ってきてもらったりなんかはしない。美代子さんはお手伝いさんだし、母親ではないからな」
「可愛くないのね。ふふん、ねぇ、知ってる?ショータくん」
「ああ、知ってるぞ」
「まだ何も言ってないじゃない!もうっ!」
 歴史トークを繰り広げようとしたところを出鼻挫かれて機嫌を損ねたのか、看板から離れて土産屋へと入っていった。自由な奴だ。
 特に土産物にも興味はないので、ミナトが戻ってくるまで備え付けの椅子に座って待っていた。
 流石に遅いと文句を言うために立ち上がって土産屋に向かった時、ミナトが見たことのない男と話しているのが見えた。どうやら、サーフィン帰りであろう服装をした、浅黒い肌をしたチャラい男にナンパされているようだった。
「私年上には興味ないの♡」
「いいジャン絶対楽しいからさ」
「だから、連れがいるって言ってるじゃない。現代のナンパってみんなこうもしつこいのかしら?未来じゃ考えられない」
「何言ってンの?まぁいいや、そう言ってお姉さんのツレ全然来ないじゃん?不安で嘘ついちゃう気持ちわかるけど、大丈夫だって。ほんとお願い、お姉さん、ちょっとお茶飲むだけだからさ、いいよね?決定!いこいこ」
「おい、やめろ!」
 遠くから威嚇しながら2人の間に割り込もうと走り寄るが、ミナトはその一瞬の隙をついて、
「っ!」
 チャラ男の足を踏みつけた。
「イッテ!おい、痛えじゃん。足退けろよ。謝るだけじゃ済まさねーぞ」
 ミナトは足を退けず、不敵な笑みを浮かべる。
「とりあえずあっちの人通りのないトコで謝ってもらおうや……あっ……ぐ、な、何……!?おい、やめ……!」
 反対に、チャラ男の怒りに満ちた顔は、みるみるうちに青ざめていった。しゃがみこんでミナトの足を退けようと両手で掴むが、びくともしない。痛みは増すばかりで耐えきれず、チャラ男は声も上げられなくなった。
「がぁっ……!っ……!」
 ミナトがひょいと足を退けると、男は怯えるように片足を引きずりながら走り去っていった。
「ふぅ〜〜〜、あら、助けに来てくれたのショータくん」
「違う、遅いから迎えにきてやっただけだ」
「助けてくれてありがとうショータくん、素敵だわぁ!」
「お、おい!」
 人目を憚らず突然抱きついてきて、俺は思わず周囲を見渡してしまう。というか、見ていた限りミナトは全く怯えてる様子がなかった。また俺をからかうためにわざと際どいスキンシップを仕掛けてきたのかと思ったが……俺の背中に回したミナトの手は、僅かに震えていた。
「はぁっ……怖いなら素直に助けを呼んだらいいのに」
「それが出来ないの〜!私、『この人は怖いな』って思ったら、なぜかすごく喧嘩腰になっちゃうの」
「難儀な性格だなおい……」
 気がつけば俺は、ミナトの頭を撫でていた。その理由はわからないが、その震える姿、危なっかしさを含め、可愛いと思ってしまったのは否定できなかった。
「にしても、足を踏んづけただけで退散したのか?一見それ以外してるようにも見えなかったが」
「そうね、『足を踏んだだけ』よ」
 ミナトのような小柄な女性が足を踏みつけただけで、チャラ男は顔面蒼白になって退散してしまったのは正直理解出来なかった。まぁ、踏まれたところをちょうど怪我でもしていたんだろう。特に気にはしなかった。


1-10『友達付き合い大作戦②』

「名付けて、『友達大増量』作戦~~!」
 朝からうるさい……朝ごはんくらい静かに待てないのか。
 学校に行く前に朝ごはんを作り、一度起こしに行って諦め、ひとりで食べ、グースカと寝ているミナトをもう一度叩き起こしてから出発、というのが日課のはずなのに、今日はやけに早いお目覚めだったミナト。テーブルの上に綺麗に整えられた茶碗、箸置き、箸の前に腰かけた彼女は、朝から鬱陶しいテンションで朝食作りの邪魔をしてくる。
「なんとかって友達がひとりできたのは知ってるけれど、あれからひとりも増えてないじゃない?友達」
 『なんとか』、か。あいつも浮かばれないな。
「うるさいな……別にあいつも友達ってわけじゃ」
「だから、その子を足がかりに、一気に友達を増やそうって作戦なの♡」
「意味がわからん」
 そりゃぁ、あいつは以前に輪をかけて絡んでくるようになったし、昼飯時はあいつと2人で屋上に行くのが日常になっている。そんな現状を俺自身が悪くないと思っていることが、もう異常事態だが……なんだっけあいつの名前。そうそう、思い出した。須崎だ。
「ショータくんひとりで、いきなり他の男の子を誘ったりできるの?」
「できないししたくもない」
「嘘ね。したくもないはずはないわ。できないのはわかるけど」
「……」
「今日のミッションは、『誰かもう一人連れて最低3人でご飯を食べること』!頑張ってね♡」
 それは、楽しく学校に通っている生徒であれば特に難しいミッションではなくて……でも、だからこそ、俺にはすごくハードルが高い。
(それに俺は、できないんじゃなくて、作りたくないだけだ……)
「ショータくん、私はアニメの難聴主人公じゃないから、普通に聞こえるわよ?じゃあ、友達になってこなくてもいいから、とりあえず3人以上でお昼を食べるミッションだけ、クリアしてきてくるのよ~?」
 こんな指示、どちらかといえば親が言うようなことだろうに。俺は母親にこういうことをなにも言われなかった。ただ学校に通い、成績を保ちさえしていれば後は何も文句も言ってこなかった。褒めても、くれなかった。
「見事クリアしたら、私が特別にヨシヨシしてあげるわぁ♡」
「ほら、朝飯できたぞ」
 目玉焼きとベーコン、サラダの載ったプレートで、テーブルを強めに叩く。せっかくのご褒美の提示に対して特に反応を示さなかったことに不満があるのか、「……もうっ」とこぼしながら姿勢を正し、両手を合わせるのだった。

 その昼まで、俺は正式に受けたのか受けていないのかわからないそのミッションについて考えていた。
 別に俺は、今のままでも何ら不都合がない。ミナトにも言ったが、友達が欲しいのにできないのではなく、必要としていないのだ。だというのにわざわざ無理をして開拓させようとする意味は何だ……?しかし、何もせずに帰ったら帰ったで、やはりミナトは鬱陶しいだろう。できるまで次々に作戦を考えてくるかもしれない。そのうち直接須崎と連絡を取り合ったりするようになったら……なんか嫌だしな。
 別に、ご褒美が欲しいわけではないが、めんどくさいのを回避するために少しだけめんどくさいミッションをこなすだけだ。
 いつも通り、昼になったから須崎に声を掛けに行く。
「須崎、行くぞ」
「ああ、うん、すぐ行くよ鐘太郎君」
 須崎は、クラスメイトと話をしていたようだった。同じクラスなのに名前も覚えていない。
「なぁお前ら、いつもどこで飯食ってんの?」
 そのクラスメイトから突然の質問。俺はスルーして須崎の返事を待っていると、須崎は何も言わずに俺の方をじっと見ている。なにっ、俺が答えるのか!?
「あー、屋上、だ」
「えっ、屋上って飯くっていいとこなのか?」
 いいところではない。俺一人が勝手に忍び込んで勝手に一人で飯を食っていただけだ……友達が、居ないから。
「鐘太郎君が先に見つけてね、それ以来僕たちで食べてるんだ。キミも来るかい?」
「いいのか!?」
「あ、ああ、いいぞ。別に、俺の場所ってわけじゃない」
 というわけで、図らずも3人で昼飯を食うというミッションは、やけにあっさりと完遂することになってしまった。

  ◇  ◇  ◇

「きゃぁ~~~!すごいじゃない!」
 家に帰り、夕飯を作るためのエプロンを着ながら何気なく今日の話をすると、ミナトは感激したような顔で突然抱きついてきた。
「うっ、うわ!」
 いつも着ている全身真っ黒の服からは、同じ洗剤で洗っているはずなのになぜかふんわりといい匂いがして、息苦しい。頭をくしゃくしゃに撫でられて、心地いいような、悔しいような、なんだか不思議な気持ちになった。
「ショータくんはやればできると思ってたわぁ~♡なになに、やっぱり私のご褒美(これ)が欲しくて頑張っちゃった?」
「ちげーよ」
「えー、違うの?残念。あら?今日の食材やけに多いわね」
 と、ここでミナトが目ざとい気付き。明日の弁当を少し多めにするつもりで、食材も多めに買ってきたのだ。
「今日一緒に飯を食った3人目に頼まれてな」
 屋上で3人、円で囲んで飯を食べたときにそのもう一人が言った。
「鐘太郎、お前弁当作るのすげー上手いな!」
「あぁ、凄いだろう!鐘太郎君は恐らくクラスで一番弁当を作るのが上手いと思うよ!」
「……なんで須崎が自慢気なんだよ。それに、なぜ誰も俺のことを蓮台寺と呼ばない」
「えぇ~、だって長いじゃんよ、蓮台寺って」
「鐘太郎もそう変わらないだろ……」
「それに、名前で呼んでくれた方が嬉しいって言ってたって、須崎から聞いたぞ?」
「須崎、テメェ……」
 須崎は目を逸らして空を見上げ、口笛を吹いている。ごまかすの下手すぎだろ。
「とにかく、俺は認めてるんだぜ。学年1位の成績で、飯を作るのも上手い。かっこいいじゃねーか!」
「そう、か」
「あぁ!しゃべったことほとんどなかったけど、こうして話してみると普通に良いやつだしよ」
「あ、ありがとうな」
「いや、こちらこそだ。これからもよろしくな」
 あまりにも真っすぐで眩しい言葉に、俺はついたじろいでしまう。どうして俺の周りは少年漫画の主人公みたいに真っすぐなやつばかりなんだ。
 そんなこんなで話し込んでいるうちに、俺がみんなに弁当のおかずを振る舞うことになったのだ。


「……なんていうことがあってな。どうして俺は名前でばかり呼ばれるんだろうな。この名前好きじゃないのに」
「……すごいわねショータくん!もう友達100人なんてすぐよ」
「弁当、分けてやるだけでか?」
「弁当もそうだけど、ショータくん、普通にありがとうって言えてる!」
「あっ……」
 そう、俺は自然と人に感謝を言えるようになっていた。そして、人とつながりを持つにはたったそれだけでよかったのだ。そんなことに今更ながら気付いた。
「ミナトの、おかげだ。ありがとう」
「うん……!」
 気付けば、ミナトの目には薄っすらと涙が。どうして、こんな俺の為に。
「明日は、もっとたくさんのクラスメイトが屋上に集まるんだ。そこで、みんなとも少しずつ話してみようと思う」
「うん、うんっ」
「ミナトが無理やりにでもミッションをくれなければ、俺はずっとこのままだった。本当にありがとう」
「あはは、ショータくんには自信があるんだから、後はちょっと背中を押すだけだったわ。逆に、どうしてそんなに普段から自信満々なのよ?」
「そりゃあ、それだけの経験をしてきたからだ」
 勉強も、運動も、家事も、自分で練習をすればそれだけ実力が付く。経験を重ねることは、それだけ自信を重ねることに等しい。
 ……まぁ、だからこそ逆に友達作りに関しても同じことが言えるわけで。俺は『必要ない』と自分に嘘をつき、経験から逃げてきた。
「……」
 突然、ミナトは何かを思い出したかのように黙り、俯いてしまう。
「どうした」
「やっぱり経験って必要よね」
「いや、どちらかといえば初めてのほうがいいという男性のほうが多いと思うぞ」
「そんな話してない!!・・・・・・知識はあっても、経験に根ざしていなければ、やっぱり言葉の重みって、ないのかなぁ、って」
 博物館の一件と同じ話だろうか。やはり理解はできたとしても、ミナトは歴史=経験と考えているからこそ、そこにこだわってしまう。
「確かに、同じ言葉でも人によって重みは変わると思う」
「そう、だよね・・・・・・だから」
「だからこそ、俺はミナトの言葉を軽んじたりしない」
 はっきりと、目を見て答えた。断言した。
「そんな、どうして・・・・・・?矛盾してるじゃない。私はインストールされたデータを引っ張り出しているだけで、経験から得たものじゃなくて・・・・・・」
「俺がミナトの言葉を軽んじないのは、”経験に基づいた言葉だから”、じゃない。ミナトの言葉だからだ」
「どういう、意味?」
 ミナトは首を傾げた後、身を乗り出し、真剣なまなざしで迫ってくる。不自然なほどに近い距離に、心臓が跳ね上がりそうになる。
「ミ、ミナトは、俺のことを思って言ってくれているのがわかるからだ」
「・・・・・・」
「俺が苦手としている人付き合いが、ミナトのおかげでうまくなっても、思い出集めをするというミナトの使命にはなにもメリットがないはずだ。でもミナトは、俺に教えてくれた。懸命に」
 その理由がわからなくても、結局ミナトが俺のことを思って言ってくれたことには変わりが無い。それは、彼女が経験に根差した行動の結果ではないと、俺は思う。だってミナトは、ミナトだから。
 明るくて、歴史オタクで、お姉さん気取りなのにダメなところだらけで、そして優しい。そんな、俺の好きな人だから。
「俺はそういう人の言葉を軽んじることができない。だってそんなことを言ってくれる人は、いなかったから」
「俺はミナトを信じている。百の理由が付いた別の人間の言葉よりも、ミナトの言葉のほうが俺にとっては大事だ」
「しょーた・・・・・・くん・・・・・・」
 身を守るように肘をかかえるミナトは、俺の胸にそっと頭を預けた。
 ミナトをそっと抱きしめる。その身体は、小さく震えていた。
「私・・・・・・本当は怖かった・・・・・・あなたに私の知識を教えても、その理由が答えられなくて・・・・・・正しいと思う知識はあるのに、経験がないから説得力もないし……こんなんじゃ私、ショータ君になにもあげられないんじゃないかって、不安で・・・・・・!」
「ミナト」
「ひゃぁっ!は、はいっ」
抱きしめたまま耳元で囁く形になってしまい、ミナトはびくりと震える。
「以前も言ったけど、経験は、これから俺としていけばいいと思う。」
「はいぃ!?なんの経験!?」
 言い方を間違えた。早合点させてしまった。
「ミナトはまだこっちにきたばかりで、今後も自分の持っている知識に理由がわからなくて悩むかもしれない。でも、ミナトはこれからだ」
「・・・・・・」
 そして俺も、これからなんだ。焦らなくても、これから少しずつ重みを増していけばいいと思う。2人で。
「うん・・・・・・うん・・・・・・っ!」
 目尻に雫を溜めながら、頭を大きく上下に振る。
「だからこれからも、ミナトから色々と教わりたい。人付き合いの仕方を教えてくれた時のように。俺よりも大人で、なのに可愛らしくて、でも言うことは正しくて、でもやっぱり不安がるところも可愛くて……そんなお姉さんから」
「もう、こんなことして・・・・・・明日からどんな顔して会えばいいのよ・・・・・・!
「ごめん」
 謝るけど、抱きしめる腕は解かない。
「ばか。ショータくん・・・・・・すごく恥ずかしいことを言ってるわよ・・・・・・」
「お、俺だって恥ずかしい!でもこれが俺の考えていることなんだ。言葉にするならこう言うしかないんだ」
「しょうがないわねぇ♡しばらくこうしててもいいわ」
 そして、しばらく抱き合っていると、今度はふと見つめ合う。
「…………」
「…………」
「ね、ねぇ」
「ん?」
「ねぇ・・・・・・やっぱりダメだよ、こういうの」
 我に返ったのか、突然さっきとは真逆のことを言い出す。
「どうして?」
「どうしてって・・・・・・だって・・・・・・」
 俺の腕の中で、力なく抵抗するように身をよじる姿も愛らしい。
「・・・・・・なっちゃうよ」
「え?」
「これ以上抱きしめられたら、好きに、なっちゃう、から」
 消え入りそうな声で紡いだその言葉は、俺が本当に待ち望んでいたもので、だけどあと一歩足りない。
「構わないよ」
「構うのよ!」
「どうして?」
「だって、私はね、お姉さんなの」
「だから?」
「お姉さんはね・・・・・・お姉さんはね?年下の男の子に、好かれすぎちゃって困っちゃうの」
「うん・・・・・・?」
「でもね、普段可愛い男の子がね、不意に男らしい熱意を向けてきちゃって、仕方なく、ほんと、仕方なく好きになってあげるのよ」
 なんだ、その理論。少女漫画のヒロインにでもなりたがっているかのような、どうしようもなくわがままで、ロマンチストで、愛らしい抵抗。だけど、
「好きだ」
「へぇっ!?」
 その理屈なら、"男らしく熱意を向けられた"ならば、それはもう逃げ道がないのも同然で。
「好きだ、ミナト」
「えぇ~~~!?ちょっとちょっと!」
 俺がここで男らしく好きだと伝えれば、仕方なく“好きになってくれる”と約束したようなもので。
「ミナトのことが、好きだ」
「きゃぁ~~~!」
 ついには俺から顔を逸らし、頑なにこちらを見ないようになってしまった。
「俺のこと、仕方なく好きになってくれたか?」
「えっ・・・・・・えっ・・・・・・やだ、うぅ~~~・・・・・・」
 髪をくるくるいじり、顔を隠すように俯く。
「嫌か?」
「ううん!嫌じゃない!嫌じゃないけど」
「じゃあ、好きになってくれた?」
「ひ、人として!人としてね!?」
 なんだそれ。
「俺のこと、人として好きなのか?」
「えぇ、好きよ」
「もう一回」
「え……?す、好きよ」
「好きだ」
「好きよ」
「大好きだ」
「大・・・・・・う、うぅ~~~~!」
 可愛く握り込めたこぶしが、俺の胸を弱々しく叩く。
「はぁ~・・・・・・お姉さんの威厳が台無し」
「そんなも、ッ!!」
『そんなも』、までしか言っていないのに、強く睨まれる。
「もうっ、もうっ!」
 俺に抱きしめられて両手が塞がっているミナトは、今度はせめてもの抵抗で俺の頭に頭突きをしてくる。相手が年上で俺は男で、身長はほぼ同じ。そして、俺とミナトのおでこがくっつき、唇同士は……あと5cmくらい。
 怒った振りをして、それをなだめる振りをして、俺たちは着実に距離を近づけていく。
 こんなにも近いのに、まだミナトは離れようとしなくて。
 こんなにも好き合っているのが丸判りなのに、まだミナトは認めなくて。
 だけど、言葉では交わしていないのに心は通っている今のこの感覚が、たまらなく愛おしい。
だから俺は、黙る。黙って、不穏な空白を作る。おでこを離し、至近距離で見つめあいながら、たっぷり、5秒。
「えっ、あっ、あの……?さ、流石にそれはまだ……ね?」
 躊躇う表情を見せるけど、でも俺はもう止めない。
 だってミナトは、さっきからずっと頭をわずかに傾けていたから。キスを、しやすいように。いつでも、受け入れられるように。わずかに、目を閉じようとしてるから。
「俺たち、近いよな」
「そ、そうかしら?」
ミナトの息が、俺の顔に当たる。
「俺のこと、男として好きじゃないなら、不自然な距離の近さだよな」
「そんな、そんなこと……ない」
「それに、キスができるように頭傾けてる」
「ち、違うの、だってショータ君が、してきそうだから……」
 何の言い逃れにもならないじゃないか、それ……俺がしてくるなら、別に逃げないという意味じゃないか。
「俺は、俺のことを好きだと言ってくれた人とじゃないとキスしないんだ」
「いじわる」
 ミナトの両腕が俺の腰に周り、遠慮がちに抱き寄せてくる。意地悪なのはミナト、キミの方だ。キスをした後に、『人としてってだけだったのに、キスを奪われた』だなんていじり方は許さない。
「俺はミナトが好きだから、ミナトも俺が好きなら、キスがしたい……ダメか……?」
「えっ、ず、ずるい!ずるいわ、そんな上目遣い、どこで……!」
「ミナト……」
「ん〜〜〜と、し、しかた、しかた、ない、なぁ」
「仕方なく、何?」
「す、好き、よ……んんっ!?」

 ごめんミナト、もう、我慢ができなかった。

1-11『楽しい静岡の旅』
 正直なことを言うと、ステーションマスターという役割は面倒だと思っていた。そう、ミナトがうちに押しかけてきて、その役割を押し付けて来たあの頃は。
 もともと用が無ければ遠出などしない上に、それが自分とは今特別関係のない未来の鉄道とやらを救うためにやるというのであれば、同居人のミナトが無理やり腕を引っ張ってきたりしない限り出かける気など起きず、俺の家から取れる範囲である地元の駅、『蓮台寺駅』の思い出を繰り返し回収する程度だった。
 しかし、その同居人が恋人になってみると、俺の遠征への見方は少し変わった。駅の思い出を集めるという仕事をこなすのも必要だが、それ以上に、2人で色々な景色を見るのは楽しいということに気付いた。いや、楽しいと思えるように、ミナトが俺を変えてくれた。
 それは、道中の観光名所や歴史的なものに対してミナトが色々と説明してくれるから、ではない。ミナトと一緒にいれば、なんだって楽しいのだ。当然、旅行……いやいや、遠征ならもっと楽しかった。そして、機会があると積極的に思い出集めをするために電車に乗るようになっていったのだった。
 「今日はどこまで行くのかしら?大阪?」
「いや、今日は敢えて在来線を使って行こうと思ってる。時間的にも、名古屋が限界だな」
「『楽しい静岡の旅』、ね……まぁ、止めはしないけど」
 奪取er協会から送られてくる資料には、在来線で静岡県を横断しようとするとかなりの時間がかかるとあった。俺は金には特に困っていないが、新幹線に乗ると取得できる駅が目まぐるしく変わり、ミナトに負担がかかる。そういう意味でも、一度新幹線を避け、在来線に乗ってみたかった。
 ミナトはでんこ特有の能力で透明になったまま、俺だけに聞こえる特殊な声で、俺に色々と話しかけてくる。それを右の耳から左の耳へ流す作業をしながら、チェックインをしてミナトが思い出を回収する。過去に新幹線で取得した駅とはまた違う駅が取れることも多く、やはり今回は在来線を選んで正解だった。
 ミナトは、ロングシートに座っている俺の前に立ち、こちらを見下ろしている。
「でねでね!?実は、ここ島田市がね、お茶の生産量が一番多いのよ。その理由はなんと、江戸時代中期まで遡るの」
 さっきから訊いてもいないような話を電車の中でずっとしゃべり続けているが、でんこの特殊な能力により僕にしか聞こえない声だし、僕にしか姿は見えない。聞くところによると、同じステーションマスター同士であれば相手のでんこが姿を消していても見ることができるそうだが、人と関わることを避けてきた僕にステーションマスターの友人などいるはずもなく、それが本当かはわからない。
「ねぇ、聞いてる?」
 聞いてるけど、返事したらやばいヤツだろ。虚空に向かって返事し続ける男がいたら、、そのうちソイツの周りの椅子が空きそうだ。
「ねぇねぇ鐘太郎くん」
 今度は、いつも俺がつい突っ込んでしまう名前をフル呼び。しかし無視する。
「そうじゃないかなとは思ってたけど、鐘太郎くんてば、やっぱり釣った魚にえさはやらない男なのね~?そんな男の子を好きになってしまった、可愛そうで可愛い歴史大好き美人お姉さんがこの私♡」
 わけのわからない挑発が続くが、断固として無視する。
「うぅ、私はこれからずっと、DV癖のあるマスターと共に思い出集めをしていくことになるんだわ・・・・・・しくしく。でも惚れた弱みで私は鐘太郎くんから離れられないの」
「・・・・・・ッ!」
 いい加減限界に達した俺は、スマホのメモ帳に文字を入力し、スマホを自然な角度に傾けてミナトに読ませる。
「ん?なになに?・・・・・・『ここでは返事できない』・・・・・・?どうして?」
 いや解ってなかったのかよ。
「なになに?・・・・・・『周りから見ると、誰もいないところへ返事してるようにしか見えない?』なるほど・・・・・・ということは、今は何言っても反撃してこれないってことよね?」
「なんだと?・・・・・・お、おほんっ」
 ついつい返事をしてしまった。列車がレールの継ぎ目を踏む音だけが響く中、周りの視線が俺に集まる。やってしまった。虚空に向かってキレてしまった。ミナトは俺が恥ずかしい目に遭ったことがよほど嬉しいのか、けらけらと笑っている。おいふざけんな。
「ねぇ鐘太郎くん、私、鐘太郎くんのことが大好き」
 俺が返事できないと思って、普段言わないような歯の浮く台詞を一方的に浴びせてくる。せめてもの仕返しは、スマホに入力して画面を見せるくらいだ。
『俺も、ミナトのことが大好きだ』
「ッ・・・・・・!」
 予想外に効いたのか、ミナトは口元を押さえて顔を赤らめ、黙ってしまった。なんだこのバカップルぶりは。
「ねぇ、今って、周りからは見えないのよね」
 確かにミナトは周りから見えないけど、それがなんだというんだ?
「鐘太郎くん・・・・・・」
 ミナトが、俺と同じ目線まで屈みこみ、潤んだ目で見つめてくる。おい、ちょっとまて、まさか、おい、やめろ、やめ・・・・・・!
「んっ・・・・・・!」
「っ・・・・・・!・・・・・・!」
 やりやがった!大勢の目の前で、キスをしてきやがった。しかし、ミナトは周りからは見えない。電車の中で俺だけが、虚空と口付けをして、息を荒くしている。
「んふふっ」
「っ、はぁっ・・・・・・、はぁ・・・・・・」
「キミ、大丈夫かね?」
 隣に座っている初老の男が、俺を心配する目で覗き込む。
「あっ、す、すみません、なんでもないです」
「そうか?息が荒いようだが・・・・・・体調が悪いのなら無理せず降りて休むんだよ」
「えぇ、えぇ。ご心配おかけしました」
 ちくしょう、ミナトが楽しそうに笑ってやがる。後で覚えておけよ。
「鐘太郎くんが可愛すぎて、私どうにかなっちゃいそう♡」
「どうにかなってしまえよ。あ」
「え……?」
「い、いえ!なんでもありません」
 ミナトは爆笑していた。


「ミナトマジでいい加減にしろよ」
「うぇーん、もうしませんから」
 雑な嘘泣きをして全く反省しないミナトと共に、乗り換えのホームを渡る。ホームの端に移動し、人が来ないところまで来てから俺は努めて言った。
「ミナトが鉄道の未来を救いたいっていうから、わざわざこうして遠征しているんだぞ」
「あら、私はデートだと思っていたわ」
「でっ……!で、デートならなおさら、俺に悪戯するのは良くないだろ」
「いいじゃない、鐘太郎くんが可愛いし」
「可愛いだと……?」
「え〜〜、どうして怒るのよ、いいじゃない男の子が可愛くたって」
「男は可愛いって言われて嬉しくなるやついねーよ」
「あら、ダメよそんな事言ったら。喜ぶ男の子だっているかもしれないでしょ?」
「俺の周りは少なくとも全員嬉しくないって言ってるね」
「鐘太郎くん友達居ないじゃない」
「あ、言ったな?」
「きゃ〜〜!助けてぇ〜、年下の可愛い男の子にこんなところで襲われちゃう」
「こんなところで襲うか!」
「ねぇ、鐘太郎くん、あれ見て」
「誤魔化すなよ」
「そうじゃないの、あれ」
 ミナトが指差す先は、反対側のホーム。並んでいる人々の中で、それは簡単に見つかった。いや、『感じた』。スーツや季節の服装をしている一般客の中に、明らかに異質な緑色のドレスを着た、ウェーブがかったアッシュグレイのロングヘアーの少女。その人間離れした美しい顔、間違いない、でんこだ。
 彼女はうちのミナトと比べるとかなり幼く、10歳くらいに見える。髪は人形のように長く、邪魔になりそうなほど前へと下ろしている。その子が話しかけている先、隣にいる若い女性が恐らく俺と同じ、ステーションマスターだろう。
 でんこの方がこちらに気付き、こちらを見つめたまま女性の袖を引っ張る。女性もこちらに気付いたのか、軽く会釈してきた。俺も会釈で返す。そして、でんことなにかを話しているのであろう、口元にこぶしを当てて朗らかに笑っている。優しいマスターと、そのでんこって感じだ。
「楽しそうな2人ね」
「ああ、そうだな。2人とも優しそうだ」
 ここで、反対側のホームに列車の接近放送が入る。どうやらそれに乗るつもりなのか、笑顔でこちらに手を振ってきた。俺以外にも、ああして鉄道の未来を救おうとでんこに協力する人たちがいる。どんなふうに旅をしていて、どんな話をしているのか少し気になったから、お話ししてみたかった。しかし残念だ。とはいえ、俺は孤独じゃないと分かっただけでも良かった。
「行っちゃうみたいね」
「話してみたかったが、残念だ」
「え、鐘太郎くん、まさかあの女性マスターに惚れたんじゃないでしょうね!?」
「まさか。綺麗な人だとは思ったが」
「むむむむ〜……鐘太郎くん」
「なんだ?え、んんっ!」
 ミナトが突然口付けをしてきた。し、しかも、わざわざ実体化して!こんな公衆の面前で!
 肩に手を置いて引き離すと、ミナトは俺の方を見ていなかった。ホームの向こう側で驚いた顔をこちらに向けているあの女性マスターを、挑戦的な目で見つめている。
「なにをするんだ、突然っ」
「鐘太郎くんは私のものなの。絶対誰にもあげないんだから♡」
 取られもしないのに独占欲剥き出しでライバル心を燃やすミナトは、次の瞬間に実体を消した。消える瞬間を誰かに見られたらどうするつもりなんだ。
 名古屋駅前のホテルに到着するまで、あとどれくらいのいたずらをされるのだろう。名古屋へと続くレールを目線で辿ると、西の夕陽が綺麗に焼けていた。一足先に夜へと向かおうとする東の空と、惜しむようにオレンジに光る西の空。紺とオレンジのグラデーションに、心が洗われる気分になった。ミナトも同じものを見て同じ気分でいるのか、急に穏やかな声に変わり、言った。
「ねぇ、鐘太郎くん、私、こんなにもここでの暮らしが楽しくなるなんて思わなかった」
「……」
「私がこの世界で、未来の鉄道を救う為に思い出集めをすることって、私の使命だし、生まれた理由でもあるから、初めは疑いもしなかったけど、ほら、私の歴史好きなところとか、存在理由とかで悩んでた時に、同時に未来の鉄道を救う使命にも疑いを感じてたのよ」
「そう、だったのか?」
「だって、電車に乗ったこと無かったんだもの、あははっ、笑っちゃうわよね。電車に乗ったこともないのに、電車の歴史は頭に入ってて、そしてそれを救いたいと感じてるなんて」
 歴史が好きだという気持ちと同じように、円滑に鉄道の未来を救う為に『鉄道の未来を救いたい』と思うようにプリインストールされているのかもしれないのか。だとしたら……
「ミナト……」
「でもね、今日一緒に旅してて思ったの……楽しいな、って。こんな旅ができる鉄道を、守りたいなって。」
 思わされているのかもしれない。無理に自分を納得させているのかもしれない。でも、それでも。
「これからもずっと、鐘太郎くんとこうしていたいから。未来も、ずっと」
 夕陽を見ながら、俺の腕をそっと抱きしめる。
 理由をつけて、自分で納得して、それで前向きに楽しむことができるのなら、それでいいと思った。
 名古屋まで、あと1時間。ホテルに着いたら、たくさん愛を伝えたい。


1-12『ミナトの召還』
 遠征から帰り、その翌週。その日は、よく晴れた土曜日の午前だった。
 「ミナト、朝だぞ」
 そうして声をかけても起きないことは想定済みで、かけ布団を剥がしてやっても起きないことも想定済みで、デコピンしてやっと起きるか否かというところだ。今日は比較的早くに起き上がり、
「……おはよう……今日もしょうたくんの歴史……ひもとかせてね……」
 半分死んでるような声で言った。言わなきゃいけないのかそれ。
「起きたか。朝ごはん用意出来てるから、下で待ってる」
「………………キスして」
「は?」
「キスしてくれなきゃ起きない」
「あのなぁ……」
「王子さまの目覚めのキス……」
 わがままなお姫様だ。
 俺はもう一度ミナトに歩み寄り、前髪をかき分け、口付けをした。起き抜けのミナトは体温が高く、頬が熱い。何度も口付けをする。顔を右に傾けながら寄せ、ミナトの下唇をついばむ。左に傾けながら寄せ、上唇をついばむ。シャンプーではないミナトの香りが、パジャマ姿のミナトが目の前にいること自体が、俺を極度に興奮させていく。ミナトの手が、俺の肩に回る。ダメだな、ミイラ取りがミイラになってしまった。彼女に引っ張られるままにベッドへと倒れ、次のキスは舌を入れようと考えてた時に、
「あっ」
「え?」
 ミナトは突然虚空を見つめて、しばらくしてから言った。
「協会から緊急の連絡みたい」
「ちっ」
 盛り上がっていた俺は途端に冷や水を浴びせられ、行き先のない苛立ちが口から漏れる。
「それで、なんだって?」
「うん、なんか、メンテナンスするみたい」
「と、言うと・・・・・・」
「一旦、未来に帰ってそこで調整するみたいね。やだ、鐘太郎くんと離れ離れになっちゃう」
「メンテなら仕方ないだろ」
「あら、なんだか冷たいわ?実はもう賢者タイムなのかしら?」
「バカ」
「ふふ、戻ってくるのはすぐよ。恐らく3~4時間もすれば戻ってくるわ」
 そう言いながら、別れを惜しむようなキスを何度か交わす。
「どうせ時間移動できるんだから、未来に帰った一瞬後を指定して戻ってくればいいじゃないか」
 なんて、わがままを言ってみるものの、
「残念ながらそれは簡単にはできないのよ。出来ないこともないんだけど・・・・・・すごく計算が面倒って聞くわ」
 そんなものなのか。まぁ、俺にはわからないことだし、彼女がそう言うのならそうなのだろう。
「私がメンテナンスを受けている間、お腹がすいたら麺類を食べるといいわ」
「なんで?」
「んー、なんでだろうね?」
「?」
 変なヤツだ。まぁ、今に限ったことではない。
「私が居ない間、我慢できなかったら自分でするのよ?」
「しねーよ」
「あははっ」
 そんな風に軽口を叩きながら、ミナトは未来へと帰っていった。暫くの辛抱だ。
 そう、暫くの間だ。戻ったらミナトを思いっきり抱きしめて、たくさん愛してると言おう。
 さて……うちに麺類なんてあったかな。

◇  ◇  ◇

 昼飯にインスタントラーメンに野菜をたっぷり入れて腹を膨らませた後、することも特にないのでテレビを観たりスマホを弄ったりと不毛な時間を過ごしていた。つまらない午後だ。
 ・・・・・・ミナトはいつ帰ってくるのだろうか。
 3~4時間後という話だったが、そろそろ6時間は経つ。まぁ何においても大雑把でどんぶり勘定なミナトのことだ。±2時間くらいはみておかないと一緒にはやっていけない。
 そんな風に悪態をつきながらもなんだかんだ俺はミナトのことが大好きで、結局だらしなくて適当で気分屋な部分も好きなのだ。恋というのは恐ろしいものだ。
 遅くなるのなら、きっと夕方近いだろう。夕飯を作っておく必要があるな。・・・・・・いや、アレの途中で中断されたのを取り戻そうとするだろうから、帰ってきたらすぐに押し倒そう。そうなるとご飯を作る暇がないな。どこかへ食べに行ってもいい。もちろん、電車に乗って下田まで行く必要があるが。
 静かだった。テレビはついているのに、心は妙に静かで、少しだけ重い。こころなしか、15時だというのに空まで少し暗い気がした。俺は、これまで感じたことのない気持ちが湧いているのだと気付いた。
 そばに居るはずの、あのうるさくて、オタクで、明るくて、髪が白くて綺麗で・・・・・・愛する人がそばに居ない。寂しい、というやつなのだろう。
 一度認識すると、今度ははっきりと包み込んでくるような気がした。時計ももう何度も見た。まさか、そんなはずはないだろう。ミナトは3~4時間で戻ってくると、確かに言った。
 しかし、何かがあったという可能性も十分に考えられる。そんなとき、俺はただ待つことしかできない。下田へ買い物に出かけたのとは違うのだ。未来に帰ったのだ。ミナトを追って、未来へ行く手段などない。ただただ、待つしかないのだ。そう思うと歯がゆかった。
 いつの間にか右足が貧乏ゆすりをしていたことに気付き、苛立ちを抑えるためにシャワーを浴びるべく立ち上がったとき、玄関のチャイムが鳴り響いた。
「っ!ミナト!」
 立ち上がり、時計を見る。キッチリ6時間待たせやがって。俺はスリッパを履くのも忘れ、玄関へと跳ぶ。その間にも、ぴんぽーん、ぴんぽんぴんぽーんとチャイムを連打する音が鳴り続ける。
「このチャイム、壊れてるのかしら~?」
 ミナトだ。ミナトが帰ってきた。
 ったく、ミナトのやつ、わざとらしく出会ったときのことを再現しやがって。彼女の茶目っ気にも困ったものだ。
 強く、強く抱きしめてやろう。勢い勇んでドアを開ける。
 目の前には、待ちに待ったミナトの姿。そして、彼女は言った。

「はじめましてマスター、あなたの歴史、紐解かせてもらうわね♡」

第二章へ続く。

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